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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『おかえりモネ』(承前)

パラアスリートの鮫島をサポートすることでスポーツ気象にかかわり、さらには中継キャスターとしての第一歩を踏み出したモネ。菅波との距離も徐々に縮まり、順風満帆に見えた東京生活ですが、新たな暗雲がその行く道を暗くさせます。
光があれば陰がある。
ただ、モネは決して光ではありません。震災という過去、そしてそれによって生まれた罪悪感は彼女の心にずっと暗い陰を落としてきました。罪悪感から始まった今の道だからこそ、迷いも生まれる。しかしモネは逃げることも間違いでないと諭す言葉に支えられ、自分の選んだ道は正しいと信じ直し、光の方へ歩いていきます。出発点は間違いなく暗闇なのです。
しかし未知はそうは思わない。姉は島から逃げたのに、いつの間にかテレビに出て、親の自慢の娘になっている。島から逃げず大学進学もせず島の仕事に就き、優秀な職員としてこれからも島のために働き続けるはずの自分は、いつの間にか姉の光の陰になっていると感じている。親から向けられる愛情や関心の差に敏感な姉妹間にはただでさえ複雑な嫉妬心が絡まるのに、そこへりょーちんをめぐる想いや震災時の共感性の欠如もあって、未知の怒りの原点は複雑です。
モネも思いをぶつければいいのに、震災の時未知を孤独にした罪悪感からそれができない。そんなモネの罪悪感すら、ひとりですべて抱えていると思い込んでいる未知にとっては「ずるい」のかもしれない。モネ、そして未知の涙は、まだ大人として歩み寄れない未熟なふたりにできた距離そのもので、あまりにも痛々しい。
ドラマにとって言葉は大事なファクターです。しかしこの朝ドラはそれをギリギリまでそぎ落とし、真意は言葉によって語られません。モネも、未知も、りょーちんも、菅波も、皆心のすべてを他者に明かすことはしません。しかし人と人は、言葉がなくても相手の思いの端緒を感じ取ることはできます。それがすべてでないにしても、それをきっかけに心はつながる。少しずつ、その距離は埋まる。モネと未知も、きっとこれからなのだと思います。震災をきっかけに生まれてしまった姉妹の乖離は、隠してきた感情を相手に向けることによって埋まっていくのではないでしょうか。
亮と新次親子もまた、震災の喪失感から歩み出せずにいます。行方不明の美波の母は、老い先短い自分があの世に行った時のことを考え、美波の死亡届に判を押してほしいと望む。しかしそれは自分が妻を殺すことだと、ふたたび酒に溺れてしまった新次。父を思い、母を思い、船に乗ることを選んだ亮は、何もかもがつらくなり船を降りてしまいます。
モネも、未知も、亮も、若い彼らは「誰かのため」にその道を選んだ。大人たちはそんなこと望んでいないのに、震災が彼らにその道を選ばせてしまいました。莉子が言ったように、「誰かのため」というのは、実は「自分のため」なのです。それに気づけば、きっと新しい世界も見えてくる。モネは莉子や菅波、祖父の言葉に救われたけれど、早く未知や亮にもその瞬間が訪れてくれればと思います。
あまりにも心の痛む週末となりましたが、前半はモネ&菅波のかわいらしい恋模様が描かれました。はっきりとは口にしないものの、モネへの気持ちが高まっていくにつれ、なぜかどんどん恋するヒロイン化している菅波。週末会う約束しただけでドヤ顔したり、デートにはちょっとオシャレなシャツを着てきたり、父親に会って頭を下げられたことも追い風になったか、もはやすっかり彼氏気分ダダ漏れ。奥手のモネには決定的な言葉が必要だと思うのですが(いわゆる「つきあってください」「はい」のやりとり)大丈夫なのか…? おまけにデートはお流れ、亮の上京と、菅波にとっては波乱の恋路になりそうです。
亮の事情はいったん置いておいて、「果たして亮はモネを好きなのか」問題です。彼氏がいると聞いた時の真顔や、モネには気持ちを吐露するあたり、他の幼なじみとは一線を画した存在になっていることは確かでしょうが、なんだか蛇足の展開になりそうで不安です。おそらく震災で抱えた重荷のことを告白できるのは、関係者でありながらあの場にいなかったモネだけなのかなという気がします。その時の感覚を共有した他の友人に自分だけが苦しみを吐き出すわけにはいかず、よけいなことを言わず話を聞いてくれるモネには話しやすいのかなと。もちろんそれを恋と呼んでも不思議ではないのですが、そうあってほしくはないです。未知の片想いという設定がありながら亮の心にモネを配置するのは残酷です。完全に菅波に捉われているモネの心が、今さら亮に変わるとも考え難いですし…。ただ、亮の心に寄り添える誰かは必要です。それがモネなのか未知なのか…願わくば、新次であってほしい。父親として、苦しむ我が子に向き合ってほしいです。


