『知ってるワイフ』
「知ってる」の意味…そう来たか! 非現実な設定のはずなのに説得力があって、主要キャラそれぞれに感情移入しながら観てしまい、すっかりハマってしまいました。 タイムスリップ前とその直後は、あいかわらずの鈍感ぶりに毎週イライラさせられていた大倉くん、いや元春。自分がみんなを不幸にしている、ならばひとりで生きると決めた後の、生まれ変わったかのようなキリリとした表情に、そうだこの人イケメンだったんだと思い出しました。初回で鬼嫁を印象づけた澪が、タイムスリップ後すっかり魅力的な女の子に変貌していたのとは対照的です。 結局、最初に元春がタイムスリップする前の澪の記憶は澪自身にはなくて、今の澪の中にある元春は、運命のように惹かれた相手、自分を律することのできる人間、理想的な夫であり父親、という生まれ変わった姿です。高校生の時の幸せな恋心は憶えていない(というかそもそも経験していない)ということになりますが、それはそれで、崩壊していく夫婦関係の悲しみもなくなっているということですから、ある意味幸せ…なのかな。 元春のタイムスリップで多くの人の運命が変わりましたが、その中においても沙也佳は、一見元春に振り回されていたようでいて、結局どの道においても最終的には自分らしい生き方を選んでいました。何不自由ないお嬢様で流されやすそうな設定ながら、実はいちばん強い心と決断力を持っていたのは沙也佳だったのかもしれません。最後の、自分で選んだ道を行く解放感にあふれた表情は、美しく凛としていて印象的でした。 澪の母のタイムスリップが描かれなかったこと、小池さんの事情も独白で済まされていたことは、少し消化不良感はありますが、おおむね落ち着くところに落ち着いた、スッキリする結末でした。ラブストーリーの視聴者は女性がほとんどでしょうが、むしろ男性に観てほしい作品だったかもしれませんね…。 『おちょやん』(承前) テルヲ、退場。 ホントかわいそうでした。千代だけではありません。むろんテルヲでもありません。 トータス松本が。 確かに最後の一週間は、トータス松本渾身の演技でした。葛藤を抱えながら演じていたようですし、最後の面会場面はテルヲというよりも、むしろ「千代への愛を素直に表現したかったのにずっとできなかった」演者の心からの叫びに聞こえました。乞食仲間と月を見上げる場面も良かったです。テルヲが血を吐いているのに、誰も何も言わず月を見上げている。迫りくる最期の時をテルヲが月、すなわち千代とともに静かに過ごしたいことを仲間たちは知っているのでしょう。面会室でテルヲの思いを真っ向から受けとめた千代の涙も胸を打ちましたし、そこだけ切り取るならば名場面の連続でした。 しかし、それまでの仕打ちがあまりにもあんまりで…。 千代を奉公に出しただけならまだしも、その後の身売りや貯金持ち逃げは庇いきれません。しかもテルヲはヨシヲの人生をも破滅させ、千代はそのせいで最愛の弟に恨まれるはめになったのです。 テルヲは浅はかで愚かでどうしようもない人間です。千代を愛しているならば、普通は彼女を売ったり傷つけたりできるわけないと考えますが、それはそれとして、目先のことしか見えずあとさき顧みない行動を取ってしまう人間がいることも事実です。そして貧しい者が学ぶ機会も与えられず虐げられていたこの時代、テルヲのような父親と、そんな家庭から救われることなく振り回され傷つき続ける娘もきっと存在していたのだろうと思います。 …が、朝ドラの視聴者にそこまで求められても困りますし、1日15分の朝ドラにおいてそんな事情を描き切ることもできません。やっぱり最低限の知性と家族愛はあってほしいし、千代にも父親からの愛情をストレートに享ける幸せを味わってほしかったと思います。 鶴亀家庭劇が結成されて、いよいよのちの大女優・浪花千栄子の人生に近づいてきたかと思いきや、家庭劇そのもののドタバタやテルヲ問題が続いたので、そろそろ物語を千代の女優人生に戻してほしいと思います。千之助がテルヲに千代の女優の才能を語る場面がありましたが、前フリになるようなエピソードがほぼなかったので唐突に感じました。 一平が果たしてクズ平になるのかどうかは気にはなりますが…。 PR
『太平記』
