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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『エール』
脚本家が交代した影響か、ずいぶんコメディに偏った作りになっていますが、演者が皆芸達者なので滑ることなく、素直に笑える出来に仕上がっています。といって、シリアスなところはきっちり締めているところもポイント高し。
まるで駆け落ちなどなかったかのような東京でのスピーディでコミカルな展開にうっかり忘れかけていた福島の面々ですが、久々の帰省の日々は裕一の父と弟の熱演で見ごたえある週になりました。兄に対して憎しみを隠さない浩二の気持ちはよく理解できるし、余命を覚悟した三郎の遺した救済もごく自然で、下手をすれば主人公の裕一にとって都合の良すぎる結果になっていたかもしれない福島編は、それまでの人びとの思いをきれいに回収できていたと思います。主演のみならず、脇役に至るまで誰もがその演技に説得力を持たせることができる演技巧者を配していることも、このドラマの成功のもとなのだろうと思います。しかし、ひとつ注文をつけるなら、廿日市はもっとはっちゃけていてもいいかなー。ちょっと太巻感足りないんだよなー。
スピンオフの環と嗣人の恋物語は、2日で描くにはもったいないほど濃密で、珠玉の短編小説を読んだような満足感でした。柴咲コウと金子ノブアキの醸し出す雰囲気は絵画のように美しく、朝ドラとは思えないほど重く、熱を帯びた恋模様でした。余韻を残すラストカットも良かったです。
そしてなんといっても、あらゆるプロの歌い手の美声を聴ける、この贅沢さ! 作曲家役の野田洋次郎まで歌ってくれるとは!
スター発掘オーディションなんて、チラ見せにはもったいないほど実力ある面々でした。今年も紅白があるのなら、ぜひエールコーナーを設けてもう一度聴かせてほしい。もちろん、音と千鶴子さんの『椿姫』、双裏環と藤丸の『船頭可愛や』デュエット、スター御手洗とプリンス久志の対決ふたたび、早稲田応援団の『紺碧の空』、そしてこれから登場するであろう名曲の数々も盛り込んで…。いやー、時間が足りませんな。(もちろん、信楽太郎は白組だよ!?)
これから時局は戦争を迎え、音楽家にとっては辛くなる展開でしょうが、『エール』のある朝が一日も早く戻ってくることを願います。





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『麒麟がくる』
戦国大河ではおなじみ、桶狭間の戦いをもって第一部完となりました。
ここまでは期待を裏切らない、いや期待以上の作品です。
まだまだ存在感薄く、いつも歴史の瞬間に間に合っていない主人公ですが、それを補ってあまりある脇役たちの輝きが素晴らしくドラマを盛り上げています。
まずは迫力満点の齋藤道三。娘婿毒殺で与えた衝撃度は曇ることなく、美濃のカリスマとして観る者を惹きつけました。長良川の戦いの回では敗者として命を落とすも、父殺しの汚名という最後の毒を敵となった我が子に残しました。伊藤英明の苦渋に満ちた表情も胸に迫るものがあり、過剰にドラマチックな演出も気になりませんでした。
道三という求心力を失い、主人公が浪人となってもなお、物語の勢いは衰えません。織田信長というもうひとり強烈な存在感を放つカリスマがいるからです。
染谷版信長は、今まであらゆる俳優が演じてきた信長とはまるで異なります。「ピュア」と紹介されていましたが、そんなひとことで語れる印象でもありません。父を慕い母を恋うもその想いはいずれも届くことなく、妻の帰蝶に全身全霊頼りかかるという子どもを脱しきれない一面もあれば、相手の信頼を得るために堂々たる若武者姿で舅や将軍に相対したり、戦では戦略を練りみずから前線に立って士気を鼓舞したりする冷静な謀略家の姿も見せます。光秀はもちろん、実際には歳下である家康や秀吉よりもずっと若く見える信長が、いかに彼らの上に覇王として立ちはだかるのか、これから天下統一のためにいかなる辣腕を振るっていくのか、桶狭間の終わった今、いよいよ楽しみであります。
もちろん何より楽しみなのは、オープニングの炎の中で雄たけびをあげる光秀、すなわち本能寺の変にいかにしてたどりつくのかということです。この信長とこの光秀が、いかなる主従関係を築き、そしてなぜ謀反へとたどりついたのか。その時、果たして帰蝶はそこにいるのか。光秀は帰蝶にも刃を向けることになってしまうのか。
帰蝶がここまでクローズアップされるとは思ってもみませんでした。織田家のため蝮の娘らしい謀を次々くり出す姿には、なるほどこのキャラだからこそ、そもそものキャスティングだったのだなと得心しました。確かにもったいないことになってしまったものです。しかし川口春奈のあどけない容貌は暗躍の毒々しさをやわらげていますし、回を追うごとに戦国武将の奥らしい貫禄を身にまとっていくのには驚かされました。信忠の存在を知らされた時の場面では、動揺や嫉妬、不安や悲しみといった無数の負の感情と戦いながら、幼い後継者を膝に抱き途方にくれる表情が印象的でした。この時の信長は、死地に向かい残る者にあとを託すという悲愴な境地のはずなのに、まるで隠れてやらかしたいたずらを告白する子どものようで、己の生死さえ他人ごとのように生きる彼の人生観が凝縮されていました。
なんともつかみどころのないこのドラマの信長は、強烈な光を放ち周囲に大いなる影響を与えながら、その眩しさゆえに瞼におさめることは叶わず、いかなる大きさなのかいかなるかたちなのか、まるで見当のつかない恒星のような存在です。この信長を演じられるのは、確かに染谷将太しか存在しないとつくづく思いました。
もちろん、信長&帰蝶以外にも、つかみどころのない朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)、悲劇の将軍義輝(向井理)など、魅力的な人物が次々登場して、今後の展開から目が離せません。マロなイメージを払拭した海道一の弓取り・今川義元(片岡愛之助)も素晴らしかったです。
駒ちゃんの存在意義はいまだわかりませんが…終盤まで待たないといけませんかね(『真田丸』のきりのような)。菊丸もこれから光秀とどう絡んでくるのか、岡村の活躍に期待です。
麒麟がくるまで、気長に待つこととします。


