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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『大豆田とわ子と三人の元夫』
坂本裕二の脚本はさらなるステージに昇ったのかなあ…という印象。キャラひとりひとりの個性や予想外の展開で魅せるというよりも、インパクトの強いワードを配置する会話劇でまず耳を、そしていつの間にか目も惹きつけられているような気がします。
もちろん、バツ3には見えないとわ子も、それぞれ性格の異なる3人の元夫も、個性がないどころか個性にあふれていますし、とわ子と三人の元夫の離婚の理由、元夫に絡んでくるそれぞれの女性の存在も気になります。
ドラマはながら観することも多いですが、とわ子のファッションやそれぞれの家の内装がオシャレなので画面に集中できるのも良いですね。
ただ、伊藤沙莉のナレーションやエンディング含めた諸々の演出は若干過剰かなぁ…とも感じてしまいます。


『今ここにある危機とぼくの好感度について』
舞台は都内のある大学。学内の不祥事をもみ消そうとする理事たちと、問題提起する非正規職員や学生たちとの間で右往左往する広報部職員が主人公のブラックコメディです。
渡辺あやの描く「大学」は、実に閉鎖的です。単発ドラマだった『ワンダーウォール』は、寮の取り壊しをめぐる学生と大学当局の争いを軸にした物語でしたが、それぞれの温度差の描き方が秀逸でした。若者は常に目の前の事象に疑問を持ちその解決に全力を尽くし、権力をもって自分たちを排除しようという組織があれば、みずからの体内にあふれるエネルギーの持って行き場をそこに定める。社会を知らない血気盛んな若者たちの衝動といえばそれまでですが、優秀な彼らがすべてを俯瞰できないはずはなく、きっと自分たちの立ち位置は理解しているのです。安保闘争の頃ならいざ知らず、現代において抵抗勢力が多数派であることは決してない。社会において、正論がいつも正しいとは限らない。ただ、エネルギーを発散するために自分たちが正義と信じる正義を叫びたくて、正義が勝つことのみが本懐ではないように映るのです。そしてそれを当局も見越していて、「あーはいはい」と柳に風。学生と当局の視線が交わることは決してなく、彼らが正義と信じる正義が勝利する未来は到底見えませんでした。
学生と当局の温度差、そして自分たちのしていることは正義と信じる正義が勝つわけではない社会において無意味であると気づきはじめた学生と気づかないふりをする学生の温度差。いつの間にか、誰もが同じ場所には立っていない。大学が舞台ながら、「青春」のキラキラとはまるで無縁。そういう場所に住む学生にスポットを当てた作品でした。
そしてこのドラマは、『ワンダーウォール』とは逆に、権力側の当局が舞台となっています。
非正規職員という不利な条件でこき使われてきたポスドクが教授の不正を告発し、そしてそれに新聞部が追随し、学内はおおわらわとなりました。補助金や名誉といった建前を守ろうとする理事たちと、そのために不正をもみ消そうとする広報部。正論が正しいとは限らない社会において、それもひとつの正義です。
しかしことなかれ主義で生きてきた真からは、今のところ何の正義も感じません。上司から、理事から、みのりから、それぞれの正義を唱えられても、真にはどれも響いていないようです。その場その場で人の言葉に左右され、しかしその行動原理は常に自分の立場が悪くならないように、好感度を下げたくないというところにありました。当局に敗北したみのりも笑うしかありません。あげくこれからも連絡を取りたいなどと呑気なことをほざくのですから。
しかし、結局のところ、中身のないことしか言えない真も、当局の面々も、変人のミスターレッドカードも、つきつめていけば皆同じなのかもしれません。守るべき正義とは何か。たとえそれが正論でなくても、社会の中で生きていくみずからの身を守ることが正義ではないのか。
世界を変えることなどできないちっぽけな人間たちが集うこの鎖された場所で、真が見る景色がどう変化していくのか、これから見守っていきたいと思います。






