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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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17年前に制作された映画ですが、そこに描かれた愛には不変の価値があります。
物語は、ジョンドゥが刑期を終えて出所してくるところから始まります。
彼がなぜ冬なのに夏服なのか、出所した時の風習という豆腐を買ってくれる家族はなぜ来ないのか、その理由である彼のひととなりがわずかな時間で描写されます。
昔は彼のような人をまとめて「変わり者」と評していました。今でこそいろんな診断名がありますが、17年前はさほどでもありませんでした。ましてやジョンドゥが幼い頃に適切な治療を受けられたはずがありません。彼はただの落ちこぼれで兄弟の鼻つまみ者でしかありませんでした。
しかし彼には彼にしか見えない、彼だからこそ見える景色があります。
彼がひとめぼれをした相手は、脳性麻痺を患うコンジュ。彼がひき逃げした被害者の娘です。
順序を守ることのできない彼は、彼女の部屋の鍵を勝手に開けたあげく、彼女を目の前にして欲求を抑えられなくなります。途中で彼女が気を失ったために未遂で済んだとはいえ、立派な暴行です。
このふたりが恋人同士になる――普通ならありえない。
普通でないがゆえに、被害者のコンジュは加害者のジョンドゥを求めます。彼女にも彼女にしか見えないものがあり、彼女だからこそ見える景色の中にジョンドゥを招きました。
キム・ギドクとは違うアプローチで描かれる、普通でないラブストーリー。しかしふたりの間に生まれた愛はこの世界のあちこちにある「普通」のそれと何も変わらず、ふたりは会話し、デートし、関係を深めていきます。
コンジュは空想します。ジョンドゥの隣でふざけたり、踊ったり、キスしたり。空想の中のコンジュは車椅子ではありません。自由に歩き、笑い、歌います。しかしそれは決して現実と比較して嘆いているのではなく、逃避しているのでもありません。恋する女は愛しい人と楽しく過ごす空想の世界に浸りがちです。それは「普通」の恋の姿。そしてジョンドゥの愛に身体を許すことで応えようとするのもまた、「普通」の女の決意です。
破瓜の痛みに耐えながらもジョンドゥの優しさに包まれたコンジュ。
でも、世界はそれを愛とは認めない。
ジャケット写真の男女は、ふたりを演じた俳優です。しかし劇中のふたりとは似ても似つかぬ姿です。いわゆる世間が「普通」と定義する恋人同士のように映っています。
ジョンドゥとコンジュがこのふたりなら、周囲は手放しで祝福してくれたかもしれません。しかし、この姿ではないふたりの間に生まれたのも、紛うことなき恋でした。ふたりは世界の「普通」と何も変わらぬ愛を生み、育てました。写真のふたりは、ふたりの愛を「普通」のフィルター越しに見た姿なのかもしれません。
ならば、「普通」の定義にいったい何の意味があるというのか。
ふたりの「普通」の愛を、誰が否定できるというのか。
真実を訴えるすべを持たないために、分かれ分かれの日を過ごすことになったふたり。しかし女は男の帰りを待ちます。彼があかるくしてくれた部屋を掃き、彼の手紙を読みながら、その日を待ちわびています。
普通でないふたりの「普通」の愛。それは豆腐のように白くて純粋で、そして外部からの干渉にはもろくも崩れてしまう。それでも大事に、そっと包み込んで守らなければいけないものなのです。この世のすべての愛がそうであるように。