『太平記』
青空文庫で吉川英治『私本太平記』をちびちび読んでいるのですが、尊氏のキャラがまるで違っていて混乱します。もっとも、原作と謳いながらストーリーも大きく異なるようですが。
ドラマではあんなに美青年な尊氏も、あばた面の醜男なうえ藤夜叉への扱いはかなりヒドい。時代的な男女観の違いもあるでしょうが…かなりイケてなくてガッカリです。飄々としていて乱世も颯爽と駆け抜けていくような佐々木道誉も、女をめぐって尊氏に心乱される小さい男のような印象です。そういうちょっとリアルな造形の英雄たちが生きつくした日々を、その息づかいまで聞こえてくるような生々しさで直接心に届けてくるところが、吉川英治の筆致の素晴らしさなのですが。
本では後醍醐天皇がようやく隠岐を脱出したところですが、ドラマはどんどん進んでいきます。『太平記』はとかく相関関係が複雑でわかりづらく、長く日本に根づいた歴史観もあって娯楽作品にするには困難な題材とされていますが、よくここまでまとめあげたものです。ブレない視点のおかげで話を理解しやすいですし、かつ重要ポイントは抑えていますので不自然な急展開もありません。おそらく最後まで歴史の年表を逸脱することなく語り切ってくれるはずです。
そして、当時も「あの片岡鶴太郎が大河ドラマに!」と目を丸くした北条高時のハマりっぷりにはあらためて驚きました。原田泰造や田村淳、『麒麟』の岡村もそうですが、NHKの芸人起用の目は間違いないです。芸人というものは己を馬鹿っぽく見せてナンボですが、片岡鶴太郎というその芸人の第一人者が演じることで、通説にある「うつけ」ではない(かもしれない)高時の人間像に深みが増しました。
佐々木道誉の陣内孝則もバサラ大名らしい華があり、ただならぬ存在感を放っています。『秀吉』でも弟キャラだった高嶋政伸の最期は今から悲しくなるくらいですし、沢口靖子や宮沢りえら女優陣の美しさも現代にひけをとりません。
しかし、もっとも心惹かれているのは緒形拳です。長丁場の大河において、まだ歴史の主役になれない主人公に代わって序盤の物語をひっぱるのは、父親役のようなベテランの存在です(『真田丸』の昌幸がまさにそれ)。原作では病床に伏していて印象のない貞氏ですが、ドラマの貞氏は北条の圧政にひそかな闘志を燃やしながら、しかしそれを決して表に出すことなく、清和源氏の直系の当主として堂々と幕府の権力争いの中で渡り合い、心の炎は息子に託してその生涯を閉じます。表情はほとんど揺るぎなく、しかしその長年の苦悩が刻みこまれたような顔の皺をわずかに震わせるだけで、どれだけその胸の内に情熱を秘めていたかが伝わるのです。尊氏の口数の少なさは親譲りなのでしょう。彼がこれからいかにして父から引き継いだ炎で鎌倉を燃やし、帝を追放し、室町幕府を建てるのか。小説との違いも楽しみながら、一年間の歴史ドラマを堪能したいと思います。






