『麒麟がくる』
戦国大河ではおなじみ、桶狭間の戦いをもって第一部完となりました。 ここまでは期待を裏切らない、いや期待以上の作品です。 まだまだ存在感薄く、いつも歴史の瞬間に間に合っていない主人公ですが、それを補ってあまりある脇役たちの輝きが素晴らしくドラマを盛り上げています。 まずは迫力満点の齋藤道三。娘婿毒殺で与えた衝撃度は曇ることなく、美濃のカリスマとして観る者を惹きつけました。長良川の戦いの回では敗者として命を落とすも、父殺しの汚名という最後の毒を敵となった我が子に残しました。伊藤英明の苦渋に満ちた表情も胸に迫るものがあり、過剰にドラマチックな演出も気になりませんでした。 道三という求心力を失い、主人公が浪人となってもなお、物語の勢いは衰えません。織田信長というもうひとり強烈な存在感を放つカリスマがいるからです。 染谷版信長は、今まであらゆる俳優が演じてきた信長とはまるで異なります。「ピュア」と紹介されていましたが、そんなひとことで語れる印象でもありません。父を慕い母を恋うもその想いはいずれも届くことなく、妻の帰蝶に全身全霊頼りかかるという子どもを脱しきれない一面もあれば、相手の信頼を得るために堂々たる若武者姿で舅や将軍に相対したり、戦では戦略を練りみずから前線に立って士気を鼓舞したりする冷静な謀略家の姿も見せます。光秀はもちろん、実際には歳下である家康や秀吉よりもずっと若く見える信長が、いかに彼らの上に覇王として立ちはだかるのか、これから天下統一のためにいかなる辣腕を振るっていくのか、桶狭間の終わった今、いよいよ楽しみであります。 もちろん何より楽しみなのは、オープニングの炎の中で雄たけびをあげる光秀、すなわち本能寺の変にいかにしてたどりつくのかということです。この信長とこの光秀が、いかなる主従関係を築き、そしてなぜ謀反へとたどりついたのか。その時、果たして帰蝶はそこにいるのか。光秀は帰蝶にも刃を向けることになってしまうのか。 帰蝶がここまでクローズアップされるとは思ってもみませんでした。織田家のため蝮の娘らしい謀を次々くり出す姿には、なるほどこのキャラだからこそ、そもそものキャスティングだったのだなと得心しました。確かにもったいないことになってしまったものです。しかし川口春奈のあどけない容貌は暗躍の毒々しさをやわらげていますし、回を追うごとに戦国武将の奥らしい貫禄を身にまとっていくのには驚かされました。信忠の存在を知らされた時の場面では、動揺や嫉妬、不安や悲しみといった無数の負の感情と戦いながら、幼い後継者を膝に抱き途方にくれる表情が印象的でした。この時の信長は、死地に向かい残る者にあとを託すという悲愴な境地のはずなのに、まるで隠れてやらかしたいたずらを告白する子どものようで、己の生死さえ他人ごとのように生きる彼の人生観が凝縮されていました。 なんともつかみどころのないこのドラマの信長は、強烈な光を放ち周囲に大いなる影響を与えながら、その眩しさゆえに瞼におさめることは叶わず、いかなる大きさなのかいかなるかたちなのか、まるで見当のつかない恒星のような存在です。この信長を演じられるのは、確かに染谷将太しか存在しないとつくづく思いました。 もちろん、信長&帰蝶以外にも、つかみどころのない朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)、悲劇の将軍義輝(向井理)など、魅力的な人物が次々登場して、今後の展開から目が離せません。マロなイメージを払拭した海道一の弓取り・今川義元(片岡愛之助)も素晴らしかったです。 駒ちゃんの存在意義はいまだわかりませんが…終盤まで待たないといけませんかね(『真田丸』のきりのような)。菊丸もこれから光秀とどう絡んでくるのか、岡村の活躍に期待です。 麒麟がくるまで、気長に待つこととします。 『太平記』 青空文庫で吉川英治『私本太平記』をちびちび読んでいるのですが、尊氏のキャラがまるで違っていて混乱します。もっとも、原作と謳いながらストーリーも大きく異なるようですが。 ドラマではあんなに美青年な尊氏も、あばた面の醜男なうえ藤夜叉への扱いはかなりヒドい。時代的な男女観の違いもあるでしょうが…かなりイケてなくてガッカリです。飄々としていて乱世も颯爽と駆け抜けていくような佐々木道誉も、女をめぐって尊氏に心乱される小さい男のような印象です。そういうちょっとリアルな造形の英雄たちが生きつくした日々を、その息づかいまで聞こえてくるような生々しさで直接心に届けてくるところが、吉川英治の筆致の素晴らしさなのですが。 本では後醍醐天皇がようやく隠岐を脱出したところですが、ドラマはどんどん進んでいきます。『太平記』はとかく相関関係が複雑でわかりづらく、長く日本に根づいた歴史観もあって娯楽作品にするには困難な題材とされていますが、よくここまでまとめあげたものです。ブレない視点のおかげで話を理解しやすいですし、かつ重要ポイントは抑えていますので不自然な急展開もありません。おそらく最後まで歴史の年表を逸脱することなく語り切ってくれるはずです。 そして、当時も「あの片岡鶴太郎が大河ドラマに!」と目を丸くした北条高時のハマりっぷりにはあらためて驚きました。原田泰造や田村淳、『麒麟』の岡村もそうですが、NHKの芸人起用の目は間違いないです。芸人というものは己を馬鹿っぽく見せてナンボですが、片岡鶴太郎というその芸人の第一人者が演じることで、通説にある「うつけ」ではない(かもしれない)高時の人間像に深みが増しました。 佐々木道誉の陣内孝則もバサラ大名らしい華があり、ただならぬ存在感を放っています。『秀吉』でも弟キャラだった高嶋政伸の最期は今から悲しくなるくらいですし、沢口靖子や宮沢りえら女優陣の美しさも現代にひけをとりません。 しかし、もっとも心惹かれているのは緒形拳です。長丁場の大河において、まだ歴史の主役になれない主人公に代わって序盤の物語をひっぱるのは、父親役のようなベテランの存在です(『真田丸』の昌幸がまさにそれ)。原作では病床に伏していて印象のない貞氏ですが、ドラマの貞氏は北条の圧政にひそかな闘志を燃やしながら、しかしそれを決して表に出すことなく、清和源氏の直系の当主として堂々と幕府の権力争いの中で渡り合い、心の炎は息子に託してその生涯を閉じます。表情はほとんど揺るぎなく、しかしその長年の苦悩が刻みこまれたような顔の皺をわずかに震わせるだけで、どれだけその胸の内に情熱を秘めていたかが伝わるのです。尊氏の口数の少なさは親譲りなのでしょう。彼がこれからいかにして父から引き継いだ炎で鎌倉を燃やし、帝を追放し、室町幕府を建てるのか。小説との違いも楽しみながら、一年間の歴史ドラマを堪能したいと思います。 PR |
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