【ヤスオーの回想】
 僕はこの映画を「ヤスオーのシネマ坊主」では最初5点満点で3点を付けました。僕もバカではないので、誰もがこの映画の見どころだとわかるコンジュの健常者になった回想シーンでは多少感動しましたし、「ヤスオーのシネマ坊主」にもそこは書きました。しかし、終盤警察に捕まった時に、コンジュが全然話せなくてイライラしました。お前もうちょっと話せてただろ、大事な時に役に立たんなあと。あと、終盤にジョンドゥが警察から逃げて木の枝を切るシーンも、ああその伏線回収するんだね、コンジュはタペストリーに映る木の影怖がってたもんね、確かにこの映画のタイトルはタペストリーの「オアシス」だからね、と思ってシラッと観てましたから、そこまで大した映画でもないなと。
 しかし、後からよく考えてみると、警察ではコンジュもしゃべれてないですが、ジョンドゥも警察に何を言われても殴られても何の言い訳もしていません。こいつは警察に捕まって刑務所に入ることをまったく恐れていません。しかし、警察から逃げて木の枝を切った。誰に何と思われようが社会でつまはじきにあおうが警察に捕まろうがどうでもいいくせに、木の枝だけは切りたかった。それはなぜかというと、この木の枝がコンジュを怖がらせていたからですね。それだけですね。刑務所に入る前にコンジュのためにそれだけは取り除いてあげたかったと。コンジュが安らかに眠れればあとはどうでもいい。これはまさに本当の愛です。今考えても鳥肌が立ちます。ジョンドゥはコンジュのことしか考えていませんから。相手のことしか考えないというのは、口で言うのは簡単ですが、実際はなかなかできないことだと思います。
 どうして僕はこのラストで描かれていた究極の愛に、観ている時は気づかなかったんでしょうか。感受性がなさすぎて嫌になってきますね。ジョンドゥが「俺は刑務所に入ろうがどうなろうがどうでもいいんだ。というか、姫以外のすべてことはどうでもいいんだ。しかし、姫を苦しめるあの木の枝だけは許さない。俺はもう刑務所に入っちゃうから、影が怖くなくなる呪文を姫に唱えられなくなっちゃうからね。」とか言ってくれたらわかったんですけど。しかしこの映画は、とにかく感動して泣きたいだけの疲れたOL向けの陳腐なラブストーリーではないので、このシーンでも説明的なセリフは一切なく、ソンジュがラジオを大音量でかけて、それに気づいたジョンドゥが踊ってただけでしたね。これはこれですごいですけど。世界は2人だけのものですね。何も恐れるものはありません。
 まあ、さや氏と一緒に観ていたので、泣いちゃったら困るからその時は気づかなくてよかったともいえますが。しかしこんなよくできたラブストーリーに3点とか付けたら僕が何もわかってないみたいでみっともないので、後から4点にこっそり書き換えました。こういう観た時はそうでもないのに、喉につまった小さな魚の骨のように脳のどこかでいつまでも残っていて、時折思い出して考えて、ああそういうことだったのかと思う映画が一番評価に困ります。観ている時はむっちゃ面白くてもしばらく時間が経つと忘れる映画もありますから。
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最近『ゴールデンカムイ』という漫画にハマりました。
日露戦争に出征し「不死身の杉元」と称された帰還兵が主人公なのですが、杉元以外にも戦争帰りの男たちが数多く登場します。敵味方に分かれながらも彼らに共通しているのは、戦争で深傷を負っていることです。
身体だけではありません。むしろ、心の方です。
もちろんこの時代にPTSDという病名はありません。ですが杉元も、その他の軍人も皆、戦場に心を残してきています。
「自分を壊して別の人間にならないと戦えない。俺たちはそうでもしなきゃ生き残れなかったんだ」と言う杉元。
人が人でなくなった旅順の戦場。そこがいかに非人道的な場所であったかが、185分という長尺で丹念に描かれています。
なにせ40年近く前の作品ですから、現代のCGを駆使した戦争映画とは比較になりませんが、それでも当時の技術でここまでのスケールの作品を作り出したということに、製作側の気概の大きさを感じます。また、時代的に反戦・非戦といったメッセージ性が強いのではなかろうかという予想を覆し、淡々と戦況や時代背景を時系列に沿って描いています。
『坂の上の雲』での愚将というイメージもある乃木希典ですが、今作では国の威信を賭ける重圧とふたりの息子を失う悲しみを背負いながら、それを押し殺して任務に向かう凛とした軍人として登場しています。武士然とした乃木に対して豪放磊落な児玉源太郎は、彼の盟友であり、また真の理解者でもありました。仲代達也と丹波哲郎という日本を代表する二名の名優が、画面をしっかり引き締めていました。戦争終結後、御前での戦勝報告の途中で涙をこらえきれず、膝をついて涙する乃木に、立ち上がって歩み寄りその肩に手を置く明治天皇の滲み出るような高潔さもまた、さすが三船敏郎といったところです。
また、指揮官側が主人公であった『坂の上の雲』では描かれなかった一兵卒、すなわち杉元側の視点からも戦場のありさまが描かれます。あおい輝彦演じる教師・小賀がそのひとりです。かつてはその教え子たちに「美しいロシア」と説いていた彼ですが、小隊長として従軍した戦場で部下を次々に失っていく現実を目のあたりにし、ロシアへの愛は徐々に憎しみへ姿を変えます。そして何の面識も恨みもないロシア兵との凄惨な一騎打ちの末、命を落とします。日本で彼の帰りを待っていた恋人は、彼の最期を知りません。どんな目をして、どんな所業の果てに逝ったのかを知りません。ただ彼女もまた、彼を奪ったロシアを「美しい」と書くことはできずに嘆くのです。
戦争には勝ちました。しかし、戦争は多くの人の心を奪っていきました。
乃木は明治天皇の崩御後間もなく、その妻とともにみずから命を絶ちます。乃木もまた、まぎれもなく戦場に心を残してきたひとりでした。
「杉元も干し柿を食べたら、戦争へ行く前の杉元に戻れるのかな」というアシリパの言葉に、涙をこらえきれなかった杉元。
彼が救われる日は訪れるのでしょうか。
我を忘れてロシア兵と殺し合った小賀のように、闇に堕ちかけた杉元でしたが、彼を光の方へ引き寄せてくれたのはアシリパの存在でした。最終回は杉元とアシリパがふたり、干し柿を食べるシーンだったらいいな、と思うのですが…。