『青天を衝け』(承前)
時代は明治へ。栄一もパリから帰国してきました。
栄一不在の間、日本は大政奉還そして戊辰戦争と、激動の時を刻んできました。
当然ながらリアルタイムで他国の現状を知ることができない時代。栄一は、ひとの口から何があったかを聞くことになります。観る者も栄一と同じ目線で、慶喜、そして平九郎の顛末を知ることになりました。
草彅剛演じる慶喜は、英知に優れていたがために時代に翻弄されざるを得なかった悲しみの将軍像を体現しています。裏切りと暗躍渦巻く京に放り込まれ、生涯の友のようだった忠臣をも失い、時代の奔流にもまれ続ける我が人生。それでも運命を受け容れることを覚悟したその姿は、崇高なまでの透明感に溢れていました。そんな彼に心惹かれて、栄一も攘夷の志を捨て、海の外へ飛び出したのです。
慶喜と栄一が、いったいどんな再会を果たすのか。敗将となった慶喜は、そして見立て養子を失った栄一は、何を語り合うのか。
戦は、さまざまな人の命を奪っていきました。消えゆく江戸に絶望した川路聖謨はみずからを拳銃で撃ち、新しい世を目指していた小栗上野介は同じ新しい世を求めたはずの薩長に首を斬られました。そして栄一の子となった平九郎。武士になりたいという若者らしい憧れは抱いていても、彼の生来持つ心やさしさは、戦など無縁の血洗島でていと所帯を持ち、お蚕様を育て畑を耕す人生のほうが向いていたのかもしれません。もちろん、彼を養子に向かえた時は、こんな結末が待っていようとは栄一も予想だにしなかったでしょう。時代の歯車は誰もの想像を遥か超えるスピードで彼らを巻き込んでいったのです。
そして戦はまだ終わっていません。北の大地で、今も戦う者たちがいます。
幕府軍の一員として刀を振るう喜作。そして土方歳三。絶望的とも言える抵抗を、彼らは続けています。幕府への忠誠心か、薩長憎しか、大義名分はきっとそれぞれあるでしょう。時代に翻弄されてもなお、己の心にあるそれぞれの義は最後まで守り通さずにはいられないのです。そして討手に選ばれたのは慶喜の弟、昭武。古き世の残党は古き世みずからの手で滅ぼせというのです。
無血開城により江戸の町が焼失することはなかったものの、明治維新で多くの血が流されたのは言うまでもありません。
栄一が新しい世で羽ばたくには、まだもう少し辛い展開を乗り越えなくてはならないようです。






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『ボイスⅡ 110緊急指令室』
2年前放送されたドラマの続編。そこまでハマったわけではないのですが、今季とくに心惹かれるドラマがなかったのでとりあえず録画してみました。
白塗り殺人鬼が刑事の前でいきなりあやしげな舞踊を披露するという冷静に考えればトンデモすぎる場面も、スピード感があるのでついつい見入ってしまいます。おどろおどろしい雰囲気もあいかわらずです。
初回にしてひかりの恋人が殺されてしまうという、今回も悲惨な展開が続きます。演じたのは白塗り野郎の振付担当のダンサーだそうですが、色気のある役者さんだったので少しもったいない気もしました。殺された映像はリアルタイムでなく録画だったので、実は生きている可能性もなくはないですが、このドラマではそういったどんでん返しはなさそうです。それにしても、父親に続いて恋人まで目(耳?)の前で殺されてしまうひかりはいったいどこまで過酷な運命なのか。幸せになってほしいよ。前回は妻を殺され、今回子どもを誘拐される樋口もたいがいですが。
前回の最後、透ってどうなったっけ…と思い出せないでいたら、ちゃっかり復帰していました。彼の抱えたトラウマも、事件にかかわってきそうですね。

