忍者ブログ

いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
<<  < 123456789 >  >>
・罪の余白:★★☆☆☆

主役のおっさんと木場咲以外の人物描写が浅すぎます。悪女の木場咲を演じた吉本美憂という女優しか、おいしいところがない作品なので、彼女を売り出すために、プロモーション映画を撮りたかったんでしょうね。

また、この映画は、木場咲が憎たらしく思えないと、ラストでカタルシスは得られないのですが、僕が一番好きなシーンは、女優の夢のために一生懸命頑張ってきた木場咲が、芸能事務所の社長にケチョンケチョンに言われて泣いているところですし、つまり木場咲を嫌いにはなれなかったですね。あの場面での涙は本音でしょうから、サイコパスでもないでしょうし。現実社会にはもっと悪い奴がたくさんいますしね。なのでこの映画の評価はどうしても低くなってしまいます。

しかし久しぶりに映画を観たので、こういう世界観が狭くて浅くて単純明快な、映画とTVドラマの中間のような作品が、見やすくてちょうどいいですね。おっさんの同僚が運転下手なところとか、軽い伏線も心地よいです。しかしなぜ、木場咲はおっさんの娘にガチの夢を語ったんでしょうかね。つい口から出てしまったんですかね。やはりこいつはサイコパスではないですね。

・ギヴァー 記憶を注ぐ者:★★☆☆☆

感情と記憶を無くした管理されている人間の世界という、古典的ですが最近はあまりみない世界観の映画です。モノクロの世界の映像もとてもきれいで、最初は重厚さを感じて興味を引きましたが、イマイチでしたね。

まず、どうしてこんな世界ができたのか、過去に何があったのかがまったく描かれていませんし、主人公は記憶を受け継ぐ役割なんですが、この役割の必要性もよくわからない。監督は、人間には感情が必要で、それによって生まれる負の要素も受け入れてこそ、人間が人間として生きる世界なんだと言いたいのでしょうが、僕はこの管理された世界も飯がまずそうということ以外はそこまで嫌だと思いませんし、すべり台のシーンも楽しそうですし、どっちもどっちだなあぐらいしか思いませんでしたから。

こんなに平和で統制のとれたコミュニティがなぜだめなのか、ということは絶対に説明をしないとだめです。主人公の家にいた赤ちゃんが「解放」されるからでは、かなり説得力が弱い気がします。そのせいでラストに何の感動もありませんから。さらに、中途半端に友情や恋愛の要素を入れるから、よけい仕上がりがチープになりましたね。

・TIME/タイム:★★★★★

まず、通貨単位が寿命という設定が秀逸です。僕らの世界では金がなくなってもおそらく死ぬことはないでしょうが、この映画の世界では金(寿命)がなくなったら即死です。さらに、この映画では富裕層が寿命を貧しい人から搾取していますので、主人公を含むスラム街の貧乏人はみんな寿命あと1日とかで生きています。なので開始5分でスラム街の悲壮感、緊迫感をヒリヒリと感じ、すぐにこの映画の世界にハマってしまいます。

この映画は、ラストでこの矛盾だらけの社会そのものが変化するわけではなく、なぜこんな社会になったのかの説明もありませんでしたし、主人公とヒロインは草の根運動ばかりしていますが、寿命が通貨という社会で、主人公は自分の寿命欲しさに信念を曲げない奴なので(最初ちょっと贅沢してましたが)、危なっかしさや爽快感も半端なく、ベタなキャラクター設定とはいえとても魅力的に映ります。

というわけで、とても面白い映画なのですが、Yahoo!映画の評価平均が3.19とそんなに高くありません。だからこそ僕はこの映画を今まで見逃しており、YOU TUBEで黒帯の大西という芸人が勧めていたのでたまたま観たのですが、あやうくこんな面白い映画を観ずに死ぬところでした。たしかにアクション映画としてはそれなりですし、人間ドラマとしてはテーマを深く掘り下げていないとこから物足りず、ラブストーリーとして観ても人物描写や感情表現が薄っぺらいので、間違いなく意識高い系の映画ではありませんが、とにかくシンプルに面白いので、★5です。

・LION/ライオン~25年目のただいま:★★★★☆

この映画は観る前の予想と違い、少年時代の描写がけっこう長いです。ただ、この少年時代が特に良かったですね。僕のような子ども苦手な人間でも感情移入してしまうぐらい、少年を演じている子役の演技が上手いですし、ストーリーも波瀾万丈すぎるというか、いやインドならそんなものなのかもしれませんが、とにかく過酷な人生で、観ていて胸がしめつけられます。