主演は『レ・ミゼラブル』でも生の苦しみと尊さを歌声で見事に表現していたヒュー・ジャックマン。想像力と行動力あふれる興行師を魅力的に演じています。
P・T・バーナムの生涯については、まったく知りません。おそらく綺麗に描きすぎているところはあるのだろうなとは思います。ただ、あくまでフィクションとして楽しむならば、貧しい生い立ちの男がそのアイディアひとつで富を手に入れ、次に地位を得ようと目論み、仲間や家族と距離ができ、そしてすべて失って、また元の場所に戻り新たな一歩を踏み出す…という物語自体は流れがわかりやすく、重要な場面ごとのミュージカルが高揚感を駆り立ててくれます。
なんといっても、音楽が素晴らしい!
サントラをエンドレスで聴いています。音楽担当は『ラ・ラ・ランド』のスタッフだそうですが、納得のクオリティです。
中でも『This is Me』には心が震えました。
謂れなき差別を受けてきたサーカスの人々。バーナムは彼らを「面白い」と見世物にすることを思いつきました。実際それに対する道義的な批判も少なくなかったといいます。しかし、役割を与えることで彼らは自信を手に入れ、生まれてはじめて光と喝采を浴びました。
そのバーナムに疎まれることとなり、彼らはそれでも「これが私」と歌います。悲しむでもなく、憎むでもなく、彼らが選んだのは自分自身という武器を手に世界へその存在を示し続けることでした。
バーナムが与えたのは、ほんのきっかけにすぎません。世間に疎まれ、日陰でひっそり生きてきた彼らに必要だったのは、きれいごとでも救いの手でもなく、堂々と「これが私」と叫ぶこと。生のエネルギーの爆発が、歌となり、ショーとなり、人びとの心を惹きつけたのです。
夢、愛、そして自尊心。
生きるためのすべての要素が、この作品には詰まっています。
とはいえ、バーナムははっきり言って、クズです。駆け落ち同然で初恋の相手のお嬢様と結婚したはいいけれど、仕事は続かず、夢ばかり追いかけて妻は苦労しっぱなし。サーカスが成功してようやく暮らしが安定したと思ったら、上流階級に認められるため家族もサーカスもそっちのけでオペラ歌手の全米ツアーを企画し、あげく彼女とスキャンダルに。その間にサーカス小屋は全焼、残ったのは借金だけ。かなりのクズです。
それなのに、なんだかどうして魅力的。身分違いの恋を貫いたフィリップの方が浮気者よりよほど立派なはずですが、バーナムに押しつけられた座長の役割をうまくこなせずサーカスの人気が衰えていくさまが描かれているように、バーナムにはやはり人を惹きつける天性の魅力が備わっていたのでしょう。
フィリップといえば、演じていたザック・エフロンは『セブンティーン・アゲイン』の時の印象とまるで異なっていて、最初は気づきませんでした。バーナムとの『The Other Side』の丁々発止のやりとりは見せ場でしたし、アンと空を舞う『Rewrite The Stars』は映像も歌声も美しく切なく胸に響きました。
音楽はすべて心に残っていますが、ジェニー・リンドが『Never Enough』を歌うシーンは、演出も含めて素晴らしかったと思います。バーナムは彼女が「有名な歌手」であるというだけで曲をいっさい聴くことなくコンサートを開くのですが、この場ではじめてバーナムも観客も彼女が真の一流であると知ることになります。そのインパクトを与えるにじゅうぶんな情感あふれる歌声でした。舞台袖で一瞬のうちに魅了されるバーナム、劇場の隅で立ち見する団員たち、なぜか不安に襲われる客席の妻、それぞれの表情や心模様が巧みに織り交ぜられていました。
今は一流歌手であるはずのジェニーが切々と歌う「私は満たされない」。彼女もまた、複雑な過去を抱えていました。共通項のあるバーナムと惹かれ合うのは必然でした。手を(多分)出しておいて結局家族を選んだバーナムに対し、観衆の前でのキスが復讐とはささやかすぎるような気もします。ひとりヨーロッパに帰り、「満たされない」と歌い続けるのでしょうか。切ないです。
すべての場面、すべての登場人物が印象的で、何度でもくり返し観て音楽世界に浸りたくなる、そんな作品でした。