おおまかな流れしか憶えていなかったので、初見のように楽しめました。 今も昔も大河の醍醐味は豪華な俳優陣です。鬼籍に入った人から今なお活躍している名優まで、主役脇役関係なく鮮やかに、また重々しく物語を彩りました。 前半のハイライトはなんといっても『鎌倉炎上』の回。現代風に言うなら「神回」でした。高時の自害場面は、華やかな衣装の女人たちに取り巻かれ逃げ場を失い、家臣たちに急かされるように「これで良いか」と刃を腹に突き立てた高時のある種滑稽な、しかしだからこそ悲しみ深い最期の一幕が印象に残りました。うつけなのか、道化になりきっていただけなのか、高時のつかみどころのないキャラクターは、さまざまな一面を持つ片岡鶴太郎以外には今となっては考えられないくらい、適役でした。前半のヒール・長崎円喜の存在感も圧巻でした。 鎌倉を攻め滅ぼした新田義貞。初登場時の配役は萩原健一でしたが、病気降板により途中から根津甚八が演じました。正妻の尻に敷かれている情けない姿、勾当尚侍へのまっすぐな恋情、足利家に抱くコンプレックス、その死に様まで含めてなんとも不器用な武将の雰囲気が逆に魅力的でした。野望をひそかに燃やしギラギラしていた萩原健一のままなら、こんな風には描かれなかったかもしれません。こういうちょっと「もったいない」キャラが好みなので、根津甚八になって良かったと思います。 最初は「今と違って棒だな…」と感じた宮沢りえも、回が進むにつれてみるみる輝き始めました。とくに不知哉丸を産んで母親としての強さを身に着けた姿といったら、今と遜色ない凛としたオーラで尊氏を圧倒していました。 そういえば、いつの間にか見なくなっていた花夜叉一座、花夜叉は最終回に息子(のちの観阿弥)を連れて再登場しましたが、ましらの石はいずこへ…? 最終回に向けては、高師直の死、右馬介の命を賭けた直冬への説得、戦に次ぐ戦、そしてついには兄が弟に毒を盛らざるを得なくなるという、彼らの人生を見守ってきた者としては切ない展開が続きました。観応の擾乱は、南北朝という単純な図式ではなく、今日の味方は明日の敵ともいうような人間関係相乱れた複雑な争いですが、意図せずして対立してしまった兄弟という感情移入しやすいテーマに置き換えて描かれていたので、非常にわかりやすかったです。高嶋政伸は、この頃はまだ「姉さん、事件です」のイメージしかなかったのですが、こんないい演技をしていたのですね。今のクセモノ俳優ぶりも納得です。 高師直も、初登場時からしばらくは冷静で有能な宰相でしたが、次第に女や権力にとらわれ出し、後世に伝えられるまでの悪逆非道の個性を発揮し始めました。きちんと観ていなかった放送当時から強い印象があり、高校で作ったレポートでも高師直を取り上げた記憶があります。ただの悪役ではなく、誰しもが持つ人の弱さや愚かさを師直という人間に落として表現した柄本明の名演が印象深かったのだと思います。 そしてそんな家臣の野望も、深く大きな心で受け止め圧倒した大殿・足利尊氏。記録に残る姿でも、終わらぬ戦に心を病み、情緒不安定になった様子がうかがえます。後醍醐天皇、楠木正成、新田義貞と、尊敬し信頼していた相手を討伐しなければならない葛藤、弟そして息子が敵となる孤独。最初から最後まで悩み苦しみ続けた人生でした。『太平記』とはいうものの、尊氏の生前に太平の世を迎えることはできませんでした。最終回、まだ見ぬ孫に「義満」の名を授けた室町幕府初代将軍。南北朝の統一は、金閣寺を建立したその孫の時代まで待たなければなりませんでした。 主人公は尊氏ですが、『太平記』はその時代を生きたさまざまな人たちが織りなした壮大な人間ドラマです。これほどのスケールをしっかりと描いた大河ドラマは、今ではなかなかお目にかかれません。本当に見ごたえのある作品でした。 『私本太平記』も読み始めたはずなのに…なかなか進まないんですよね。
『麒麟がくる』(最終回)