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『コントが始まる』
主要キャストが菅田将暉・仲野太賀・神木隆之介、脚本が『俺の話は長い』の金子茂樹とあって、期待値を裏切らない品質のドラマです。
主人公は高校の同級生であるトリオコント師・マクベス。まったくと言っていいほど売れていない彼らは、結成10年を節目に解散を決意しました。仕事先の喫茶店で客として来ていたマクベスを知った里穂子は彼らのファンになり、はじめて訪れたライブでその宣言を聞くことになりました。
夢を追いかけ敗れてきた10年。人生の岐路に立つ彼らは、夢と、現実と、自分自身の心と、仲間と、さまざまな思いと向き合うことになります。
そしてみずからを「疫病神」と称する里穂子、その妹のつむぎもまた、それぞれに傷ついた過去を抱えている様子。マクベスを通じて彼女たちもまた、人生をやり直すことになるのでしょうか。
本当は向き合いたくない、自分の中の自分。『俺の話は長い』も、満の屁理屈とそれに歯向かう家族のやりとりを通して人生の機微を伝えてくれましたが、今回も今のところ決して成功者とはいえない若者たちの不器用な会話のひとつひとつが、彼らのうまく生きていけない歯がゆさとやりどころのないエネルギーを感じさせてくれます。
売れない芸人であるマクベスのコントがまったく面白くないこともまた、現実味を添えています。売れてはいなくても実力のある芸人は確かに存在しますが、売れない芸人の大半が面白くないこともまた事実なのだと思います。
どれだけ好きで情熱を傾けても、報われないことはある。
ドラマは非現実を楽しむものですが、こんな風にリアルを感じさせてくれるドラマならば、切ない気持ちを逆に楽しむこともできるのです。


『おちょやん』(承前)
なんとも辛い一週間でした。
千代と一平が別れるという筋書きはモデルどおりでしたが、その顛末については(鶴亀撮影所守衛を演じた三代目渋谷天外の希望を汲んだかどうかは知りませんが)かなりシンプルでキレイなものになっていました。
それでも、千代の気持ちを思うと辛すぎました。
最初は、一平の「一夜のあやまち」を正妻として寛大な心をもって見逃そうとしました。「灯子に申し訳ない」と口にしたのは、もちろん本心であったと思います。傷つけて申し訳ない。仕事に支障をきたして申し訳ない。しかしそれは千代が一平の揺るぎない妻としてこれからもあり続けると自分も周囲も決めているからできることです。決して不埒者ではない灯子が一平を受け入れたのは、描写こそありませんでしたが、そこに少なからず相手への想いが存在したからなのでしょう。千代の謝罪は灯子からすればまるで妻の立場をふりかざしているように感じたかもしれません。怒りが湧くと同時に、世話になった千代への罪悪感ももちろん大きくて、灯子の心はきっとぐちゃぐちゃだったことでしょう。
しかしそれだけなら、彼らの世界は大きく変わらなかったはずです。
灯子のお腹に子どもがいるとわかった瞬間、揺るぎなかったはずの千代の足元はがらがらと音を立てて崩れ落ちていきました。
子ができたと知って、両親の愛を感じることができず育ってきた一平に親子で温かい家庭を育みたいという欲求が生まれるのはある意味自然なことなのかもしれません。
しかしその相手がなぜ千代ではなかったのか。なぜ浮気された側の千代が、浮気した一平に離婚してくださいと頭を下げられなければいけないのか。
離婚を決めた後、千秋楽の舞台上で一平との思い出を走馬灯のようにめぐらせる千代に、「なんでうちやあれへんの!?」という嘆きに、涙を禁じ得ませんでした。親に恵まれなかったのは千代も同じです。一平と寄り添い、温かい家庭を作っていくはずでした。家族のような劇団の仲間たち、寛治という息子のような存在もいて、それは半ばかたちづくられていたと思っていたのです。
ようやく手に入れた千代の幸せが、こんなかたちで奪われてしまうとは。
不倫した一平と灯子が全面的に加害者であることは当然ですが、彼らの脆さや弱さ、図太さやしたたかさといった人間の本来持つ性質を隠さず表現したことで、ただのドクズと断罪しきれない余白が生まれていました。もちろん一方的な被害者は千代であり、最終的には彼女の涙に感情をすべて持っていかれてしまうのですが、不倫すらもキレイごとに収めがちな朝ドラにおいて、一週間でこれだけ内容の濃く質の高い人間ドラマを観られるとは思いもしませんでした。
間もトーンも最高の「はぁ?」から始まり、観る者の心をぎゅっとつかむ涙を流し、最後に姿を消した千代ちゃん。
これから日本じゅうに笑いを届けてくれると知っているのに、それでも待ってしまいます。千代が笑顔で戻ってくる日を。