「泣ける!」と解説に書いてあるのに、いざ観てみたら「泣ける…??」といった映画が時折あるので、自分の感受性が乏しくなったのか、いやそもそも感性が歪んでいるのかとそのたびに首を傾げていたのですが、「滲む涙を拭う」どころでない、「嗚咽を必死で我慢する」レベルの作品にこの歳になって出会うこともあるのだなあと、作品とは別の感慨に浸っております。
舞台はメキシコのとある町。ミゲルの家は高祖父が家族を捨て音楽家になったせいで、家族総出で大の音楽嫌い。でもミゲルは音楽が大好きで、家族には秘密で伝説的ミュージシャンのデラクレスを敬愛しています。先祖が帰ってくるという「死者の日」、デラクレスが曾祖母の父親と知ったミゲルは、彼の祭壇に祀られたギターを手にしたことから、死者の国に迷い込んでしまいます。
死者の日は日本でいうお盆にあたります。お国柄こそ異なれど、花で祭壇を飾り、家族みんなでご先祖をお迎えする気持ちは同じ。そして好きな音楽を家族に否定され不満を抱えるミゲルにも感情移入しやすく、すんなりと話に入れます。
マリーゴールドの花びらがしきつめられた橋を渡ると、その先は死者の国。ですがそこは仏画にある極楽浄土の風景とはまるでかけ離れた、カラフルでにぎやかでファンキーな空間でした。出国ゲートにはモニターが設置され、あの世の住人の写真がこの世の祭壇に祀られているかを係員がチェックしています。写真が飾られていなければ、この世へ帰ることはできません。あまつさえ、この世の住人に忘れられてしまうと、あの世で二度目の死を迎えることになるのです。
ミゲルが死者の国で出会った奇妙な男、ヘクターもまた、死者の日に家族のもとへ帰ることかなわず、二度目の死を迎えようとしていました。
死者の国で、ミゲルはさまざまな経験をします。はじめて人前で歌ったこと。あこがれのデラクレスに会えたこと。ミゲルの家の祭壇にあった、顔の破り取られた写真の秘密のこと。ヘクターの正体。ミゲルの家に音楽禁止令を強いた高祖母イメルダのほんとうの思い。
そして、ミゲルのあの世とこの世の家族がくれたたくさんの愛。
そのすべてを持ち帰り、ミゲルは曾祖母ココに『リメンバー・ミー』を歌います。ヘクターが娘のココに伝えるはずだった愛を。消えゆくヘクターの魂を救うために。
ミゲルの歌で、記憶を取り戻したココ。そして家族の絆もまた、音楽によってふたたび深く結ばれたのでした。
翌年の死者の日。イメルダ、そして死者の国に召されたココと手をたずさえ、マリーゴールドの橋を渡るヘクターの姿がありました。この世ではミゲルがギターを弾きながら歌っています。歌い、踊り、生と死を超えて家族がひとつになって楽しむ夜でした。
ピクサー作品らしい、少年の夢と家族愛と勧善懲悪。予定調和のストーリーながら、完璧に仕組まれたプロットに見事に嵌りました。また、細部まで作りこまれたキャラクター造形や死者の国の景色が、この作品の質をいっそう高めているのは言うまでもありません。楽しそうな死者の国にワクワクし、むしろこの世の人間よりイキイキしている骸骨たちにクスリと笑い、ダンテの愛らしい動きに頬をゆるめ、高祖父と信じて疑わなかったデラクレスとの戦いに一喜一憂し。
そして、ママ・ココのしわしわの手。その手に祖母の記憶を重ねないわけがありません。ココが記憶を取り戻す場面で、涙腺は崩壊でした。
ここまで全方向満足させられる作品はそうそうないと思います。
悲しいはずの死まで、しあわせに変えてしまう。
ディズニーの魔法にかけられたような気分です。







