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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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・祈りの幕が下りる時:★★★☆☆

この映画も先月観た「麒麟の翼」と同じく、ミステリーの面白さよりも、親子の絆を描いた感動物として作っている作品ですが、ちょっと感動してしまいましたので、こちらの方が良い映画です。いや映画としては語るべきところは何もなく、すべてがTVドラマレベルなんですが、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」と同じく、東野圭吾の気合を感じました。原作がいいんでしょうね。

・バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡):★★★☆☆

映像や雰囲気はとても良いです。単純に面白くないですが。ただ、こんな退屈なストーリーでも退屈せずに観れましたし、あまり観ないタイプの作品なので、それなりにいい映画なんでしょう。僕はハリウッドなんかどうでもいいので、作品のテーマには興味がないですが、伏線は回収できていますし、現実、妄想、劇中劇の区別をはっきりと描いていないのも良かったです。

・日本で一番悪い奴ら:★★★★☆

僕はこの映画の主人公のモデルである警官は知っていたので、そらこいつはタイトル通り悪い奴だなと思っていたら、本当に悪い奴はもっと他にいるみたいな終わり方で、なかなか興味深かったです。まあ組織なんて警察に限らずこんなもんなんでしょうが。むしろ主人公とその仲間達はちょっととぼけたいい奴らにも見えましたし。ただ、中盤からは少しだれてしまいましたね。

・MAMA:★★★☆☆
 
ホラー映画のわりに伏線もきちんと回収していますし、ストーリーがしっかりしていますね。オープニングの絵におそらく意味があるだろうと思って一生懸命観ていたら、本当に意味がありましたし。ただ、いや理由は映画の中できちんと説明しているので理屈では問題ないのですが、ラストで母親2人が姉妹を1人ずつ分けてみたいな終わり方は、感覚的に納得いかないですね。
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少年に命を救われた一匹の犬が、何度も生まれ変わりながら自分の「犬生」について考え、答えにたどりつく物語。
イントロダクションを読んだだけですでに涙が浮かんできますが、スタートすぐに箱ティッシュを引き寄せ、鑑賞後には丸めた紙が山盛りになってしまいました。
こういう人間と動物の物語では人間より寿命の短い動物の死を避けて通れませんから、行きつくところが見えてしまいがちなのですが、この作品はその結末を逆手に取って、いくつもの「死」と「新たな犬生」が描かれます。
そしてこの作品内では「犬」はあくまで「犬」であり、人間と犬が互いに言語理解していたり、人間と同等に扱われたりということもありません(犬は人語を解していますが)。
この共存関係は『動物のお医者さん』に通ずるものがあります。チョビやミケの言葉は紙面上人語で表現されますが、ハムテルたちが完全に文字どおり受け取っているかはわかりませんし、あるいは「そう喋っているのかもしれない」という人間たちの想像なのかもしれません。しかし、その大半は通じているはずです。これは犬や猫に愛情をもって接している人ならば共通する事実だからです。
ベイリーを愛したイーサン。ベイリーもイーサンを愛しました。イーサンにベイリーの言葉はすべて伝わらなかったけれど、その愛は確かにふたりの間を往復していました。
アメフトの選手として華々しい人生を送るはずだったイーサンの人生は怪我によって閉ざされました。最愛の恋人ハンナに一方的に別れを告げ、淋しげに旅立ったイーサン。彼を幸せにしたいと願いながら老衰によって閉じられたベイリーの犬生は、犬種も性別も違えて新しい朝を迎えます。
そして、イーサンではない新たな飼い主の人生に光を灯していくのです。
もちろん、すべての飼い主がイーサンに愛を与えたわけではありません。5番目の犬生では、飼育放棄をされました。道端に放棄され、どろどろに汚れ、さまよい、そしてたどりついたのは懐かしいニオイ。かつてイーサンのそばにあったニオイ。生まれ変わっても、歳月を経ても、失わなかった記憶は、彼をイーサンのもとへ導いていきました。
ようやくめぐり逢えたイーサンは、年老いて孤独に暮らしていました。
もちろん彼は薄汚れた大きな犬がベイリーとは気づきません。それでもベイリーは彼を幸せにするために生まれ変わってきたのです。甘いニオイのハンナをふたたび彼のそばへ連れていき、彼を孤独から救い出しました。
そして最後に、「イーサンにベイリーだと気づいてもらうこと」というたったひとつの願いもかなえることができたのです。
犬生とは何かを考え続けながら輪廻転生をくり返したベイリーの決着は、ベイリー自身も幸せに満たされたものでした。
犬や猫を飼う者の使命は、彼らの最期を不幸なものにしないこと。
しかしそれと同時に、飼い主自身の人生も幸せで満たされるのです。
ならば犬や猫も、彼らの使命を果たしているのかもしれません。
私も猫と暮らしていた頃、猫によってもたらされた幸せは少なくありませんでした。いやむしろ、彼らと過ごした日々が幸せそのものでした。
彼らも彼らの使命を果たしてくれていたのでしょうか。
そして「良い猫生だった」と思いながら目を閉じてくれたでしょうか。
そう信じてよいのかな。
戻ってこないうちは、そう信じていたいと思います。