『おかえりモネ』(承前)
舞台は宮城から東京へ。気仙沼や登米の面々や風景が魅力的だったので、淋しくなりやしないか心配でした。『あまちゃん』の時も心は北三陸を離れがたくて、東京編になじむには時間がかかってしまいましたが、今回はウェザーエキスパーツの面々が皆あたたかくモネを迎えてくれ、また報道現場の緊張感がリアルで惹きこまれたこともあり、ホームシックの心配はなさそうです。
モネが3回目の受験で気象予報士に合格し、バイトとはいえ希望の職に就き、個性的な大家の下宿の近くには菅沼先生がいるらしい…という、朝ドラらしい予定調和の展開が続きましたが、不思議と鼻につきません。両親は銀行員と教師ですから、妹同様もともとやればできる子でしたでしょうし、菅沼先生という優秀でスパルタな家庭教師もいましたし、通信教育など努力していた描写もありましたし、何よりモネは見守って応援したくなる主人公です。あの時何もできなかったから今度は誰かの役に立ちたいという、内に秘めた強い思いが伝わってくるのです。動機も背景も説得力がありましたし、森林組合の仕事にも真摯に向き合って、段階を踏んで成長している姿がきちんと描かれています。これからも気象予報士としての活躍に期待が持てます。
登米と東京を結ぶのは菅沼先生の役割のようですが、どうやら彼も過去に何かを抱えているようです。落ち込むモネの背に触れられなかったのは、きっと理由があるのでしょう。1300万人が住む東京でバッタリ逢えるのはもう運命やん! …と思っていいのでしょうか。
あの日から、モネは一歩踏み出しました。
一方、あの日から動けない人もいます。
妻と船を失い酒に溺れる新次。友を救えず苦しむ耕治。彼らがもう一度、笑顔で酒を酌み交わす日は訪れるのか。気仙沼の人びとのこれからの描写も気になります。







『今ここにある危機とぼくの好感度について』
観れば観るほど『ワンダーウォール』と対になっているようで、興味深く視聴しました。
最終話のエピソードは、謎の虫刺され症状の原因である蚊の流出をめぐる理事と学長の対立構造でした。好感度ばかり気にして危機回避していた神崎が、大学の面子も投げ打って危機に立ち向かうのかと思いきや、危機を救ったのは学者らしい強い信念とまっすぐさを持った学長であり、これからの危機を彼と一緒に乗り越えてくれるのは逆の立場から守るべきものを訴えた須田理事であり、神崎といえばあいかわらず周囲の影響を受けてあちこちフラフラしていただけでした。
それでもたいていの人は神崎なのです。あっちにもこっちにも振れない。大学という小さな社会においても統率は困難で、危機は次々降りかかる。それを切り抜けるのはいつも「セイロンダメゼッタイ」。正論を唱えたみのりや学生たち、変人の教授や記者。彼らのことを観ている者はあっぱれと思うけれど、現実に存在するセイロンは何かと敬遠されがちです。どんな問題においても、その本質は突かれることなく、なんとなーく忖度されて流されて終わる。単純明快な『半沢直樹』も、現実においてはものごとを複雑にするだけの嫌われ者。そんなパラドックスを、神崎という複雑を知るからこそ単純を好む人間の目を通して描いたこの作品には、忖度社会に生きるこの身にもつまされること多く、考えさせられました。
そして神崎が成長したのかしていないのかわからないのと同じく、セイロンが正義にもきれいごとにも着地せず、どこか宙ぶらりんのまま終わっていることも秀逸でした。正論と忖度の対立構造はこれからも続くであろうし、そのたびに学長と須田のように信念をぶつけて最適解を見出していくしかない。結局どの社会においても、万民が納得する答えなど存在しないのですから。
松坂桃李は好演でした。学生ら若者にも教授や理事たち中高年にもあっさり馴染んでしまう、どこか憎めない愛嬌にあふれていて、ともすれば重くなりそうな物語を軽快にはずませてくれました。
渡辺あやもさすがの脚本力で、見ごたえあるドラマだったと思います。