●僕らのミライへ逆回転:★★☆☆☆
 
この監督は独特の世界観を持っているのでハマるかハマらないかが全てです。僕は「エターナル・サンシャイン」はハマりましたが、この映画も含めそれ以外は全然です。ふざけたノリも笑えなかったですし、後半みんなで映画を作るのも何の感動もなかったですね。伝説のジャズシンガーの生家が嘘だったとか言われても、最初からそこは気に留めていなかったですし。

●イット・フォローズ:★★★★☆
 
「それ」の斬新な設定をよく思いついたなと感心します。セックスは覚悟をもってするべきだということですね。いい映画じゃないですか。僕もポールのような冴えない男ですから、どうせ普通に長生きしてもジェイのような素人美人とはセックスできないですから、ジェイと2人で毎日セックスをしてお互いに「それ」をうつしあい、逃げまどいながら生きていきますね。

●ブリグズビー・ベア:★★☆☆☆
 
主人公のブリグズビーべアへのこだわりは、僕は普通に気持ち悪いと思います。精神異常者の作ったキャラクターですしね。最初は主人公の周りの人も僕と同じようなことを思っていたのですが、最終的には主人公のこだわりを全員が受け容れ、協力してブリグズビーベアの映画を一緒に作ります。ここに感動するんでしょうが、僕はみんな善人すぎるだろと違和感がありました。

●サイド・エフェクト:★★☆☆☆
 
TVでやっているのをたまたま観たならそれなりに当たりですが、わざわざDVDを借りて観たら損した気分になる映画です。いかにもベテラン監督が作った王道のサスペンス映画で、特に文句をつける所もなくよくまとまっているので、観ている間はそれなりに楽しめますが、新鮮さがないですし、結末に衝撃もないので、おそらく来年にはこの映画のことは忘れているでしょう。

