『監察医 朝顔』
異例の2クール放送は、キャストやテーマにとりたてて目を惹くような話題があるわけでもないこの作品が、多くの人に受け容れられている証拠でしょう。 物語全体に流れる、渇き切った心にしみじみと滲みわたっていくような優しさは何も変わっていません。 朝顔は、母親を津波で失うという悲しい過去はあるものの、母亡き後寄り添って生きてきた父と心優しい夫と惜しみない愛情注ぐ娘という家族がいます。職場では遺体から秘密を紐解くという仕事に真摯に向き合い、家庭では家族と語らったり、食事を作って食べたり、眠ったり、なにげない、けれど大切な時間を過ごしています。 母親、そして仕事現場での「死」と、朝顔たちの「生」。そのふたつが並行して描かれるこの物語は、くり返される日々の営みこそがもっとも大切なものであると感じさせる何かがあります。それはキャストたちの抑えた演技の中、ふとした時ににじみ出る喪失による悲しみです。 典子を失った朝顔たち家族。朝顔が接する遺体の遺族たち。彼らの悲しみを感じれば感じるほど、死を迎えた人たちの生に思いは馳せられ、今を生きるみずからに思い至り、なにげない営みの尊さを知るのです。 それに向けられる優しいまなざしが、この作品全体には行き渡っています。 祖父が持つ典子のものらしき歯。朝顔たち家族に訪れるらしい別れ。今後の展開を思わせるキーワードがちらほらと登場していますが、この優しさは最後まで失われないはずだと思います。 全員がナチュラルで秀逸な演技をしていますが、つぐみちゃんはこれが演技なのかと不思議になるほどすべてが自然でかわいらしく、上野樹里や風間俊介とは本当の親子に見えますし、時任三郎や柄本明も本当の孫やひ孫をかわいがっているかのようです。世界観に入りこめる大きな要因ですね。 『エール』 本来ならば東京オリンピックに向けるはずだった「エール」。脚本家の降板、コロナ禍、主要キャストの死、オリンピック延期、二ヶ月にわたる放送中断と、次から次へと思いもよらぬ状況に襲われたこの作品は、結果的に先の見えない苦しみに喘ぐ社会へ送る普遍的な「エール」となりました。 終盤はずいぶんと駆け足でした。音楽家として名を馳せた裕一の描写は『君の名は』秘話もさしはさまれてはいたものの、基本ナレーションですまされ、音の舞台降板と教会での音楽会、鉄男と弟との再会、浩二の結婚、華とアキラの恋物語、とめまぐるしく物語の時間が経過していきました。本来は時間をかけてじっくり描くはずであったろう冒頭の東京オリンピック開会式につながる部分はダイジェストにおさまっていました。主人公の環境が安定すると物語も停滞しがちな朝ドラなので、このスピーディさは異例ですが吉と出た気もします。鉄男を意識していたような描写のあったあかねとの関係はどうなったのか、梅と五郎のグローブ作りは成功したのかなど、心残りな部分はあるものの、キャストのスケジュールの都合もあったでしょうし仕方なしと諦めます。スピンオフで補われることを期待します。 中断前はややコメディ寄りの雑な作りが気になったものですが、再開後はしっかりした軸を感じました。キャストやスタッフ一丸の、この作品を完成させるという気概を感じました。窪田正孝と二階堂ふみが確かな演技力で人生の喜怒哀楽を伝え、まわりを固めるキャストが色を加え、古関裕而の音楽が広がりを持たせました。それによって、辻褄の合わない部分も気になりませんでした。含みを持たせたままいなくなってしまった小山田の真意も、実質最終話でようやく手紙という形式で明かされたのみになってしまいましたが、志村けんという偉大な存在を失った喪失感の前には些事に過ぎません。手紙の「先に逝く」という言葉が現実と重なり、しかしその悲しみは偶然撮影されたという鏡越しのカットで相殺されました。 最後が笑顔で良かった。志村けんが最後に見せてくれたのは、しかめ面の小山田でなく、子どものようにチャーミングな笑顔だったのだと、うれしい気持ちになりました。 最終話のエールコンサートも、カーテンコールのようでうれしかったです。