逆に主人公がでかくなってからはそんなに面白くなかったですね。すっかり陽キャになってますし、女に手を出すのも早いです。ちなみにこの女がヒロインなのですが、ヒロインは、僕は出さなくても良かったかなあと思いますね。別れたりひっついたりしているのですが、このヒロインがどこまで主人公の幼少期のトラウマを共有し、支えてあげたいのかもよくわからないし、主人公がどこまでヒロインを必要としているのかもよくわからなかったです。

ただ、主人公は実の親と離れ離れになったという心の傷を抱えていて、これは僕もそういう不幸な生い立ちの子どもに関わる仕事に就いていたので痛いほどわかりますし、そこからは一転主人公は陰キャになってしまい、その苦悩の末のラストの再会のシーンは良かったですね。しょうもない演出もなく、淡々と見せているのがいいんです。グーグルアースを観ながら思い出す、幼少期の記憶の中の景色のシーンも良かったです。

・ロストフロア:★★☆☆☆

少し前に観た「TIME/タイム」はYahoo!映画の評価と異なり面白かったのですが、この映画は低い評価通り面白くなかったです。

マンションの7階から1階に階段を降りて行った主人公の子供2人が姿を消すという設定は面白いのですが、開始数分間で主人公の普段の言動をわざとらしく描いているので、ああそういう奴ならひどい目に遭わされるわなあと思ってしまうので、主犯はすぐにわかります。怪しい登場人物はたくさん出てくるのですが、ほとんどの奴は怪しさがわざとらしいので、管理人と警官以外は消えます。そしてそのうち1人はわざとらしいセリフを吐くので、すぐにこいつも一味かと察しがつきます。

子供達が行方不明になる方法については、トリックも何もありません。主人公が無理矢理子ども達をエレベーターに乗せたらどうする気だったのでしょう。到底ミステリーと呼べるものではないので、火曜サスペンス劇場レベルのサスペンスドラマでしたね。


・グッドネイバー:★★☆☆☆

ジャケットに「ヴィジット」「ドントブリーズ」に続く老人スリラーとありますが、まったく違うジャンルですし、僕みないにこの2作を観ていてなおかつ評価も高い人間は、この映画を観たらがっかりするでしょうね。こういう煽り文句はマイナスでしかないです。

老人が怪奇現象に驚かないという基本的な謎は解明できていますし、雨戸の修理のシーンやダンスのシーンなど、グレイニーの性格や、実際にグレイニーが今この家で、どのような思いで生きているかも一応描いています。ただ、裁判のシーンの挿入はこういうストーリーならいらないと思いますし、近所の犬の散歩してる人との言い争いもそうですが、ミスリードを誘う無駄なシーンが多すぎで、全体的に冗長で、人間ドラマとしてはどこか薄っぺらく、余韻も残らないです。これだったら、シンプルにグレイニーがやばい奴で少年2人をやっつける方がスカッとして面白いでしょうね。

ラストはイーサンがニヤッと笑い、現代の迷惑系ユーチューバー批判のような説教くさいオチで終わっていますが、大衆の処罰感情を煽りたがるつまらない日本のマスコミと一緒だなあと思って不快感しか残らないですね。それなら単純にイーサンが老人にしばかれる方が面白いです。結局は「ドントブリーズ」の方が面白いです。

・500ページの夢の束:★★☆☆☆

主人公の女の子は知的障害のない自閉症ですかね。前の仕事で自閉症の子と何百人と会ってきた僕が見ても違和感がないので、自閉症の特性についてはきちんと描けていると思います。脚本家も高機能自閉の子が向いている職業ですし、設定もいいと思います。

しかし、高機能自閉症の子は凡人にはない能力があり、もちろんこの映画の主人公もそういう能力があることは描かれているのですが、パラマウントまでの旅においてそれがまったく活かされていません。女子トイレで洗面台の下に隠れたり、バスの荷物置き場に忍び込むなどは凡人でもできることで、自閉症とはまったく関係ありません。

その結果、主人公がただ単に独りよがりの行動をし、周りを騒がせて心配させているだけに見えてしまいます。道中において障害がマイナスにしか作用していませんからね。これでは、何のために障害者を主人公にしたのかがまったくわかりません。
PR