『おちょやん』(承前)
鶴亀新喜劇が発足する戦後編が始まりました。
その間、戦時中は福助や百久利が戦死したり、福富の両親が空襲で亡くなったり、寛治が満州に行ってしまったり…と辛いお話が続きました。
劇団という設定上毎回登場人物が多く、これまでヒロインである千代の印象がどうも薄かったのですが、この戦争編では千代がひとり思い悩む場面が多かったため、皮肉にも杉咲花の演技力をじっくり味わうことができるという展開でした。さまざまな経験を経て年齢を重ね、息子のような存在もできて、千代も大人になったのかもしれませんが、静かなセリフ回しやなにげない目線にあふれる感情表現が素晴らしかったです。
千代はにぎやかで饒舌ですが、鶴亀社長やシズという絶対的な存在がいるせいか、千代をきっかけにことが始まることはほとんどありません。そのせいで千代のキャラが今ひとつ感じにくくなっていますが、朝ドラではありがちなヒロインの都合の良いように周囲が動いていく展開でないことは純粋に物語を楽しめている理由になっています。
一平と夫婦になったものの、そのきっかけ以外はあまりふたりの絆を感じられる場面がなく、いまいち座長とその妻かつ劇団員という立場を超えていないように感じていたふたり。次週、「ついにクズ平誕生…?」という話になりそうです。一平の憂いあるたたずまいが好きだっただけに、ちょっとがっかり。
朝ドラですからガチのドロドロ不倫にはならないと思いますが、ふたりが別れてしまう展開は悲しいですね…。結局みつえの言う「女の幸せ」を味わう夫婦生活ではなかったのかと思うと…。しかし、千代の女優人生はむしろここからが本番のはず。悲しい別れを乗り越えて、もっと明るく楽しく、このコロナ禍で沈む日本の朝を照らしてくれるような晴れの物語になることを期待します。
それにしても、寛治から満州で出会ったヨシヲが死んでしまったと語られましたが…。あくまで伝聞ですから、きっとヨシヲは生きているのではないかと思いたい…。千代の晩年に寄り添っているのはヨシヲだと思いたい…。



『青天を衝け』
渋沢栄一というなじみ薄い主人公の物語で、あまり期待はしていなかったのですが、退屈することなく楽しめています。
今のところ歴史の中心からは離れている血洗島の栄一たち庶民パートと、激動真っ只中の江戸パートが、どちらかに偏りすぎることなく均一に描かれているからでしょうか。混乱の中、幕臣たちがそれぞれ抱く思惑も、庶民が徐々に尊王攘夷の思想に染まっていく様子も非常にわかりやすいです。大森美香の脚本はやや軽めですが、情に訴えかけるようなアプローチで複雑な歴史事情を伝えることに成功しています。
今後主従関係となることがオープニングで示されていた徳川慶喜と渋沢栄一。明治維新により慶喜は歴史の敗者として消えていき、栄一は新しい世で実業家として花開いていくということはすでにわかっている事実ですが、血気盛んな栄一と静謐に未来を見据える慶喜、ふたりの性格は対照的です。ダブル主人公ともいえるふたりが今後どう出逢い、どう絆を深めていくのか、そして明治維新後の関係がどうなるのかも期待させられます。
草彅剛のキャスティングはこの大河の目玉のひとつ。絶賛されることの多いつよぽんの演技は今までほとんど見たことがありませんでした。登場当初は、かつてのスーパーアイドルらしいオーラには慶喜のカリスマ性を感じたものの、平板なセリフ回しに、こんな感じなのかと正直腑に落ちませんでしたが、後継争いが熱を帯びていくに従い、否が応でも巻き込まれていく慶喜の心の奥に秘めた思いは、動きに乏しい表情のその両瞳の奥から自然とにじみ出てくるものがありました。淋しさや苛立ち、悲しみ、怒り。たぶん観ている私自身が、今までいろいろなものに煩わされてきたつよぽん自身と重ねてしまっているのかもしれません。
やがて将軍となり、戦の敗者になり、その余生を趣味に過ごした慶喜。大河では今までにいろいろな慶喜が描かれてきましたが、草彅剛が新しい慶喜像を確立してくれるのではと思います。
新しいといえば井伊直弼もそうです。井伊のイメージといえば野心にあふれ、安政の大獄で多くの命を奪った悪の親玉。しかし今回は、風流を愛した気弱な茶歌ポンが歴史の大回転に巻きこまれ、覚悟を決めて悪に変貌していくさまが描かれています。最近印象に残った井伊といえば佐野史郎(『西郷どん』)ですが、行うことは同じなのに解釈によってキャラを変えることができるのが、歴史ドラマの醍醐味ともいえます。ただどちらにしても、単なる悪ではなく、滅び去る者の憂いをどこか感じられるのが良いですね。
と、ついつい江戸パートに目がいきがちですが、田舎とは思えないほど美男美女ぞろいの血洗島も目の保養です。『西郷どん』『いだてん』ではそれほど目立たなかった橋本愛がようやくヒロイン抜擢。本当に素敵な女優さんだと思います。栄一のみならず、喜作、長七郎、平九郎など、今後明治維新をどの立場で迎えるのか気になる人がたくさんいますが、あえて検索せず展開を楽しもうと思います。













