突如ラスベガスに現れたフォー・ホースメンという4人組のマジシャン。彼らはプログラムのひとつとして、観衆の前でパリの銀行から金を奪い世間を驚かせました。捜査に動きはじめたFBIとインターポール。彼らはどうやってラスベガスから動かずにパリで銀行強盗を行ったのか? 目的は? その背景は? まるで義賊のように奪った金をばらまくマジシャンたちは、顔も姿もさらし、事情聴取まで受けながらも、警察を煙に巻いていきます。彼らの追跡に躍起になるFBI捜査官のディラン、インターポールから派遣された冷静沈着なメラニー、さらには手品の種明かしをすることで生活しているサディアスと、多彩な登場人物が真相に向かっていきます。 小さな手品から大がかりなショーまで、フォー・ホースメンのくり広げるマジックはまるで魔法です。観ている者も彼らの作り上げる夢の世界に連れ込まれたかのよう。 そもそも、映画も二時間夢を見ているようなものです。夢に細かいルールはありません。 ですから、細かいことを気にしてはいけません。フォー・ホースメンに選ばれた面々がそれぞれ異なった個性の持ち主で役割分担がはっきりしているゴレンジャーのようだ、とか、そんなトリック強引すぎる、とか、もはや手品でなく本当に魔術の域だ、とか、あらゆるツッコミどころが次々浮かんでくるのですが、すぐに消えてしまうくらいテンポが良く展開に惹きこまれる作品です。 ただ、ラストだけはツッコまずにはいられなかった。「真犯人=主人公」って、確か天下一大五郎が最後に犯したミステリのタブー(『名探偵の掟』)だったような…。 ただ、この最後のタブーを犯しておいてどうやって続編につなげるのでしょうか。深く考えず、また魔法にかけられる気分で楽しんでみようかな。 PR 監督が『ボヘミアン・ラプソディ』の関係者とあって似た作りになっていたせいで、若干二番煎じ感を抱いてしまいました。また、フレディ・マーキュリーと違い、エルトン・ジョンや『Your Song』の名前は知っていても彼がどんなミュージシャンでどんな曲を歌っていたのかはまるで知らなかったので、『ボヘミアン』よりピンと来なかった部分があったことは否めません。 ただ、天才は孤独ーーエルトン・ジョンもまた、その方程式から逃れられない人間のひとりだった、ということはしっかりと伝わりました。 しかしフレディとジョンは違う人間です。孤独の苦しみは同じであっても、その背景や立ち直り方はもちろん違います。 アルコールと薬物とセックスの依存症から脱却するための集会で語られ始まる彼の半生の物語。 幼少期から孤独と闘ってきたレジー少年。ピアノと出逢い、才能に目覚め、友と理解者を得て、やがて世界中から称讃と大喝采を受けるようになる。 超満員のライブハウス、奇抜な衣装、酔わせる歌詞とスタイリッシュな音楽。ミュージカルはカラフルでめくるめく。しかし心に届くのは、お金でも名声でも満たされない彼の淋しさと悲しさ。 心の隙間を埋めようと、彼はあらゆるものを手に入れて、あらゆるものを失いました。 ほんとうに欲しかったものは、ひとつだけ。代わりのきかない、永遠に手に入らない、たったひとつだけ。 すべてを語り終えて、彼はようやくそのしがらみから解き放たれる方法を見つけます。彼に、心の充足が、音楽が戻ってきた瞬間でした。 過去と向き合い、音楽への愛を見つめ直す。静かな結末でした。 作品として比較するならば、みずからの音楽を、それへの愛を魂をこめて叫んだライブ・エイドのカタルシスには勝てませんでした。しかしひとりの人間が絶望と破滅からふたたび立ちあがる方法は、人それぞれ。静かに語るエルトン・ジョンとその奇抜な衣装のミスマッチは、天才と孤独の乖離を示しているようでより切なくもありました。 作品の質を高めたのが吹き替えなしで歌い上げたタロン・エガートンの熱演であることは言うまでもありませんが、相棒の作詞家を演じたのが『リトル・ダンサー』のジェイミー・ベルというのも感慨深いものがありました。