15分ではとても足りない、もっともっと聴いていたい至高の時間でした。音が裕一と一緒に大きな舞台で歌うというふたりの夢が叶ったような気持ちにもなりました。 なんといっても岩城さんです。作品内で歌うシーンがなかったので、あの『イヨマンテの夜』には衝撃を受けました。昌子さんの歌唱もはじめて聴きましたが、さすが劇団四季出身。どの歌もそうですが、もっとフルで聴きたかったです。 収録がまさか15分だけではあるまいし、ぜひ完全版の放送を! そしてアンコール放送も期待します! 木枯さんも環さんも出ていなかったし、山藤太郎やスター発掘オーディションの面々の歌も聴きたいし、あれだけ豪華キャストを一堂にそろえるのは難しいかもしれませんが、ぜひぜひにも! PR
『共演NG』
テレ東らしい独自視点の攻めた展開が非常に面白いです。 かつて一世を風靡した恋愛ドラマで共演した英二と瞳。それがきっかけで恋愛関係になったものの、のちに破局。その後ふたりは共演NGになっていました。 そんなふたりが25年ぶりに共演することになった『殺したいほど愛してる』。キャスティングされているのはなぜか共演NGの面々ばかりで、制作発表の日からトラブル続き。次はどんなもめごとが起こるのか、彼らはあやしげなショーランナーの掌の上で転がされているだけなのか…。 秋元康企画と聞いて以前のドラマの印象もありあまり期待していなかったのですが、大根仁のテンポ良い脚本・演出のおかげか、それぞれのキャラクターが立っているせいか、なかなか見ごたえあります。 しかし鈴木京香はホント綺麗だなあ…オープニングのダンスは毎回見惚れてしまいます。 『姉ちゃんの恋人』 コロナ禍の現代を舞台にしているような描写がありながら、誰もマスクをしていなかったり、ぺちゃくちゃしゃべりながらお弁当を作っていたりと、随所に気になる部分はありますが…。 『ひよっこ』でも底抜けの明るさと雨曇りの薄暗さを明快に書き分けてストーリーに深みを与えていた岡田惠和が、この作品でも手腕を発揮しています。 主役のふたりを演じる有村架純と林遣都はどちらも陰ある過去を背負いながら、日々を懸命に生きています。出逢って、ささいなことをきっかけに共鳴して、恋に落ちて、きっとこれからふたりの距離はどんどん近づいていく。ただのラブストーリーならそれで済むのに、彼らの抱える過去の何かがそれに影を差していくであろうこともまた容易に想像ができるために、ふたりの様子を微笑ましく眺めると同時に、正体の知れぬ不安が首をもたげてしまうのです。 また、ドラマにおいて異性のきょうだいの存在は恋の障壁になりがちですが、こちらの弟たちは純粋に姉の幸せを願っている模様。まだ描写の薄い彼らですが、これからふたりの恋が進展するにつれ、弟たちの存在はどのように影響していくのかも気になります。 ミスチルの主題歌も物語の雰囲気に合っていて、とても良いです。
『エール』(承前)
『鐘の鳴る丘』そして『長崎の鐘』から『栄冠は君に輝く』…。 戦争から立ち直れずにいた人びとが、少しずつ希望を手にしていくこの2週間は、毎日涙を禁じ得ませんでした。 裕一を音楽の道へ引き戻す池田を演じる北村有起哉。戦争で荒廃した日本をよみがえらせるため立ちあがった人間たちというのはきっと皆こんな生命力にあふれていたのだろうと思わせる熱量で、時間の針を未来へ進めていきました。久志へ語った「友達はいない」「人は裏切る」という、ただそれだけの言葉に、彼のこれまで歩んできた人生はきっと艱難に満ちていたのだろうと感じさせる説得力がありました。北村有起哉をはじめて観たのは確か大河ドラマで、自然と放たれる存在感に惹かれ、その後のドラマや映画でもつい彼を目で追ってしまうようになっていましたが、年々凄みを増しているような気がします。父親のことは知りませんでしたが、やはり血のなせるわざでしょうか。 そして、裕一の音楽がさらなる境地へ達したと言える『長崎の鐘』。吉岡秀隆演じる永田医師の口から紡ぎ出される言葉の重みは、確かにどん底を見た人間のそれでした。