『太平記』
なつかしいーーーーー!
放送当時はそこまで真剣に観ていなかったので、細かい部分はうろ憶えでした。しかし今観ても色褪せない今は亡き名優たちの重厚な演技に魅せられています。そして真田広之がメチャメチャカッコイイ。いや当時も惚れていたけれど、主人公なのにやたら寡黙で反抗期な青年尊氏がカッコよすぎる。
そしてこの頃はまだアイドル的存在だった宮沢りえの演技の棒なことよ…。
ところが、放送日をすっかり忘れていて初回を録り逃してしまったのです…。鶴ちゃん演じる高時に犬合わせで屈辱を味わわされるという名場面を見逃してしもうた。痛恨の極み。まさか早朝に放送されていたとはっ!
そして『太平記』を読みたくなってきました。吉川英治にするか、森村誠一にするか、はたまた原本にするか…。手に入るだろうか?
さらに『太平記』めぐりもしたくなってきました。事態が収束したらもう一度吉野に行こうかな…。

『麒麟がくる』(承前)
もはや十兵衛よりも道三が主人公みたいな前半戦。きたのは麒麟ではなく蝮でした。そして「蝮がいく」その時も近づいてきました。いくは「逝く」です。
鬼気迫る道三の雄たけびには思わず背筋が伸びました。それまで十兵衛を振り回していた吝嗇で自分勝手な上司から、国作りを成してきたプライドをのぞかせる獣のような目、父親として高政に愛憎交錯する横顔、さまざまに表情を変える本木雅弘には圧倒されました。そして遺言かのように十兵衛と信長に未来を託した背中は、あまりにも偉大で、偉大ゆえに孤独なものでした。ほぼ絶望的な戦に出た道三の最期を、そして託された未来のゆくすえを知っているだけに、より痛切に感じます。
そしてもうひとりの年長者である明智光安もまた、ここに来て存在感を大きくしています。西村まさ彦の演じる役柄はいつも少し頼りなげだったり小悪党だったりしていたので、光安もそういう小物だと思っていたのですが、大桑城に向かうことを宣言する場面はずんと心に響きました。メジロを逃がす静の動きと悲痛な思いを爆発させる動の演技の揺れ幅は素晴らしかったです。道三と高政の板ばさみとなった苦悩が、それまでの何気ないシーンで観る者にも蓄積されていたからに他なりません。
道三と命運をともにする光安の最期も、きっと涙なしには観られないでしょう。
まだまだみずからの道を切り拓けない十兵衛ですが、大河ドラマは主人公よりもその周囲を取り巻く脇役が目立たなければ面白くないことも確かです。明智光秀が歴史の表舞台に出てくるのはしばらく先の話。長良川の戦でいったん休止の報道もありましたが、道三と光安が退場し十兵衛が美濃を去るここが前半戦のクライマックスでしょうから、妥当な判断かもしれません。
『国盗り物語』を一気読みし、ますます先が楽しみになってきました。十兵衛も信長もこの小説とはまるでキャラが違いますから、「信長の狂気に心を病んだ光秀の謀反」という今までの描かれ方とは異なる本能寺の変が待っているのだろうと期待しています。
しかし『国盗り物語』は傑作です。今までに何度も読みましたが、年を重ねてから読むとまた印象が変わりました。
若い頃「司馬遼太郎は中年男性が読むもの」と言われたことがありました(中年男性に)。その頃は「中学生が読んでも面白いのに」と思ったものですが、その意味を少しわかったような気がします。若い頃は歴史の巨大な波濤に巻き込まれるかのように没頭したものですが、中年になると「人生とは何ぞや」を登場人物に重ねて読んでいるように感じます。若い頃より死に近づいている今の自分が、小説の中で限りある命を輝かせながら生きる、そしてすでに死んでいる彼らに触れる時、少し先にある自分の死を、その瞬間に終わりを迎える生を同時に考えさせられます。いかに死ぬかを考えるようになった時、それはいかに生きるかを考えなければならないことに今さらながら気づかされるのです。
そして司馬遼太郎が『国盗り物語』を書いたのは今の自分と同じ歳の頃であった事実にもまた、戦慄を憶えています。











外出自粛も8割減も関わりない仕事のため、ずっとカレンダーどおり朝から夕まで出勤でした。
もちろん仕事があるだけありがたいのですが。
ようやくの連休も、出かけられないのでおうち時間。
ドラマの再放送はありがたい!

