『コントが始まる』
主要キャストが菅田将暉・仲野太賀・神木隆之介、脚本が『俺の話は長い』の金子茂樹とあって、期待値を裏切らない品質のドラマです。 主人公は高校の同級生であるトリオコント師・マクベス。まったくと言っていいほど売れていない彼らは、結成10年を節目に解散を決意しました。仕事先の喫茶店で客として来ていたマクベスを知った里穂子は彼らのファンになり、はじめて訪れたライブでその宣言を聞くことになりました。 夢を追いかけ敗れてきた10年。人生の岐路に立つ彼らは、夢と、現実と、自分自身の心と、仲間と、さまざまな思いと向き合うことになります。 そしてみずからを「疫病神」と称する里穂子、その妹のつむぎもまた、それぞれに傷ついた過去を抱えている様子。マクベスを通じて彼女たちもまた、人生をやり直すことになるのでしょうか。 本当は向き合いたくない、自分の中の自分。『俺の話は長い』も、満の屁理屈とそれに歯向かう家族のやりとりを通して人生の機微を伝えてくれましたが、今回も今のところ決して成功者とはいえない若者たちの不器用な会話のひとつひとつが、彼らのうまく生きていけない歯がゆさとやりどころのないエネルギーを感じさせてくれます。 売れない芸人であるマクベスのコントがまったく面白くないこともまた、現実味を添えています。売れてはいなくても実力のある芸人は確かに存在しますが、売れない芸人の大半が面白くないこともまた事実なのだと思います。 どれだけ好きで情熱を傾けても、報われないことはある。 ドラマは非現実を楽しむものですが、こんな風にリアルを感じさせてくれるドラマならば、切ない気持ちを逆に楽しむこともできるのです。 『おちょやん』(承前) なんとも辛い一週間でした。 千代と一平が別れるという筋書きはモデルどおりでしたが、その顛末については(鶴亀撮影所守衛を演じた三代目渋谷天外の希望を汲んだかどうかは知りませんが)かなりシンプルでキレイなものになっていました。 それでも、千代の気持ちを思うと辛すぎました。 最初は、一平の「一夜のあやまち」を正妻として寛大な心をもって見逃そうとしました。「灯子に申し訳ない」と口にしたのは、もちろん本心であったと思います。傷つけて申し訳ない。仕事に支障をきたして申し訳ない。しかしそれは千代が一平の揺るぎない妻としてこれからもあり続けると自分も周囲も決めているからできることです。決して不埒者ではない灯子が一平を受け入れたのは、描写こそありませんでしたが、そこに少なからず相手への想いが存在したからなのでしょう。千代の謝罪は灯子からすればまるで妻の立場をふりかざしているように感じたかもしれません。怒りが湧くと同時に、世話になった千代への罪悪感ももちろん大きくて、灯子の心はきっとぐちゃぐちゃだったことでしょう。 しかしそれだけなら、彼らの世界は大きく変わらなかったはずです。 灯子のお腹に子どもがいるとわかった瞬間、揺るぎなかったはずの千代の足元はがらがらと音を立てて崩れ落ちていきました。 子ができたと知って、両親の愛を感じることができず育ってきた一平に親子で温かい家庭を育みたいという欲求が生まれるのはある意味自然なことなのかもしれません。 しかしその相手がなぜ千代ではなかったのか。なぜ浮気された側の千代が、浮気した一平に離婚してくださいと頭を下げられなければいけないのか。 離婚を決めた後、千秋楽の舞台上で一平との思い出を走馬灯のようにめぐらせる千代に、「なんでうちやあれへんの!?」という嘆きに、涙を禁じ得ませんでした。親に恵まれなかったのは千代も同じです。一平と寄り添い、温かい家庭を作っていくはずでした。家族のような劇団の仲間たち、寛治という息子のような存在もいて、それは半ばかたちづくられていたと思っていたのです。 ようやく手に入れた千代の幸せが、こんなかたちで奪われてしまうとは。 不倫した一平と灯子が全面的に加害者であることは当然ですが、彼らの脆さや弱さ、図太さやしたたかさといった人間の本来持つ性質を隠さず表現したことで、ただのドクズと断罪しきれない余白が生まれていました。もちろん一方的な被害者は千代であり、最終的には彼女の涙に感情をすべて持っていかれてしまうのですが、不倫すらもキレイごとに収めがちな朝ドラにおいて、一週間でこれだけ内容の濃く質の高い人間ドラマを観られるとは思いもしませんでした。 間もトーンも最高の「はぁ?」から始まり、観る者の心をぎゅっとつかむ涙を流し、最後に姿を消した千代ちゃん。 これから日本じゅうに笑いを届けてくれると知っているのに、それでも待ってしまいます。千代が笑顔で戻ってくる日を。 PR |
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