ポン・ジュノや山下敦弘のもとで修行を積んだ片山慎三の初監督作品。キム・ギドクの『悪い男』がベースにあったそうですが、男が女を売春させる以外に共通する部分はありません。 むしろ、人物の心情を遠景で表現する撮り方はさすがポン・ジュノの助監督を勤めただけあって、似通ったものを感じました。また片田舎の小さなコミュニティの中で入り乱れる長閑とは程遠い人間模様は、山下敦弘の『松ヶ根乱射事件』を思い起こしました。 身体障害を理由にリストラされた兄・良夫。知的障害者である妹を抱えての生活は次第に逼迫していき、電気も止められ食べるものにも事欠く日々。そして良夫はある決断をします。 貧すれば鈍す。 お金を出して映画を観る人間のたいていは、その言葉とは離れたところにいるだろうと思います。 兄妹のありさまは、我々のまだ鈍していない感覚を、これでもかと切り刻んできます。 生活のために、売られた妹。それがどういうことを意味するか理解しえない彼女は、素直に感覚の中に身を投げ出します。して、食べて、寝る。彼女は人間の三大欲求に忠実に生きています。どちらかといえば兄寄りの視点を持つ者からは、そのように見えます。 しかし、本当に悲惨なのは、自分はその意味を理解していると思っていた兄のほうなのかもしれません。妹は「理解しえない」と思い込み、自分がどれだけ外道なことをしているのかは「理解している」と思い込み、世界から拒絶された自分たちが生きていくにはこの道しか残されていないと思い込み。 兄もまた、「理解しえない」人間だったのだろうと思います。 友人に借りるのはお金ではなく情報であったはずです。妹が三大欲求に忠実ならば、人としてのあたりまえの尊厳もまた、持っているはずです。自分の罪を許すのは決してその罪を理解していると思い込んでいる自分自身ではないのです。 自分こそ理解しえない人間だったと思い知らされた兄の罰は、これからもきっと続いていくのだろうと思います。兄の前で泣き叫んだはずの妹が最後に見せた笑顔が、永遠に続く地獄の業火なのかもしれません。 して、食べて、寝る。 生まれ落ちれば、そんな欲求を満たすために生き、そして死ぬ。 他人に尊厳を傷つけられて、どれだけもがき苦しもうと、人は容易には死ねません。生きたい。それもまた、人間のあたりまえの欲求だから。人が人として胎内に根づいた瞬間に、三大欲求よりも前に生まれる欲求だから。 だからもしかしたら、この物語の中でいちばんしあわせだったのは、妹のお腹の中にいた誰が父親ともわからない命の種だったのかもしれません。振り下ろせなかったコンクリ片ではなく、冷たい器具によっていとも簡単に生への欲求を潰されたそれは、少なくとも誰かを苦しませることも傷つけられることもせずに済んだのだから。 PR |
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