『大豆田とわ子と三人の元夫』
児童虐待やシングルマザー、少年犯罪、セクハラ問題など、大きなテーマを中心に物語を紡いできた坂本裕二ですが、最近はあえて「特に何も起きない」話を書いているような気がします。
三回の離婚は一般的には大ごとだし、それぞれとわ子に未練を持っている三人の元夫との四角関係ははたから見れば異常なのですが、とわ子は離婚を負い目にしていないし、娘も実父・元義父たちに差をつけずフレンドリーに接しているし、元夫同士にも仲間意識のようなものが芽生えてわちゃわちゃ楽しそうにやっていますし、何の問題もありません。
大豆田という珍名の主人公と、田中・佐藤・中村という平凡な苗字が織りなす、ちょっとしたトキメキやトラブルやお別れというありふれた日常。
建設会社社長であるとわ子の家は、大きくて豪華でいかにもドラマの中のおうちだけれど、網戸がはずれたり戸棚を開けるとパスタがこぼれ落ちてきたり、生活感にあふれています。親友を失っても、号泣する間もなく母を見送った経験を活かして葬儀の手配を進めるのも、悲しみに押しつぶされそうでもお腹は空くことも、いちいち現実的です。
そして、誰かの言葉や行動で、ひとりで生きているわけではないことに気づくのも、ある程度人生を重ねていれば誰しも経験したことがあるでしょう。
非現実なようでありふれたとわ子たちの生活。なにげない会話の中に織り込まれた心に刺さる言葉の数々。大きなことも小さなことも、嬉しいことも悲しいことも、すべてを噛み砕き飲み干しながら人は生きていく。まわりに灯る愛に守られ愛を与え、愛を失い、失ってから残された愛を知る。人生はそんなことのくり返し。とわ子たちも同じ。
観終わってもとくに何も残らない。それなのに、心にひっかかる。坂元作品には不思議な引力があります。


『コントが始まる』
解散を決めたコント師が、その日を迎えるまでの日々を丁寧に描いた物語。青春をとっくに過ぎた自分にも、感じるところは多くありました。
それぞれに、自分の境遇と仲間たちとの日々と、これからについて思いを馳せるマクベスの三人。人生に行き詰まっていた時にマクベスと出逢い、それが縁となり未来へ一歩を踏み出した里穂子とつむぎ。
夢を追うことは美しいけれど、無責任な第三者が安易に口にするものでもありません。三人がそれを選ぶということは、家族に心配をかけ続け恋人を待たせ続け、大人になっている同級生へのコンプレックスを抱え続け、その先があるかもわからない暗闇をまた歩き続けるということ。応援してくれていた恩師の、30代の10年は20代のそれとはまったく違うという発言も決定打となりました。自分もかつて夢を追ったからこその言葉を蹴ってまでそれを選ぶ勇気は彼らにないし、選べという権利も周囲にはない。マクベスの選択は、実に現実的でした。
ドラマは現実逃避の手段でもあります。夢がかなうわけでも一発逆転が起きるわけでもないこの作品は、本来ならつらくて観ていられないはずでした。
それなのに、決して器用に生きられないマクベスの三人や中浜姉妹に感情移入して、目をそらせなくなりました。
高校の文化祭をきっかけにコント師になった春斗たちは、「その時」を忘れられず、コント活動を続けてきました。
「青春」と人は簡単にまとめるけれど、やっぱりあの頃の体験というのは、誰しもの人生に影響を与えるものなのだろうと思います。彼らは成功体験でしたが、そうでなかったとしてもその時にしか味わえない感覚というのがあって、きっと一生絡みついて離れないもの。そこから脱する時、人ははじめて大人になるのでしょう。
華道部で全国大会に出た里穂子も、野球部のマネージャーの仕事にやりがいを感じたつむぎも同じです。「その時」がずっと彼女たちのそばにいて、うまくいかない現状に煩悶を抱えていて、それがマクベスと出逢ったことで、少しずつ人生があかるい方へ動いていきます。花の名前を教えた客に感謝され、花を飾った会社に転職した里穂子。芸能事務所のマネージャーを目指すつむぎ。今まで見守ってくれたすべての人に感謝し、ラストライブを終えたマクベス。そして冷蔵庫を争ったジャンケンの決着がついた瞬間、彼らのちょっとだけ長かった青春は終わりました。
マクベスとしての活動は成功しなかったけれど、その存在を肯定した里穂子の言葉。自分たちは「誰かのため」になった。それを知った春斗は同時に、自分もまた「誰か」によって生かされていることに気づきました。
ならば、すべてを失ったわけじゃない。
これからも、あかるい方を生きていけると思うのです。
人と人の紡ぐ縁が縦糸となり、その日のエピソードを象徴するマクベスのコントが横糸となり、終わった時には一枚の布となっていました。そして初回からのコントは最後のライブの演目順だったことが明かされた時、我々はマクベスの解散までの日々と同時にラストライブを観ていたのだと知り、唸らされました。
脚本の見事さもさりながら、「高校のノリ」をひきずるマクベスを演じた三人の会話は観ていて楽しく、中浜姉妹の距離感も絶妙で、「大人」ポジションの真壁先生やボギーパットの大将、楠木やファミレスの店長たちも実に自然な存在感がありました。春斗と里穂子が恋愛関係にならなかったことも、今後のふたりの関係を想像させられ逆に良かったと思いますし、すべてにおいて本当に素晴らしい青春ドラマだったと思います。
今季は脚本家で観るドラマを選んだのですが、大成功でした。





