主演は『レ・ミゼラブル』でも生の苦しみと尊さを歌声で見事に表現していたヒュー・ジャックマン。想像力と行動力あふれる興行師を魅力的に演じています。 P・T・バーナムの生涯については、まったく知りません。おそらく綺麗に描きすぎているところはあるのだろうなとは思います。ただ、あくまでフィクションとして楽しむならば、貧しい生い立ちの男がそのアイディアひとつで富を手に入れ、次に地位を得ようと目論み、仲間や家族と距離ができ、そしてすべて失って、また元の場所に戻り新たな一歩を踏み出す…という物語自体は流れがわかりやすく、重要な場面ごとのミュージカルが高揚感を駆り立ててくれます。 なんといっても、音楽が素晴らしい! サントラをエンドレスで聴いています。音楽担当は『ラ・ラ・ランド』のスタッフだそうですが、納得のクオリティです。 中でも『This is Me』には心が震えました。 謂れなき差別を受けてきたサーカスの人々。バーナムは彼らを「面白い」と見世物にすることを思いつきました。実際それに対する道義的な批判も少なくなかったといいます。しかし、役割を与えることで彼らは自信を手に入れ、生まれてはじめて光と喝采を浴びました。 そのバーナムに疎まれることとなり、彼らはそれでも「これが私」と歌います。悲しむでもなく、憎むでもなく、彼らが選んだのは自分自身という武器を手に世界へその存在を示し続けることでした。 バーナムが与えたのは、ほんのきっかけにすぎません。世間に疎まれ、日陰でひっそり生きてきた彼らに必要だったのは、きれいごとでも救いの手でもなく、堂々と「これが私」と叫ぶこと。生のエネルギーの爆発が、歌となり、ショーとなり、人びとの心を惹きつけたのです。 夢、愛、そして自尊心。 生きるためのすべての要素が、この作品には詰まっています。 とはいえ、バーナムははっきり言って、クズです。駆け落ち同然で初恋の相手のお嬢様と結婚したはいいけれど、仕事は続かず、夢ばかり追いかけて妻は苦労しっぱなし。サーカスが成功してようやく暮らしが安定したと思ったら、上流階級に認められるため家族もサーカスもそっちのけでオペラ歌手の全米ツアーを企画し、あげく彼女とスキャンダルに。その間にサーカス小屋は全焼、残ったのは借金だけ。かなりのクズです。 それなのに、なんだかどうして魅力的。身分違いの恋を貫いたフィリップの方が浮気者よりよほど立派なはずですが、バーナムに押しつけられた座長の役割をうまくこなせずサーカスの人気が衰えていくさまが描かれているように、バーナムにはやはり人を惹きつける天性の魅力が備わっていたのでしょう。 フィリップといえば、演じていたザック・エフロンは『セブンティーン・アゲイン』の時の印象とまるで異なっていて、最初は気づきませんでした。バーナムとの『The Other Side』の丁々発止のやりとりは見せ場でしたし、アンと空を舞う『Rewrite The Stars』は映像も歌声も美しく切なく胸に響きました。 音楽はすべて心に残っていますが、ジェニー・リンドが『Never Enough』を歌うシーンは、演出も含めて素晴らしかったと思います。バーナムは彼女が「有名な歌手」であるというだけで曲をいっさい聴くことなくコンサートを開くのですが、この場ではじめてバーナムも観客も彼女が真の一流であると知ることになります。そのインパクトを与えるにじゅうぶんな情感あふれる歌声でした。舞台袖で一瞬のうちに魅了されるバーナム、劇場の隅で立ち見する団員たち、なぜか不安に襲われる客席の妻、それぞれの表情や心模様が巧みに織り交ぜられていました。 今は一流歌手であるはずのジェニーが切々と歌う「私は満たされない」。彼女もまた、複雑な過去を抱えていました。共通項のあるバーナムと惹かれ合うのは必然でした。手を(多分)出しておいて結局家族を選んだバーナムに対し、観衆の前でのキスが復讐とはささやかすぎるような気もします。ひとりヨーロッパに帰り、「満たされない」と歌い続けるのでしょうか。切ないです。 すべての場面、すべての登場人物が印象的で、何度でもくり返し観て音楽世界に浸りたくなる、そんな作品でした。 PR |
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