『JIN-仁- レジェンド』
やっと関西でも始まった総集編。10年前のドラマとは思えないクオリティの高さには、感動すら憶えます。カットされている部分があるのは残念ですが。
放送当時、原作も並行して読んでいたのですが、医療ものの印象が強かった原作に較べて、歴史の大きなうねりに否応なく翻弄されもがきながらも自分の生き方を模索していく仁たちの、人間ドラマの色が濃厚だったストーリーには惹きつけられました。個々のキャラクターだけでなくラストもかなり脚色されていたので、原作とはもはや別物といっていいと思います。そしてどちらも間違いなく素晴らしい作品でした。
今思えば、森下佳子の脚本は突出して見事でした。そしてその文字に鮮やかな色づけをした演者たち、とくに坂本龍馬を演じた内野聖陽は、自分の中ではベストオブ龍馬です。いわゆる「坂本龍馬」の印象は、既成の枠にとらわれない天才型で老若男女問わず人を惹きつける不思議な魅力を持っている、すなわち司馬遼太郎が『竜馬がゆく』の中で作り上げた既成概念が今でも強く息づいている人物ですが、原作の龍馬もまさにそんな雰囲気でした。しかも実物に似せた造形で、まるで写真の龍馬が動いているかのようでしたが、内野聖陽は写真とは似ても似つかぬはずなのに「坂本龍馬」そのものでした。誰でも知っている(ような気になっている)龍馬が、現代によみがえったかのようでした。今までいろいろな俳優が龍馬を演じてきましたが、内野聖陽の龍馬がいちばんホンモノに近い(ような気がする)です。
完結編は原作を読み終えてから観たので、仁と咲が結ばれないラストには悲しくてたまりませんでした。未来というドラマオリジナルの恋人を登場させた時点で、このエンドは決まっていたのかもしれません。しかし切ないながらも、余韻を残す最良のエンドだったと思います。
あらゆる点で、史上最高のドラマだったかもしれません。






『エール』
冒頭の演出には驚かされましたが、ふたりのキャラクターと物語のテーマをはっきり示す斬新な初回でした。東京オリンピックの開会式のシーンでは、後ろでまーちゃんが走っていないか探してしまいましたが。
そして舞台は子ども時代へ。最近のドラマの子役の芸達者ぶり&成長してからの容姿にそっくりさんなのには毎回本当に驚かされます。今回もちび音ちゃんが二階堂ふみに激似と話題になっていましたが、福島三羽烏の子役も窪田正孝&中村蒼&山崎育三郎と雰囲気が似通っていました。とくにちび鉄は「乃木将軍」と呼ばれるだけの腕っぷしの強さと根性を持つガキ大将でありながら、その小さな背に負う陰をよく表現できていたと思います。将来有望ですね。
舞台が家の中から職場に変わって、個性的な脇役が登場するとともに雰囲気が盛り上がってきたように感じます。とくに川俣銀行の面々は舞台俳優がそろっているだけあって、群像劇の見せ方が達者です。銀行のシーンがもう終わりなんて淋しい限り。
音ちゃんパートはミュージックティーチャーがいい味を出しています。どうして朝ドラの音楽の先生は『てっぱん』の岩崎先生といい、おかしな人ばかりなのだろう(そういえば岩崎も話している途中で映像がぶった切られていた)。まあ、あのキャラでないと音ちゃんが裕一より先に恋してしまいそうだが…。
どの段階で脚本家が交代したのかわかりませんが、今のところ可もなく不可もなくといったところです。今は収録できない状況のため、いつ放送が中断するかわかりません。朝ドラを毎日楽しめる日常がいかに恵まれていたのかが身に沁みて感じます。
来週はいよいよ志村けんが登場です。予告だけで泣いちゃいそうでした。

『SUITS2』
あいかわらず日本とは思えないほどオシャレでクールですが、こんなご時世ですから非現実の世界に浸ってじっくり楽しみたいです。
1のストーリーをほとんど憶えていないのですが、甲斐・幸村と上杉の確執って説明あったっけ。吉田鋼太郎が実にうさんくさくて、織田裕二&鈴木保奈美の圧倒的なオーラにも負けていません。大輔と真琴の関係や、あいかわらずな蟹江も含め、今後の事務所内のゴタゴタがどう展開していくのか楽しみ…でしたが、こちらも3話以降は放送未定。
楽しみがどんどん奪われる日々。悲しい限りです。

『今日の猫村さん』
本編はたった2分半。毎回、「え、もう終わり!?」と淋しくなるほど、もっと観ていたくなるミニドラマです。
松重豊が「猫」の家政「婦」を演じると聞いて驚き、その攻めすぎたビジュアルに興味を惹かれたので、毎週動画で視聴しています。
今や演技派俳優として名高い松重豊ともあろう者がなぜ猫の着ぐるみを…と思わないでもありませんが、そこはさすが演技派。一歩間違えればシュールなコントにしかならない絵面が、ちゃんと「ぼっちゃんを探し続ける猫村ねこ」の物語になっていて、爪とぎしたり丸まったり、ちょっとした猫のしぐさも動に入っています。
果たして猫村ねこはぼっちゃんに逢えるのか…。
ミニドラマですから終わりまで放送を観られるよう願います。





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