おそらく先は長くないであろう病の床から裕一へ投げかけた微笑みは、裕一の苦悩を理解し、受け止めたうえで、彼を地の底から光あふれる空へ導く慈愛に満ちていました。裕一は、自分の曲で戦意発揚する若者たちに興奮した罪悪感に苦しんでいましたが、戦後、音楽を贖罪の道具にしようとしていたことにもまた、罪悪感を憶えていたのかもしれません。永田医師が示した、裕一の目指すべき音楽の道。そして生まれた『長崎の鐘』の悲しくも美しい至高のメロディーは、原爆によって荒野と化した街に響き渡った希望の鐘の音そのものでした。第1話のオリンピック開会式会場で長崎出身の警備員(萩原聖人)が「『長崎の鐘』は生きる希望を与えてくれた」と語っていたのは、ここに繋がっていたのだなと、感慨深いものがありました。 裕一は戦禍の傷痕から脱却するきっかけをつかんだものの、立ち直れずに苦しんでいる人たちはなお存在していました。おそらく夏の甲子園の時期に放送予定だった『栄冠は君に輝く』の誕生エピソード。裕一の久志を思う気持ちの伝わるセリフと、それに揺り動かされた久志の歌声。アカペラから始まり、オーケストラの伴奏が重ねられ、甲子園で躍動する若人たちや客席の大観衆の映像を背景に、朗々と日本じゅうへ届けられた『栄冠は君に輝く』。コロナ禍の今だからこそ、すべての晴れ舞台を奪われた若者たちへ捧げるエールに聞こえました。戦後はじめて甲子園のない夏だった2020年。皆でスポーツを楽しめる日々が早く戻ってきてほしい。そんな思いにもかられました。 戦争から立ち直れずにいたのは、もうひとり。吟の夫の智彦さん。 元軍人というプライドが邪魔をして、なかなか新しい職につけずにいました。そんな彼が、本当に大切なものは何か気づき、妻と向き合い、戦争孤児のケンと絆を深めていく過程は、まるでこのお話だけで一本の映画ができそうなくらい見ごたえがありました。松井玲奈と奥野瑛太が作り出す凛とした空気感は、裕一&音の微笑ましさとはまるで異なりながらそれはそれで素晴らしく、このふたりに幸せな結末が用意されていたことには救われたような気持ちになりました。あさイチの面々も彼らが気になって仕方ない様子でしたね。そのくらい、この夫婦は魅力的だと思います。 戦中~戦後にかけての人びとの心情をここまで丁寧に描いた朝ドラは今までなかったのではないでしょうか。放送回数のカットに影響されなくて本当に良かったと思います。脚本家の降板やコロナ禍による放送中断など、放送前も放送中もさまざまなトラブルに見舞われましたが、それらを感じさせないほど近年まれに見るクオリティの高さです。ラスト一ヶ月、このまま最後まで目の離せない展開が続きそうです。
『DIVER-特殊潜入班-』
全5回のため駆け足展開は仕方ないにしても、それ以外にももの足りない部分が多く、モッタイナイ感が大きく残りました。 放送回数が多ければ登場人物それぞれを掘り下げるエピソードがあったり、軋轢を経て絆が深まったりしてD班に感情移入できるようになったかもしれませんし、阿久津と黒沢の過去ももっと丁寧に描いてくれれば、ラストの佐根村の秘密が明らかになるにつれ気分も盛り上がったかもしれません。 ただ、大半は福士蒼汰の演技力の乏しさにあるような気が…。 D班始め兵庫県警の面々も個性あふれていてワクワクしたのに、メインの福士蒼汰&野村周平がどうも魅力に欠けていました。 つくづくモッタイナイなあ、と感じる作品でした。 『SUITS2』 前シリーズは甲斐と鈴木の名コンビが難題を解決していく爽快感があったのですが、今回は上杉vs幸村&甲斐の構図が強すぎて、鈴木の存在感が薄く、あまり入り込めませんでした。 その上杉も、物語の鍵となるヒール役ながら、あまり魅力的とは思えませんでした。 「幸村たちと上杉の確執って前作で明かされていたっけ…? いや、なかったはず。奥さんの葬儀でまで敵意を隠さないくらいなのだから、よっぽどのことがあったのだろう。それにしても引っ張るなあ…」 と、初回からその秘密に期待していたのですが、 「引っ張った割には、不倫とか横領とか、思っていたよりショボかったなあ…。