『おかえりモネ』
『おちょやん』ロスで序盤はハマりきれませんでしたが、静かな展開と心地よい主題歌にだんだん惹き込まれていきました。
舞台は2014年の仙台から始まっていますが、物語が始まっても祖母が病死している以外モネのまわりに喪失感はありませんでした。しかし、島を出たいと家族の前でつぶやいた回想シーンや、過去の記憶をめぐらせた時に涙とも恐怖ともつかない感情に揺れるモネの瞳、展開は徐々に舞台上避けられない「それ」を匂わせ始め、そして第3週、ようやく「それ」はやってきました。
2011年3月11日。音楽科の合格発表で島を出たモネと父。不合格を確かめた後、父に誘われたランチの店で始まったジャズライブに、帰りかけた足を止めたモネ。時計は、2時46分を指していました。
そして被災地に訪れた混乱。長い渋滞の列、停電したガソリンスタンド、朝が来て気仙沼の高台でモネたちが目にした、いまだ消えない港の火災、変わり果てた島と海。誰もが思い出さずにはいられない、あの日の姿が描かれました。
数日後、ようやく島に戻れたモネは、避難所となった学校で幼なじみたちと再会します。
「モネ」と名を呼ぶも、無事の再会を喜び合うわけでもなく、彼女らは虚無の表情でその場に立っていただけでした。おそらく「その時」から、自分たちの悲しみも喜びも置き捨てて、自分たちにできることを懸命にこなしていくしかなかったのでしょう。妹も、祖母の安否を問うモネに答えず泣きじゃくるだけでした。
「その時」に父も姉も不在で、怖くて不安で心細かったであろう妹にモネが抱いたのは、罪悪感でした。
幼なじみたちに対しても同様です。「その時」そばにいられなかった。「その時」を共有できなかった。その原因をモネは音楽だと考えました。音楽が好きで、音楽科を受験するほど打ちこんで、それでも結果は実らなくて、一度は折れた心がジャズの演奏で戻されて。
すべては「その時」のことだった。
モネの中では、「その時」の罪悪感と音楽が深く結びついてしまいました。
「その時」島にいなかった——妹のそばにいてやれず、仲間のように避難所の手伝いもできず、音楽を好きでいたために自分は、音楽は役に立たなかった——。
誰も予測できなかった天災のせいで起きたことを、自分の中で帰結させてしまったモネは幼いかもしれません。それでも、大人でさえあの日を境に考え方を変えられてしまったのですから、15歳のモネが大好きだった音楽を「役に立たない」と捨ててしまったのも自然なことのように感じます。そして、モネの変化に気づかなかった幼なじみは「どうして音楽をやめたの?」と素直な質問を投げかけますが、今も仲良しで大好きな彼女たちにも真意は明かしません。彼女たちに抱いた罪悪感は一生消えない、だから自分は役に立たない音楽ではなく、役に立つことをしたいと願うのでしょう。
微妙な距離感や感情の揺れ幅を、セリフや映像で説明しないこの朝ドラは、朝ドラらしからぬ余白の多い作品です。
モネ自身も、つかみきれない性格です。菅波に厳しいことを言われても反論せず受けとめる素直さや、打ちこめば一生懸命取り組む真面目さを持っていることは伝わりましたが、饒舌でも感情的でもないため、今のところヒロインは森のように静かです。物語も導入部は登米と主要人物紹介の枠をはみ出さず、やや退屈に感じていましたが、モネの過去に触れて一気に大きく動き出したような気がします。気象予報士を目指すという目的の裏付けもできましたし、今後モネがどのように成長していくのか、楽しみです。
目だけで余白を感じさせる清原果耶はその期待を裏切らないはずです。
周囲を固める脇役も魅力的。ヒロインと結ばれるのは誰なのか…お約束でいけば菅波なのでしょうが年齢差が気になりますし、りょーちんは明日美と未知が片想いしていますし、これから東京で新たな出会いがあるのでしょうか。しかし2作続けてヒロインと結ばれない役というのはさすがに坂口健太郎がかわいそう。
まさか朝岡さんはないでしょうが…それにしてもこんなお天気キャスターがいたらそりゃ毎日観ちゃいますね。