3→4→1と観てきて、ようやく最後の一本です。
良かったです。4はナンジャコリャ、1はCG技術と嫉妬深いウッディに「ウーム…」だったのですが、今回はCGも世界観も最高傑作である3に近づいていて、ワクワクドキドキ、ワハハホロリと楽しめました。
といっても、ウッディは今回囚われの身。救出すべく先陣を切ったのは、すっかり頼もしくなったバズです。我が身をかえりみず部屋を抜け出し、街をめちゃくちゃにしながらも、ウッディを助け出すべく奮闘する仲間たちの苦労も知らず、自分がレアグッズだった名誉に浮かれ、カウボーイ仲間とごっこ遊びにはしゃぐウッディ…。やはり主人公と呼ぶには器が小さいぜ…。
しかしそれぞれ足りない部分を補い合って、一致団結してことを成し遂げられるのが本当の仲間。最後は助かることがわかっているのに(そしてジェシーたちがアンディのおもちゃになることも)決死の逃走劇にはハラハラしてしまいました。大人も子どもも楽しめる、これがディズニー映画の魔法とも言えます。
冒険劇に子どもが喜ぶのはもちろんですが、大人もまた童心に返って楽しむとともに、違った部分に心を刺激されます。捨てられた、そしてこれから捨てられるという運命を漏れなく与えられたおもちゃたちに、いろいろな制約に縛られ人生も先細りになってきた大人は、つい自分を重ねてしまいます。それでも残りの時間でせいいっぱい子どもを楽しませよう、楽しく生きようと、前向きにエンジョイするおもちゃたち。我々もこうでなければと感化されるところは少なくありません。きっとできるはずなのです。捨てられた過去のせいで悲観的だったジェシーがウッディたちと出会って笑顔を取り戻したように、大人が思う先細りの外にはきっとあかるい未来が広がっているはずなのです。
それにしても、アンディのおもちゃたちは皆それぞれ個性があって粒ぞろいですね。1と較べると、バズのみならずポテトヘッドやハムやレックスなどなど、それぞれしっかりキャラが際立っていました。中でもスケッチの優秀ぶりには舌を巻きました。あれ、ウッディがいちばんポンコツなんじゃ…?









学生の頃は、ちょうどめまぐるしく世界地図が書き変えられた時期でした。
ソビエト解体、ユーゴスラビア紛争…春に配られた地図帳は使う時にはすでに役に立たなくなっていたこともザラでした。ただ、中学の授業で触れられたのは、地図が変わったという事実のみ。ニュースや新聞をにぎわせる世界情勢について詳しく考える機会はありませんでした。
歴史書が勝者によって都合良く作られていることは周知の事実ですが、リアルタイムで起きている戦争もまた、メディアや権力者によって、善悪の構図を容易に誘導することができます。
それを考えさせられたのは、この作品の舞台でもあるボスニア紛争です。
当時、アメリカはセルビアを悪と認定しました。日本のメディアも同じスタンスで報じました。大学生だった私が受けていた政治学の講義でも、担当教授がそう断定していました。もちろん、セルビアが行ったとされる数々の行為を肯定するわけではありません。しかし戦争とは互いの正義の衝突です。当事者にはそれぞれ大義名分があり、それに基づいて行われるすべては、殺戮であろうが破壊であろうが、彼らにとってはそれが正義なのです。
きっかけとなったのは「悪」側の言い分を聞く機会があったからなのですが、かといって経済的利権だけではない民族間の対立という根深い問題が横たわるこの紛争の実態を、いまだ完全に理解することはできません。
そして、セルビアが掲げた「民族浄化」の被害者であるエスマの思いもまた、理解すると言うにはあまりにもおこがましく、残酷な真実がそこにありました。
生まれもった思想信条が異なるがために勝手に「敵」と認定され、その「憎むべき相手」どもにレイプされ、孕まされ、堕胎する選択肢も与えられず監禁され、「憎むべき相手」のうち誰かもわからぬ子を出産することを強要され、しかし十月十日を経て腕に抱いた命は美しく愛おしく。
エスマにとって、サラは愛そのものでした。娘の出生にどんな背景があろうと、そこには母が娘に与えるべき愛しかありませんでした。たとえエスマの心と身体に刻まれた癒えない傷がどれだけ彼女を痛めつけようと、愛しい娘のためなら不得手な夜の店で働くことも、周囲に金を無心することも厭いませんでした。
しかし、思春期の娘にそんな母心を理解することは困難でした。父親は信仰に殉じて戦死した兵士と教えられ、それを信じて疑わなかった娘は、いっこうに戦死証明を出そうとしない母に疑念を抱き始めます。さらに母の周囲に想い人の影がちらつき始めると、サラは母を愛し求めるがゆえに反抗的な態度を取ります。
娘にとって母は、自分を愛してくれているからこそ何をしても許してくれる寛容な心を持った存在と信じて疑いません。相手もひとりの人間であるという視点をなぜか失うのです。サラははじめてエスマの過去を知りました。まだ幼いサラは、エスマが母でなくひとりの人間として激しい感情をぶつけてきたことに動揺し、衝動的に髪を剃ってしまいます。
それでもサラは修学旅行に旅立ちます。母が自分のために稼いでくれたお金を、無駄にはしませんでした。サラはサラなりに、母の思いを受け止めたのでしょう。自分の出自が耐えがたいものであっても、そこに母の愛があふれていたことは疑いようもない真実だからです。
修学旅行から帰ってきたら、サラはきっと母を母としてでなく、ひとりの人間として接することができるようになっているような気がします。
戦争の犠牲は死者の数のみで語られるものではありません。エスマのように生きてなお苦しみ続ける女性の何と多いことか。もちろん日本においても例外ではありません。
そして、世界から戦争は永遠になくならない。争いがある限り、か弱き者たちの尊厳はこれからも踏み躙られていく。
しかし終わりのない苦しみから救うのは、いつ、どんな世界においても、きっと無償の愛なのだろうと思います。
サラはエスマの愛によって育まれた命ですが、エスマもまたサラによって生かされている命なのだから。
殺戮と破壊をくり返しながらも、人間はそうやって歴史を繋いできたのだから。