●デビルズ・ダブル:★★☆☆☆

実話ベースなので仕方ないですが、特にストーリーに盛り上がりもなく、オチも弱く、単にウダイの残虐ぶりを描きたいだけの映画に見えますね。それに原作者の主人公は、無理やり影武者にさせられた以外は特に被害はないし、なぜウダイを憎み、逃げようとするのかよくわかりませんでした。自分をウダイの被害者に感情移入した善人に描きたかったのかと勘ぐってしまいます。

●ジャージー・ボーイズ:★★☆☆☆

一緒にブログをしている僕のツレはクリント・イーストウッドが大好きなんですが、僕はそんなに好きじゃないんですよ。たくさん撮っているので数は観てますが、「グラン・トリノ」ぐらいですね良かったのは。これもどういう映画にしたかったのかがよく分からないです。ボーカルは作曲できる奴と組んでソロでうまくやってますし、ラストの全員集合の感動もないですね。

●ソーシャル・ネットワーク:★★★☆☆

マーク・ザッカーバーグの話ですが彼を良くは描いていません。能力はあるし成功もしたけど、他人と心が通じ合えない孤独な自閉症の男に描いています。むしろ、天才に因縁をつけて大金を得た、無能で凡庸な人間の方をいい奴に描いていますので、あまり観ていていい気分になれませんでした。絶対ザッカ―バーグの方がいい奴でしょ。映画の出来はいいんですけどね。

●アンノウン:★★★☆☆
 
最初にけっこうな大きさの風呂敷を広げるので、これをどうまとめるんだとずっと気にして観てましたが、かなり強引なまとめ方とはいえ一応納得はしました。それなりにハラハラドキドキもしてしまいました。どこからどう見ても明らかにB級映画なので、あまり高い評価をするのはしゃくなんですが、楽しんでしまったので仕方ないですね。

●レクイエム・フォードリーム:★★★★★
 
それぞれの登場人物の薬物に手を出すきっかけや、薬物にハマって抜け出せない人間の弱さの表現が上手く、ぐっと物語に入り込めます。映像や編集、音楽なども薬物中毒者の狂った世界観に見事に合っています。悲惨な目に遭っても、最後まで薬物止めたいと誰も思ってないところが薬物の怖さですね。婆さんの病院のシーンは、鬼の僕でも本当に気が滅入りました。名作です。

●ブレイン・ゲーム:★☆☆☆☆
 
面白くないですね。予知能力がある人が2人出てくるのですが、2人の対峙シーンがしょぼすぎてまったく盛り上がりません。もはや本当に予知能力があるのか疑わしいです。おそらく安楽死の是非がテーマなんでしょうが、そんなたいそうなテーマの割にはストーリーがぺらすぎましたね。良いところは、女刑事が色気があったぐらいですが、エロシーンもないですしね。

●ハッシュパピー バスタブ島の少女:★☆☆☆☆
 
バスタブ島に住むことにこだわるおやじは、地元でデカい顔をしたいマイルドヤンキーと同じ心理ですね。こんな酒浸りで教養もない病気のおっさんが都会に出てもただのゴミですしね。主人公である女の子あこんなおっさんに育てられてかわいそうにとしか思わなかったですね。ファンタジーとドキュメンタリーをくっつけたような映画ですが、僕は全然面白くなかったです。

●リメンバー・ミー:★★★★★

ぐうの音も出ないほどの素晴らしい映画です。ここ数年で観た映画の中で一番良いです。家族愛というベタなテーマで、ディズニー映画なのでハッピーエンド縛りなのに、どうしてひねくれ者の僕が感動してしまうのかよくわかりません。特に、現実世界で忘れられたら死後の世界でも消えてしまうとか、写真を飾られないと現実世界に行けないとかいう設定が秀逸ですね。

