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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『今ここにある危機とぼくの好感度について』
観れば観るほど『ワンダーウォール』と対になっているようで、興味深く視聴しました。
最終話のエピソードは、謎の虫刺され症状の原因である蚊の流出をめぐる理事と学長の対立構造でした。好感度ばかり気にして危機回避していた神崎が、大学の面子も投げ打って危機に立ち向かうのかと思いきや、危機を救ったのは学者らしい強い信念とまっすぐさを持った学長であり、これからの危機を彼と一緒に乗り越えてくれるのは逆の立場から守るべきものを訴えた須田理事であり、神崎といえばあいかわらず周囲の影響を受けてあちこちフラフラしていただけでした。
それでもたいていの人は神崎なのです。あっちにもこっちにも振れない。大学という小さな社会においても統率は困難で、危機は次々降りかかる。それを切り抜けるのはいつも「セイロンダメゼッタイ」。正論を唱えたみのりや学生たち、変人の教授や記者。彼らのことを観ている者はあっぱれと思うけれど、現実に存在するセイロンは何かと敬遠されがちです。どんな問題においても、その本質は突かれることなく、なんとなーく忖度されて流されて終わる。単純明快な『半沢直樹』も、現実においてはものごとを複雑にするだけの嫌われ者。そんなパラドックスを、神崎という複雑を知るからこそ単純を好む人間の目を通して描いたこの作品には、忖度社会に生きるこの身にもつまされること多く、考えさせられました。
そして神崎が成長したのかしていないのかわからないのと同じく、セイロンが正義にもきれいごとにも着地せず、どこか宙ぶらりんのまま終わっていることも秀逸でした。正論と忖度の対立構造はこれからも続くであろうし、そのたびに学長と須田のように信念をぶつけて最適解を見出していくしかない。結局どの社会においても、万民が納得する答えなど存在しないのですから。
松坂桃李は好演でした。学生ら若者にも教授や理事たち中高年にもあっさり馴染んでしまう、どこか憎めない愛嬌にあふれていて、ともすれば重くなりそうな物語を軽快にはずませてくれました。
渡辺あやもさすがの脚本力で、見ごたえあるドラマだったと思います。


『大豆田とわ子と三人の元夫』
児童虐待やシングルマザー、少年犯罪、セクハラ問題など、大きなテーマを中心に物語を紡いできた坂本裕二ですが、最近はあえて「特に何も起きない」話を書いているような気がします。
三回の離婚は一般的には大ごとだし、それぞれとわ子に未練を持っている三人の元夫との四角関係ははたから見れば異常なのですが、とわ子は離婚を負い目にしていないし、娘も実父・元義父たちに差をつけずフレンドリーに接しているし、元夫同士にも仲間意識のようなものが芽生えてわちゃわちゃ楽しそうにやっていますし、何の問題もありません。
大豆田という珍名の主人公と、田中・佐藤・中村という平凡な苗字が織りなす、ちょっとしたトキメキやトラブルやお別れというありふれた日常。
建設会社社長であるとわ子の家は、大きくて豪華でいかにもドラマの中のおうちだけれど、網戸がはずれたり戸棚を開けるとパスタがこぼれ落ちてきたり、生活感にあふれています。親友を失っても、号泣する間もなく母を見送った経験を活かして葬儀の手配を進めるのも、悲しみに押しつぶされそうでもお腹は空くことも、いちいち現実的です。
そして、誰かの言葉や行動で、ひとりで生きているわけではないことに気づくのも、ある程度人生を重ねていれば誰しも経験したことがあるでしょう。
非現実なようでありふれたとわ子たちの生活。なにげない会話の中に織り込まれた心に刺さる言葉の数々。大きなことも小さなことも、嬉しいことも悲しいことも、すべてを噛み砕き飲み干しながら人は生きていく。まわりに灯る愛に守られ愛を与え、愛を失い、失ってから残された愛を知る。人生はそんなことのくり返し。とわ子たちも同じ。
観終わってもとくに何も残らない。それなのに、心にひっかかる。坂元作品には不思議な引力があります。


『コントが始まる』
解散を決めたコント師が、その日を迎えるまでの日々を丁寧に描いた物語。青春をとっくに過ぎた自分にも、感じるところは多くありました。
それぞれに、自分の境遇と仲間たちとの日々と、これからについて思いを馳せるマクベスの三人。人生に行き詰まっていた時にマクベスと出逢い、それが縁となり未来へ一歩を踏み出した里穂子とつむぎ。
夢を追うことは美しいけれど、無責任な第三者が安易に口にするものでもありません。三人がそれを選ぶということは、家族に心配をかけ続け恋人を待たせ続け、大人になっている同級生へのコンプレックスを抱え続け、その先があるかもわからない暗闇をまた歩き続けるということ。応援してくれていた恩師の、30代の10年は20代のそれとはまったく違うという発言も決定打となりました。自分もかつて夢を追ったからこその言葉を蹴ってまでそれを選ぶ勇気は彼らにないし、選べという権利も周囲にはない。マクベスの選択は、実に現実的でした。
ドラマは現実逃避の手段でもあります。夢がかなうわけでも一発逆転が起きるわけでもないこの作品は、本来ならつらくて観ていられないはずでした。
それなのに、決して器用に生きられないマクベスの三人や中浜姉妹に感情移入して、目をそらせなくなりました。
高校の文化祭をきっかけにコント師になった春斗たちは、「その時」を忘れられず、コント活動を続けてきました。
「青春」と人は簡単にまとめるけれど、やっぱりあの頃の体験というのは、誰しもの人生に影響を与えるものなのだろうと思います。彼らは成功体験でしたが、そうでなかったとしてもその時にしか味わえない感覚というのがあって、きっと一生絡みついて離れないもの。そこから脱する時、人ははじめて大人になるのでしょう。
華道部で全国大会に出た里穂子も、野球部のマネージャーの仕事にやりがいを感じたつむぎも同じです。「その時」がずっと彼女たちのそばにいて、うまくいかない現状に煩悶を抱えていて、それがマクベスと出逢ったことで、少しずつ人生があかるい方へ動いていきます。花の名前を教えた客に感謝され、花を飾った会社に転職した里穂子。芸能事務所のマネージャーを目指すつむぎ。今まで見守ってくれたすべての人に感謝し、ラストライブを終えたマクベス。そして冷蔵庫を争ったジャンケンの決着がついた瞬間、彼らのちょっとだけ長かった青春は終わりました。
マクベスとしての活動は成功しなかったけれど、その存在を肯定した里穂子の言葉。自分たちは「誰かのため」になった。それを知った春斗は同時に、自分もまた「誰か」によって生かされていることに気づきました。
ならば、すべてを失ったわけじゃない。
これからも、あかるい方を生きていけると思うのです。
人と人の紡ぐ縁が縦糸となり、その日のエピソードを象徴するマクベスのコントが横糸となり、終わった時には一枚の布となっていました。そして初回からのコントは最後のライブの演目順だったことが明かされた時、我々はマクベスの解散までの日々と同時にラストライブを観ていたのだと知り、唸らされました。
脚本の見事さもさりながら、「高校のノリ」をひきずるマクベスを演じた三人の会話は観ていて楽しく、中浜姉妹の距離感も絶妙で、「大人」ポジションの真壁先生やボギーパットの大将、楠木やファミレスの店長たちも実に自然な存在感がありました。春斗と里穂子が恋愛関係にならなかったことも、今後のふたりの関係を想像させられ逆に良かったと思いますし、すべてにおいて本当に素晴らしい青春ドラマだったと思います。
今季は脚本家で観るドラマを選んだのですが、大成功でした。





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