『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』に続く第3作目。
大学生になった2作目のメンバーがふたたびジュマンジの世界で冒険をくり広げます。しかも、ゲームとは何ぞやレベルの老人ふたりのおまけつきですから、過酷な環境で無駄にライフを消費しまくる、前回以上のハチャメチャぶり。
さらに、前回ゲームキャラを演じた俳優が今回は違う中身で演じているのですが、まったく違和感ない芸達者ぶりも見どころのひとつ。
残りライフひとつになっても臆することなく敵に立ち向かっていくクライマックスは、残りライフを逆手に取った逆襲がオチとなっていた前作に較べて不自然さを感じなくもありませんでしたが、流れるような展開とアクションの迫力、新キャラ含めて個性豊かな登場人物たちを前にしては、「細けェこたァいいんだよ!」という声がどこからか聞こえたような気がしました。
前回はジュマンジを体験した若者たちが前向きな未来へ歩き出す話でしたが、今回はエディとマイロという若者よりもずっと死を身近に感じているふたりが、ジュマンジを経てそれぞれの未来を選び取るお話。
残り少ない人生、それでも命ある限り選択肢は無数にあり、それを自由に選ぶことができる。
前回とは違って少し悲しい味わいの、それでも爽やかなラストでした。
ラストシーンは続編を示唆するような雰囲気でしたが、もし4作目があるとしたら、今度はまったく違うメンバーで観てみたいですね。








3・4を鑑賞してからの1なので、これは順を追って観るべきだったと深く後悔しています。
なにせ25年前の作品ですから、CG技術は今とは較べものになりません。
それでも人形や子どもの細かい動きは、さすがだなと思います。そもそもおもちゃたちがしゃべって動いて感情を持っておもちゃのルールに従って行動しているという発想自体が素晴らしいと思います。
しかし、3・4を観てしまってから1のウッディを観ると…。
ちっせぇ…。
ウッディの器、メッチャちっせぇ…。
おもちゃだから子どもと同じ視点、感覚と受け取れば納得できます。ウッディは学級会をしきるクラスの中心格で、個性豊かな同級生がいて、ボーは美少女ヒロインで、バズは一風変わった転校生。確かに、昔読んだ児童文学の登場人物のような面々です。
そんなリーダー風吹かせる自信過剰なウッディが痛い目に遭うのも、対立関係にあった(というかウッディが一方的にライバル視していた)ウッディとバズがトラブルを通じて友情を深めるのもお約束。
そんなお約束をちゃんと最後まで見せ切る力を持っているのも、さすがディズニーアニメーションです。
しかし、その後のピクサー作品を観た時のような感動はありませんでした。
これはひとえにちっせぇウッディのせいかと…。
しかし大物ぶった小物のウッディのキャラに、唐沢寿明の声はぴったりです。ドラマでも『白い巨塔』や『不毛地帯』のような重厚な役柄よりも、こういうちょっと自信過剰だが実は気の小さいキャラ(『エール』のお父さん)のほうがハマっていると感じますから。








アメリカの片田舎。娘を惨殺された母親が犯人を逮捕できない警察を批判する3枚の看板を掲げたことから、彼女と警察の周囲に起きる波紋を描いた作品です。
イントロダクションだけなら、閉鎖的な町の無能な警察が悪であり、母親は一方的な被害者であると位置づけられそうですが、現実はそうではありません。
母親が名指しで批判した警察署長は地域の人びとの信頼厚く部下からも慕われ、家族愛にもあふれた人格者であり、事件解決にも決して後ろ向きではありません。町の人びとからすれば彼は絶対的な善であり、彼を批判した母親は悪です。しかし犯人を捕まえられない彼は、母親からすれば悪でしかありません。
事件を解決できないことを思い悩み、そして病にも襲われた彼は、みずから命を絶ちます。
彼を死に追いやったのは3枚の看板のせいだと、残された家族が思うことは不自然ではありません。
もちろん、母親が望んでいたのは彼の自死などでは決してありません。しかし彼女は、遺族から、あるいは彼を慕っていた部下からすれば絶対的悪たる存在となってしまったのです。
人は、他者とのかかわりなく生きてはいけません。
つまり自己とは、他者の中で生まれてはじめて確たる存在となるのです。
母親の中で生きていた署長と、家族の中で、あるいは部下の中で生きていた彼とは同一にして同じではありません。
ならば、自分という存在は、決してひとりではないのかもしれません。
母親。署長。そして部下。3人の主たる登場人物は、それぞれに思い、行動し、そしてまたそれぞれの中でそれぞれの人格として生きています。
人は他者によって生かされているともいえます。
愛。憎しみ。後悔。復讐。信念。諦め。そして希望。
他者とかかわることによって生まれるさまざまな感情にもまれ苦しみながら、それでも人は生きていかなければなりません。
生きること。それは他者を受け容れること。他者の中に存在する自分を受け容れること。
その瞬間から、人の人生は始まるのかもしれません。










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プロ野球&連ドラ視聴の日々さまざま。
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