●スプライス:★★★★☆
 
とんでもないストーリーなので万人受けはしないでしょうが、そのとんでもなさが面白かったですね。ドレンが化学者夫婦のセックスを覗くシーンから、旦那とドレンがセックスするのは読めましたが、嫁がドレンにレイプされて孕まされるまでは読めませんでした。この監督の発想は凡人の遥か上をいってますね。ドレンが最後に女ではなく男の方を殺すのもいいですね。

●ヘルプ 心がつなぐストーリー:★★★★★

黒人差別がテーマの映画で、ラストもハッピーエンドじゃないのに、観終わった後に清々しい気分になるのはこの映画が優れている証拠です。黒人を絶対善に描いていないところもいいです。黒人もケーキにうんこ入れたり指輪盗んだり悪いことしてますし。僕は白人のシーリアが一番好きですね。シーリアの金持ちの旦那が、結婚相手としてシーリアを選んだ理由が理解できます。

●ドリームハウス:★★☆☆☆
 
ウィルの正体については今さら感のあるネタです。監督もそこは気にしてるのか、中盤でネタばらしをします。そして最後もう一捻りあるのですが、それが「家を間違えた」って…サスペンスとしては三流ですね。ウィルとアンの関係も意味深に見えて何もありません。アンをトリックに絡ませたらもっといい映画になりそうなんですが。これではナオミ・ワッツの無駄遣いです。

●リップヴァンウィンクルの花嫁:★★★★☆
 
さすが岩井俊二です。いい映画です。小説や漫画の焼き直しの邦画と違い、自分の表現したいことをきちんと表現しています。だからこそ僕は終盤で安室が泣くのが納得がいきません。これによって、この作品が安っぽくなったような気がします。「リリイシュシュのすべて」や「スワロウテイル」のような荒いが研ぎ澄まされた作品が僕は好きです。岩井俊二も丸くなりましたね。

●インターステラー:★☆☆☆☆

ブラックホールに身体1つで突っ込んでいったら過去の娘の部屋に繋がるなんていくら何でも強引すぎです。典型的なハリウッド娯楽大作のご都合主義の展開ですね。主人公の死ぬ死ぬ詐欺と奇跡の再会によって家族愛を描いているところは「アルマゲドン」に似てますね。どちらも僕は好きじゃないですが。あと長男は不要です。こいつ抜いたらもっと尺を少なくできたでしょう。

●シェイプ・オブ・ウォーター:★★★☆☆

ラブストーリーなのにヒロインがブスで中年なのがいいです。この女と半魚人が惹かれ合う理由はどちらとも弱者だからですね。モンスターはいつもやられ役ですから。監督の弱者を愛する気持ちが映画に込められていて、観た後に温かい気持ちになります。ただ、主人公の友人に黒人やゲイを配置したのはあざといですね。だからこそ獲れたアカデミー作品賞でしょう。

●記憶探偵と鍵のかかった少女:★★☆☆☆
 
記憶探偵は他人の記憶に入るという説明を聞いた瞬間、ああ今見せられているこれは主人公の記憶なんだなと分かってしまうし、明らかに少女は怪しいので、オチには何の驚きもないですが、僕もおっさんなので、そらこの主人公のおっさんも周りが何と言おうがこんなかわいい子が頼ってきたら信じてしまうわなあと思うので、翻弄されるさまを楽しんでましたね。


●グランド・ブダペスト・ホテル:★☆☆☆☆
 
これもロイヤルテネンバウムズも世間の評価は高いですが、僕は両方ダメでしたね。この監督は合わないんでしょう。紙芝居のような軽快なテンポで、少しとぼけていて、登場人物はみんな愛らしいというこの監督の独自の世界観はわかるんですけど、ストーリーが面白くないからイマイチ盛り上がらないんです。この監督の映画はお上品な映画ファン、特に女にウケそうですね。
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さや
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プロ野球&連ドラ視聴の日々さまざま。
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