『おちょやん』
舞台「千代の一生」。素晴らしい千秋楽でした。
一平と離婚して姿を消した千代の姿は、京都にありました。マヤのごとく舞台上で仮面をかぶれなくなった千代を救ったのは、かつて自分を生家から追い出した栗子でした。彼女こそが花籠の贈り主であり、栗子とその孫にあたる春子とともに暮らすうち、千代が負った深い傷は少しずつ癒されていきました。ラジオドラマでの復帰に背中を押したのも栗子でした。
家族を失い裏切られ続けた千代が、ようやく手に入れた大切な家族の待つ帰るべき家。それを用意したのが、まさかあの憎らしい栗子だったとは。
スタートからラストまで完璧に配置された脚本に唸らされました。半年間待った甲斐があるというものです。
半年の間に、千代は幼女から成長し、恋を知り、女優になり、結婚し、座長を支えるしっかり者の妻になりました。賑やかで元気いっぱいの少女だった杉咲花も、いつの間にか落ち着いた大人の女性になっていました。京都でひっそり暮らす千代の背中は丸みを帯び、人生に疲れ切った中年女性そのものでした。
そしてラジオドラマで花車当郎と巧妙なかけ合いを演じる千代は、子ども役の相談に乗る千代は、まさしく人生の酸いも甘いも噛み分けた熟練のお母ちゃん女優でした。
少女からお母ちゃんになるまで、浪花言葉も含めて完璧に演じ切った杉咲花はさすがの演技力でした。関西以外の出身者が、ただの会話だけでなく、テンポや間の複雑な喜劇を演じなければならない苦労は想像を絶しますが、ネイティブしかも本職のお笑い芸人である塚地武雅と掛け合ってもまったく遜色なく、もっとこの夫婦漫才を観たいという気持ちにかられました。『お父さんはお人好し』、スピンオフでやってくれないかな。
最後はすっかり嫌われた成田凌も、好演だったと思います。心中さまざまな思いを抱えながら真意を見せない一平に、幅広い役柄を演じられる成田凌のミステリアスな神秘性がよくマッチしていました。千代との共演を無事に果たし終え、改めて喜劇に人生を捧げる決意を劇団員に示したシーンは、それまでのどこか迷いや葛藤を捨てきれなかった雰囲気がすっかり抜け落ちて、強い熱意に満ちていました。ホント、次は大河あたりでかっこいい役をやらせてあげて。トータス松本にも言えますが…。
あの世から千代の舞台を観にやってきたテルヲとヨシヲがじゃれあう様子は、何だか泣けました。大人ヨシヲとテルヲが相見えることはなかったですもんね…。
ちび千代=春子を演じた子役の存在感も大きかったです(彼女もネイティブでないと知り驚き。演じ分けもできていましたし将来が楽しみな女優さんです)。最後はちび千代と千代が一緒に月を見上げているような感覚でした。しかし栗子のお腹の子の父親はテルヲではないと思っていたのですが…血のつながりは関係ないという千代のセリフで少し緩和されたかな。

「今ある人生、それがすべてですな」
「生きるっちゅうのはほんまにしんどうて、おもろいなぁ」

その言葉がしみじみと心に沁みます。
本当にしんどかった千代の人生。しかしあらゆる艱難を乗り越えてたどりついた舞台の上は、「おもろい」という言葉が自然と出てくるほど素晴らしい景色が広がっていたのかもしれません。
観ている者もしんどかった半年でした。しかしそれに耐えて迎えたこの千秋楽、おもろい人生を歩んできた、そしてこれからも歩んでいく千代の笑顔に大きな拍手を送ることができました。
このところの朝ドラは秀作続きです。次回も実力ある清原果耶主演ですから、期待が高まります。







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