追い出されてからも小物キャラ全開だし、吉田鋼太郎のうさんくさい雰囲気が活かされていないなあ…」 という感想でした。 鈴木と真琴の恋バナもあくまでサイドストーリーの位置づけで、最後は秘密を告白して落ち着くところに落ち着きましたが、唐突に登場してきた人妻とのアバンチュールはちょっと受け入れ難かったです。 途中参加の藤嶋はミスマッチだったかな。キャストが皆長身痩躯の美男美女で、欧米のような台詞回しも違和感なく表現されていたのですが、小柄で純日本人的顔立ちの上白石萌音はひとり悪目立ちしていたように思います。ただでさえ童顔で新米とはいえ検事から転職した弁護士には見えませんでした。 しかしすっかり陰が薄かった鈴木。ちょいちょい幸村が甲斐に無資格弁護士を抱えていることを愚痴るくらいで、もはやどうでも良くなっているような。Season3ではこの爆弾が問題になってくるのでしょうか。
『エール』(承前)
古山裕一の人生を描くにあたり、モデルである古関裕而の音楽にとっても大きなターニングポイントとなった太平洋戦争は避けては通れません。しかし朝ドラという枠で、内地ではなく戦場、しかももっとも悲惨といわれるインパール作戦の現場で、どのように戦争を表現するのか。生々しくてはいけない、しかしぼやかすわけにはいかない。予告で流れていた「僕は音楽が憎い」。あれほど音楽を愛していた裕一が、なぜそんな言葉を虚無の表情でつぶやくに至ったのか、しっかりと伝えなければ意味がありません。 音楽が戦意高揚の道具として消費された時代。裕一は疑念を振り払うかのようにあえてその消費の渦に飛び込んでいきます。時代も自分も誤ってはいないのだという証明への欲求は、彼を戦場へ向かわせました。そこで目にしたものは、自分が正しいとか間違っているとかいった瑣末な迷いなどたやすく凌駕する現実でした。 ともに音楽を奏でていた者が、さっきまで笑顔で話していた相手が、次の瞬間には息絶えている。見知らぬ誰かに銃を向け、見知らぬ誰かの命を奪い、見知らぬ誰かに奪われる。 そんな地獄のような場所へ、彼らは自分の音楽によって駆り立てられたのだと。 生きて帰国したことを喜ぶ家族とは離れ、孤独の中で日々を送る裕一。せめて日本が戦争に勝利すれば、彼は救われ、恩師たちの死も報われたことでしょう。 そのわずかな望みも、玉音放送によって砕かれました。 登場人物たちは、敗戦をさまざまに受け止めました。 病床で「良かった」と嬉し泣きするまさ。 空襲で焼け落ちた自宅の上で、復活の讃美歌を歌う光子。 いちばん大事なものに気づいた五郎。 そして、何もかも失った裕一。 舞台は一転、占領後のラジオ制作現場に移ります。戦災孤児のラジオドラマに熱意を見せる劇作家が登場し、「NHKですよ。嘘はつきません」というユニークなセリフも飛び出して、暗く閉ざされた気持ちが少し救われたように感じました。 音楽が罪になることなんて、絶対にあってはならない。 音楽はいつだって、闇を照らす光であり、明日への希望であり、苦しみや悲しみからの救済であったのです。 焼け野原に響いた光子の讃美歌は、きっとそのメッセージなのだと思いました。 『あまちゃん』で最後の最後に披露した鈴鹿ひろみの歌声も、被災地に捧げる鎮魂と癒しのエールでした。光子の歌は薬師丸ひろ子の発案だそうですが、戦争編を締めくくるにふさわしい素晴らしいシーンとなりました。 それとは対照的に、戦争によって心を破壊されてしまった裕一。「音楽が憎い」とつぶやく窪田正孝の何の感情もない横顔には胸を突かれました。また裕一の笑顔を見たい。目を輝かせて楽譜に向かう裕一を見たい。それを取り戻してくれるのはつねにそばに寄り添う音、そしてあの劇作家でしょう。まだまだ名曲を生み出していく裕一と音の人生はこれからが本番。音楽が、光が、希望があふれる展開になるであろう戦後編に期待します。 |
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