違うお話であることはわかっているのですが、大人の寛容と包容力を得て成長したビリー少年を観ているような気にもなったのです。 ポン・ジュノや山下敦弘のもとで修行を積んだ片山慎三の初監督作品。キム・ギドクの『悪い男』がベースにあったそうですが、男が女を売春させる以外に共通する部分はありません。 むしろ、人物の心情を遠景で表現する撮り方はさすがポン・ジュノの助監督を勤めただけあって、似通ったものを感じました。また片田舎の小さなコミュニティの中で入り乱れる長閑とは程遠い人間模様は、山下敦弘の『松ヶ根乱射事件』を思い起こしました。 身体障害を理由にリストラされた兄・良夫。知的障害者である妹を抱えての生活は次第に逼迫していき、電気も止められ食べるものにも事欠く日々。そして良夫はある決断をします。 貧すれば鈍す。 お金を出して映画を観る人間のたいていは、その言葉とは離れたところにいるだろうと思います。 兄妹のありさまは、我々のまだ鈍していない感覚を、これでもかと切り刻んできます。 生活のために、売られた妹。それがどういうことを意味するか理解しえない彼女は、素直に感覚の中に身を投げ出します。して、食べて、寝る。彼女は人間の三大欲求に忠実に生きています。どちらかといえば兄寄りの視点を持つ者からは、そのように見えます。 しかし、本当に悲惨なのは、自分はその意味を理解していると思っていた兄のほうなのかもしれません。妹は「理解しえない」と思い込み、自分がどれだけ外道なことをしているのかは「理解している」と思い込み、世界から拒絶された自分たちが生きていくにはこの道しか残されていないと思い込み。 兄もまた、「理解しえない」人間だったのだろうと思います。 友人に借りるのはお金ではなく情報であったはずです。妹が三大欲求に忠実ならば、人としてのあたりまえの尊厳もまた、持っているはずです。自分の罪を許すのは決してその罪を理解していると思い込んでいる自分自身ではないのです。 自分こそ理解しえない人間だったと思い知らされた兄の罰は、これからもきっと続いていくのだろうと思います。兄の前で泣き叫んだはずの妹が最後に見せた笑顔が、永遠に続く地獄の業火なのかもしれません。 して、食べて、寝る。 生まれ落ちれば、そんな欲求を満たすために生き、そして死ぬ。 他人に尊厳を傷つけられて、どれだけもがき苦しもうと、人は容易には死ねません。生きたい。それもまた、人間のあたりまえの欲求だから。人が人として胎内に根づいた瞬間に、三大欲求よりも前に生まれる欲求だから。 だからもしかしたら、この物語の中でいちばんしあわせだったのは、妹のお腹の中にいた誰が父親ともわからない命の種だったのかもしれません。振り下ろせなかったコンクリ片ではなく、冷たい器具によっていとも簡単に生への欲求を潰されたそれは、少なくとも誰かを苦しませることも傷つけられることもせずに済んだのだから。
・母なる証明:★★★★☆
観終わった後は不快感しか残らないですし、真犯人も途中で察しがつきます。ただ、最初と最後の踊りの演出は過剰だとしても、この監督は「母」の愚かで狂った息子への愛情を描きたかったのでしょうから、そこはもう怖いぐらいよく描けていましたね。中盤以降、ぼやかさずに真実をはっきりとこちらに突きつけてくるところも何とも言えない迫力がある作品です。 ・ロケットマン:★★★★☆ 父親が抱きしめてくれさえすればいいんですけどね。世の中には金ではどうしようもないことがありますね。いや僕は例え精神が病んでもエルトン・ジョンのような才能を持って産まれたかったですけどね。ボヘミアンラプソディの2番煎じとしか言いようがないのでそれ以上の評価は付けられないんですが、こちらの方が盛り上がりがないぶん、人物描写は深いような気がします。 ・シングストリート:★★★☆☆ 巷の評判がいいので隠れた傑作なのかと期待してましたが、設定もベタだし、登場人物はステレオタイプだし、ストーリーにも見るべきものはないので、そんなにいい映画とは思いませんでしたね。