今まででいちばん心揺さぶられる、本能寺の変でした。 信長に義昭を殺せと命じられ、いよいよ追い詰められた光秀は、ついにその言葉を家臣たちに告げます。 「我が敵は、本能寺にある。その名は織田信長と申す」 その両瞳は、悲愴感に満ちていました。革命という言葉に込められる回天の希望や未来への期待は微塵も感じられません。帰蝶の言葉どおり、信長というモンスターの始末をつけることがそれを生み出した己の義務であると覚悟を決めたのでしょう。 しかし、信長を弑することは、光秀が今まで信じて行ってきたことすべての否定でもあります。その選択に至るまでの光秀の苦悩はいかばかりであったでしょうか。 運命の早暁。 急襲の相手が明智勢と知り、信長は目に涙を滲ませながら笑います。 「そうか、十兵衛か。であれば、是非もなし」 信長もまた、この始末をどこかで望んでいたのかもしれません。 父の、母の、妻の、友の、帝の喜ぶ顔が見たい。ただその一心で、天下を目指してきました。そのために多くの犠牲を生み出すことになっても、信長の願いはただそこにのみありました。しかし天下に近づけは近づくほど、人の心は離れていきました。愛を求めるがゆえに自分自身にも歯止めがきかなくなった衝動を、もがき苦しみ続けたこの人生を、誰かに止めてほしかったのかもしれません。 明智兵に応戦する信長は、矢に射られ血を流しながらも、まるで楽しんでいるかのような微笑みを浮かべていました。これが光秀の命を賭けた決断であることを、信長はその魂で受け止めたのでしょう。 光秀自身は門前でことの次第を見守っていましたが、その心は信長のそばにありました。若き頃からの思い出の旅路をともに辿っていました。 ずっとすれ違い続けたふたりの思いは、ここに来てようやく通い合ったのです。 炎にまかれた部屋の中、信長は息絶えました。その死に顔は穏やかでした。胎児のように丸まって、あらゆる渇きから解き放たれ、彼はようやく安寧を手に入れたのかもしれません。 信長という悪を討ち、自分が「麒麟を呼んでみせる」と伊呂波太夫に告げながら、その表情は晴れませんでした。みずからの行いに始末をつけただけのこの謀叛では麒麟を呼べないことを、光秀はわかっていたのではないでしょうか。そしてその後の身の破滅も、もしかしたら悟っていたのかもしれません。 光秀は麒麟を呼ぶことはできませんでした。 しかし後年、家康が彼の託した思いを実現しました。 麒麟は、もしかしたら光秀自身だったのかもしれません。 過去の大河で描きつくされてきた本能寺の変にいったいどんな新解釈の余地があるのか、放送前からそれだけが気がかりでした。 結果的にこの主従の行く末は、長谷川博己と染谷将太の魂と魂がぶつかり合った、大河史に残る一幕でした。 光秀は生きているのかも…と思わせるラストカットも、一年以上主人公の人生に寄り添ってきたものとしては、それはそれで感慨深く余韻が残りました。 終盤展開が駆け足ぎみだったことは残念ですし、暗躍する秀吉や細川の苦悩ももっと観たかった気はしますが、いろいろ(本当にいろいろ)あったこの大河ドラマの結末が満足できるもので良かったと思います。 来週からの『青天を衝け』も、渋沢栄一という地味な題材に最初は惹かれませんでしたが、キャスティングが決定するごとにがぜん興味が湧いてきました(イケメンが多いから…だけでは決してありません)。毎週続きが楽しみになるような、アグレッシブな展開を期待します。
『おちょやん』(承前)
富田林→道頓堀→京都→道頓堀と、千代の人生は2ヵ月でやたらスピーディです。まさか当初のスケジュールどおり3月で終わるなんてことはないよね…? あさイチゲストにテルヲ(トータス松本)が出ると聞き、これは一発大逆転のエピソードが生まれるかと思いきや、その週も逆転どころか火に油を注ぐ展開で終わってしまいました…。プレミアムトークも実に微妙な雰囲気に。テルヲは本当にどうしようもないクズ親父です。救いようがないです。もう撮了していて再登場もあるようですが、今後千代やヨシヲへの愛を見せる場面がどれだけあっても、評価が覆されることはないでしょう(キッパリ)。しかしトータス松本の浮世離れした雰囲気が、このダメ人間っぷりに実にハマっているのですよね。 そしてテルヲに縛られ続けざるをえない千代の心情にも胸が痛みます。どんな人間でも父であり、娘であり、その関係が変わることはありません。どんなクズでも、会いに来たら追い返せない。娘をかばうような発言を聞いたら嬉しくなる。あとでどれだけ傷つけられることになっても、ふたたび顔を合わせれば同じことをくり返してしまう。