『天国と地獄』
意味ありげなセリフや行動、ベテラン俳優が写真で登場などで、さまざまな考察が毎週のようにネットニュースを賑わせていましたが、終わってみれば真相はシンプルなものでした。それで良いと思います。こちらが勝手にあれは伏線だ、写真だけのはずがないと思いこんでいただけですし。
セク原が日高を落とした言葉がこの事件の真相そのものでしたが、もし入れ替わりの秘密に意外などんでん返しがあったり、真犯人が実は…であれば、東朔也が体現した悲しい人生のインパクトは薄れたはずです。
高橋一生と迫田孝也は、実年齢に差もあり、二卵性とはいえ双子の兄弟には見えませんでした(それこそ高橋一生と玉木宏のほうがよほど似ていた)。しかしそれこそ東が苦労して生きてきたことの証になっていましたし、迫田孝也がいい具合にやさぐれ衰えた雰囲気を出していました。
俳優の持つ個性からいかにも怪しさ満点の陸でしたが、最後まで彩子ちゃんの味方だったうえ、潔い引き際と言い残した言葉に惚れてしまいそうでした。イケメンではないのにイケメンに見える、柄本佑はつくづく不思議な魅力を持った俳優です。
八巻も最後まであのままで良かった。凄惨な殺人現場やドキドキハラハラが続く展開において、八巻のドジっ子ぶりは一服の清涼剤でした。朝ドラでも「残念なイケメン」を演じていた溝端淳平ですが、なぜか正統派よりこういう役柄の方が似合っていて、貴重な存在だと思います。
ラスト2回は人格が元に戻っていたので、入れ替わっていた間との演技差を忘れかけていましたが、主役ふたりがラストシーンで見事な演じ分けを見せてくれました。細かいところで疑問点はいくつか残るにせよ、これはこれでオチがついていますからここでジ・エンドかと。


『俺の家の話』
クドカンドラマ独特のラストから遡って構築されていく世界観は、最後に明快で爽快な視聴後感を味わわせてくれます。まるでバラバラのパズルのピースが少しずつ組み合わさって、ラストには壮大な一枚の絵になるような。
ある時は北三陸の海。
ある時は東京の晴れた空に描かれた五輪の雲。
今回は、観山家の笑顔の家族写真でした。
最終回、冒頭のどこか不自然な食卓に違和感を抱いていたら、衝撃的な事実が明かされました。
「え、嘘でしょ? 冗談でしょ?」
茫然自失となる私たちは、寿一の死を受け入れらない寿三郎そのものでした。
「どうして寿一が? これは親を看取る子どもの話だったんじゃないの?」
しかし、本当はそうではなかった。
これは「隅田川」の話だった。
いわゆる伏線は最初から貼られていたのですが、あまりそういうことを考えない視聴者なので、ただただ寿一にハッピーエンドが訪れなかったことを悲しみながら観ていたのですが…。
寿一にとってのハッピーエンドは何だったのだろう。
寿三郎の後継者になることだろうか。
一流のプロレスラーになることだろうか。
秀生の親権を取ることだろうか。
さくらと結婚することだろうか。
どれも、しっくりきません。
「自分がない」と言われていた寿一。いつも誰かのことを思い、誰かのために動いていました。ある時は寿三郎のため、ある時はさくらのため。家族のため、仲間のため、観客のため。寿一はみんなを笑顔にしてくれました。
寿一のいない世界。それでも残された者は、寿一の思いとともに能を、そしてプロレスを続けていきます。いつもそばに寿一を感じながら。
ラスト、リングにぽとりと落ちた寿一のマスク。まるでマイクを残して舞台を去るアイドルのようでした。
長瀬智也もこのドラマを最後に表舞台を去っていく人です。これは、若い頃から第一線で活躍し、多くの人を魅了し続けた長瀬智也への餞のようにも感じました。
長瀬くんの魅力を最大限に味わえたドラマでした。全方位イケメンなのにちょっと抜け感ある、寿一は長瀬くんのイメージそのものでした。
この作品は笑えて泣けて、自分の人生にもしみじみ重ねて、ひとりひとりに愛着があって。
余韻を残しながらも満足感しかありません。
クドカン×長瀬智也を今までにもっと堪能しておけばよかったと後悔しきりです。






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