主人公は最後バンドのメンバーや主人公の良き理解者である兄貴を捨て、女と海外に行くのですが、そういう結局音楽より女かよというエンディングは僕は好きじゃないですね。 ・お嬢さん:★★★☆☆ これはエロの映画なんですね。僕はサスペンス的なものを期待していたのですが、一応三部構成で展開も二転三転するんですが、僕はおーっと思ったのは第一部のラストだけでしたね。あとは本筋のストーリーとあまり関係のないエロシーンを長々と描いた長尺の映画です。最後もエロシーンで、はよ終われと思いましたから。いや独特の薄気味悪い世界観は悪くはないんですが。 ・パージ エクスペリメント:★★★☆☆ このシリーズも長いですねえ。ここまでくると時間軸も最初に戻すしかないですよね。政府介入など安直な新要素はあるとはいえ、もう新鮮味はないです。もうこのシリーズ自体をパージすればいいのではないでしょうか。初期の作品にはあったサスペンス的要素も完全になくなり、もはやアクション映画ですね。ただ、単品のアクション映画として観たら、面白くなくはないです。 ・スプリット:★☆☆☆☆ ありふれた多重人格の主人公の緊張感のない密室スリラーをダラダラと観せられた挙句、ラストでブルース・ウィリスが登場して、はるか昔に観た「アンブレイカブル」と繋がってることがわかります。「アンブレイカブル」は観ていますが、ちゃんと完結していましたから今さらなんだと思っただけで、何の衝撃もなかったです。更なる続編のための新キャラの紹介映画でした。 ・アップグレード:★★★★☆ 少し古臭いし、マニアックだし、あまりお金もかかってなさそうな作品ですが、シンプルに面白かったですね。もう一捻りあれば満点だったのですが。ラストも同じAI物の「エクスマキナ」と同じパターンとはいえ、僕はそれまでステムに好印象を抱いてしまっていたので、かなりショッキングでした。すべての真実が明らかになり思い返せば、ゾクゾクするぐらいの悪党ですから。 私は母でもありませんし、息子でもありませんから、この主人公親子に感情移入できたわけではありません。しかし、なりふり構わず子を守ろうとする母親の気持ちはわかるような気がします。また、それと同時に、母の愛というにはあまりにも常軌を逸した彼女の行動に嫌悪感を抱かざるをえませんでした。 それはトジュンへの愛ゆえなのか。 過去、彼を殺しかけた贖罪なのか。 そしてトジュンは、その母のあらゆる投げかけに対して、応えることはありません。 一方通行の関係、それはトジュンの特性のせいだけではなく、母と子の性なのだろうと思います。 子を守るために人を殺めた母は、「真犯人」が天涯孤独であることを知り、彼の前で嗚咽します。 それは、我が子と同じようにみずからの言葉で潔白を証明できず、代わりに証明してくれる母親もいない彼に湧いた憐憫の情からなのか。 あるいは、我が子への疑いはもう二度とかからないということへの安堵だったのか。 事件の真相は藪の中ですが、母の犯した罪だけははっきりとしています。 彼女が刑法で裁かれることはありません。しかし、彼女にはもっとも重い罪が科せられたのです。すなわち、愛する息子が血で汚したこの手に気づいているかもしれないこと。そしてそれを忘れようと打った鍼は、かの現場で燃え残ったものというパラドックスは、永遠に消え去ることはないでしょう。 あらゆる罪に、罰は必ず訪れるのです。たとえ、どれだけその裏に深い愛があろうとも。いやむしろ、その母の深い愛こそが、罪であったのかもしれません。 ポン・ジュノの操る伏線は、伏線というより必然と感じる力がありました。また、キム・ヘジャの狂気を宿した両瞳とウォンビンの澄んだ両瞳は、まるで本物の親子のごとくぴったり重なって見えました。ポン・ジュノ作品はこれで3作目ですが、いつもストンと心に落ちてくるものがあります。きっと自分の感性にマッチしているのだろうと思います。 |
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