この解決法は、テルヲがこの世から去るくらいしか見当たらないのですが…。それでチャラになるなんてことにはならないでしょうね、少なくとも視聴者の中では。 高速展開の中でも、芝居の中ではマヤ(ガラスの仮面)的才能の片鱗を見せている千代ちゃんですが、そろそろじっくり、鶴亀家庭劇でもまれて成長する姿を見たいです。今のところ周囲に振り回されてばかりでガヤな一面しか印象にない千代ちゃんも、初恋をあきらめ女優になると決心したのですから、そろそろ地に足つけた大人の雰囲気にチェンジしてもらいたいものです。 ようやく一平と同じ舞台に立つことになり、ふたりの関係にも新しい展開が生まれるでしょう。成田凌も憂いある表情と着流し姿がさまになっています。脇を固める喜劇役者や女形の俳優たちも、これからの見せ場に期待。千之助の貫禄が良いスパイスになりそうです。喜劇王・万太郎とどう絡んでいくのかも楽しみです。
『俺の家の話』
まったく知らなかったのですが、長瀬智也はこのドラマを最後にジャニーズを退所し、裏方に回るそうです。「こ、こんなイケメンがこの世に存在したのか!」とビックリしたのはもう20年以上前のこと。歳を重ねた今でも、持って生まれた華やかなオーラは変わりません。この才能をもってして、何を思って裏方になることを決意したのかはとうていわかりかねますが、ただ「もったいないなあ」と嘆息するばかりです。 クドカンは『あまちゃん』を観るまで食わず嫌いだったため、クドカン×長瀬くんのドラマを観るのはこれが初めてです。能という伝統文化の鎖された世界と、介護という普遍的な社会問題が融合したこの物語は、本来なら重いはずなのに、なぜか笑えるし泣けてしまう。クドカンにしか投げられない変化球をキャストがしっかり受け止めて、阿吽の呼吸で演じているようにも感じます。 久々に会った父親は要介護の状態になっており、「他人の私にできることがどうして息子のあんたにできないの」とヘルパーのさくらに言われて「親子だからできないんだよ」と泣く寿一の姿、息子をお風呂に入れたこともおむつを換えたこともない寿三郎に「あんたが俺にしてくれなかったことを全部やってやる」という寿一の言葉は、介護問題がすぐそばまで来ている自分の心にもずんと響きました。クドカンの言葉は、ユーモアの衣を纏いながら、その下に本質を隠しています。 寿一にとっての寿三郎は、いつも厳しくて、まわりにたくさんの大人がいて、人間国宝で、ずっと遠くて大きい存在だったのに、いつの間にか野菜の名前も言えなくなって、ひとりで生活できなくなって、好きな女性にフラれたことも10分後には忘れてしまう。そんな父親を受け止めて、遺産がなくてもそばにいようと決めた寿一。これからこの親子が、どんな最後の時間をともに過ごすことになるのか。さくらは、寿一の弟妹や寿限無は、それをどう見守っていくのか。 現実のことはひとまず忘れて、ドラマとしてクドカンワールドに身を委ねようと思います。 『天国と地獄~サイコな二人~』 女性刑事と殺人鬼が階段ゴロゴロしたら魂が入れ替わった…というドタバタもの。見どころはやはり、性別の違う中身を演じる綾瀬はるかと高橋一生でしょうか。入れ替わった後のほうが、よりそれぞれの性を過剰に演出している感はありますが、目の覚めた瞬間、まぶたを持ち上げる動作だけで女性の性を感じさせた高橋一生の演技力はさすがですね。 どうやら単純な入れ替わり、ではないような気がします。八巻が割とすぐふたりの入れ替わりに気づいたことはいくら何でも不自然ですし、きっと裏があるのではないでしょうか。また、柄本佑をしてただの居候にあてるわけない気もします。河原もこの後何かと絡んでくるでしょうし、そもそも日高は本当に殺人犯なのか、という疑問もあります。テーマのひとつに「愛」があるようですが、それが彩子と日高の「愛」なのだとしたら、正義感の塊のような彩子が連続殺人鬼を愛するわけないですし。日高はすでに誰かと入れ替わっており、彩子同様捕まるわけにはいかないと考えていたと予想するのが自然なようですね。しかしそこは深く考察せず、展開を楽しんでいきたいと思います。 |
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