幼い頃、迷子になる夢を見ました。たぶん幼子が戦火の中親とはぐれ泣き叫ぶ映画のワンシーンや、『金髪のマーガレット』というお嬢様が町で迷子になる児童小説でトラウマになったせいだと思います。その夢は、今でもはっきり憶えているくらいの恐怖でした。
この映画の主人公も、5歳にして見知らぬ街で迷子になってしまいます。しかもこれが創作ではなく実話、しかもわずか30数年前の出来事というのですから驚きです。
日本とは較べものにならないほど広大な国土、言葉も違えば文化も違い、子どもがひとりさまよっていても誰も見向きもしない、それがインドという国なのでしょう。
そして何よりもこの事件のそもそもの原因は、サルーの家が、子どもが働かねば生活できない暮らしであったということです。
文字の読めない母。幼い妹。石炭を盗んだ金でたった2袋の牛乳を得て喜ぶ兄弟。兄は少しでも稼ぎの良い仕事を探すため夜の電車に乗りました。それが兄の、そしてサルーの運命を変えてしまいました。
たったひとり、故郷から1600キロ離れた街をさまようサルー。不安に満ちた少年の表情と冷たい大人たちのコントラストが、観る者の胸を突きます。言葉が通じないこともありますが、セリフはほとんどありません。唯一声をかけてくれた女性に、サルーはどれだけ安堵したことでしょう。しかし彼女は人さらいでした。危機を察知したサルーはからくもその魔手から逃れます。そして2ヵ月後。彼は警察の保護を経て孤児院に入ることになりました。
いつ道端で野垂れ死んでもおかしくなかった状況で、サルーは生き延びました。たった5歳で、自分の生まれた街の名前も(そして最後に判明する彼の本名も)知らないまま、2ヵ月も生きてこられたのは、ただ「運が良かった」というひとことで片づけられるものではないような気がします。彼は聡明で、強い生命力を備えていましたが、それは彼が母や兄に愛され、そして彼も家族を愛し、まっすぐ育ってきたからではないでしょうか。
そして、彼を引き取ったオーストラリアの養父母もまた、愛にあふれた大人でした。サルーも彼らに欠かさず愛を返しました。同じ施設からやってきた気性の難しい弟にも、父母と同じように愛をもって接しました。
愛に包まれて成長したサルー。かつての故郷のことも忘れかけていたある日、大学の同級生の家で目にしたインドの焼き菓子に、幼い日の記憶がよみがえります。グーグルアースで調べることをすすめられたサルーは、その日から故郷探しに没頭します。後ろめたさから養父母と距離を置くことになっても、恋人と思いがすれ違っても、やめることはできませんでした。
サルーのインドの家族との愛。オーストラリアの家族との愛。愛すれば愛するほど、心は彷徨っていきます。それでもたどりつく場所はいつも同じ。いつだって、無償の愛がサルーを待っている。インドで、そしてオーストラリアで。大きな愛に包まれて、サルーは大きくなったのです。
ようやく見つけ出した、サルーの故郷。
母はずっとその街で、サルーを待っていました。兄はサルーと別れてすぐ天に召されていましたが、母はサルーの帰りを信じて待っていました。
25年の時を経て、愛は家族をふたたび結びつけました。
幾つもの愛が重なりあって起きた奇跡。それでもいちばんの奇跡は、本来なら出逢うことはなかったサルーの実母と育ての母が、サルーを通じてめぐり会えたことのように思うのです。そこにもまた、ひとつの愛が生まれました。
そして、決して大仰でない演出によって、世界にはまだ多くの子どもたちが過酷な環境に置かれているという悲しい現実があることを同時に伝えています。この奇跡は感動的であるけれど、もう二度と起きてはいけない奇跡なのだとも強く思うのです。









破傷風という病気を知ったのは小学生の頃でした。(たぶん)図書室で借りた児童小説の中に出てきました。タイトルも作者も忘れてしまいましたが、表紙はホームズの衣装を着た女の子のイラストでした。(たぶん)中学生くらいの主人公が、古釘を踏み抜いて破傷風になった友人を見舞うため(たぶん)彼女の自宅の古い洋館を訪れるところから始まる物語で、そこで(たぶん)事件が起きて、主人公がちょっと憧れていた友人の親族の男性が(たぶん)犯人だった…という話だったような気がして検索しましたが探し出せませんでした。どこかで記憶を間違えているのかもしれません。児童向けにしては暗い雰囲気で、謎解きものとしても面白かったような気がするのですが…。
ともかく、その小説の中で破傷風になった友人は、登場時すでに回復していたこともあってか普通に主人公を出迎えていましたから、たいした病気とも思わず、「古釘を踏むと危険なんだな。気をつけよう」とその病名を心にとどめたくらいでした。
それから約30年。
この作品をはじめて観て、かの小説の主人公の友人も実はこんな目に遭っていたのか!? と破傷風の脅威に恐れおののきました。
昌子役の女の子は昭和の子役らしい稚拙さがあるのですが、発作に苛まれる場面は迫真です。どうやって演技させたのか不思議になるくらいの苦しみ方、叫び声でした。我が子が目の前であれほど苦しんでいるのに何もできない両親の心が壊れていくのも無理ありません。両親役が渡瀬恒彦・十朱幸代というよく知る俳優であったことは救いでした。「これはフィクションである」という逃げ道を自分の中に作れたからです。もし見知らぬ役者であったなら、本当に苦しんでいるどこかの家族のように感じてよけい辛かったかもしれません。
作中、両親それぞれの母親が見舞いに来ますが、父方と母方で微妙に対応が異なっているのが興味深く感じました。ごく自然に父方の祖母だけ病室へ入るあたり、現代の嫁なら抵抗感を抱くところですが、この時代は父方のほうが重んじられて母方は遠慮するのが当然だったのでしょう。しかし父方の祖母の、孫への愛と心を病む嫁への思いやりは言葉にしなくてもひしひしと伝わってきました。演じていたのは『大誘拐』の北林谷榮、さすがの存在感でした。
「怖い映画」という括りでよく紹介されている作品ですが、あくまで病気と闘う一家族を描いた人間ドラマでした。驚くような展開や大仰な演出はなく、時系列も一貫しており全体的にシンプルな作りとなっているのですが、そのぶん悪化していく子の病に精神を苛まれていく両親の変化が丁寧に描かれていましたし、最後に笑顔を取り戻した家族の姿に涙も催されます。子どもをひとりで泥遊びさせるところをはじめ、医療技術に関しても、作品の随所に昭和らしさはあるのですが、それを感じさせない力を作品全体に感じました。家族を思う心に時代は関係ないのです。



* SNOW FLAKES *
STOP  *  START
* カレンダー *
12 2025/01 02
S M T W T F S
5 6 7 8 9 10
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
* プロフィール *
HN:
さや
性別:
女性
自己紹介:
プロ野球&連ドラ視聴の日々さまざま。
* ブログ内検索 *
<<  <  *  NEW *  BLOG TOP *  OLD *    >  >>
Copyright©  さや
Designed & Material by ぱる
忍者ブログ ・ [PR]