アメリカの片田舎。娘を惨殺された母親が犯人を逮捕できない警察を批判する3枚の看板を掲げたことから、彼女と警察の周囲に起きる波紋を描いた作品です。 イントロダクションだけなら、閉鎖的な町の無能な警察が悪であり、母親は一方的な被害者であると位置づけられそうですが、現実はそうではありません。 母親が名指しで批判した警察署長は地域の人びとの信頼厚く部下からも慕われ、家族愛にもあふれた人格者であり、事件解決にも決して後ろ向きではありません。町の人びとからすれば彼は絶対的な善であり、彼を批判した母親は悪です。しかし犯人を捕まえられない彼は、母親からすれば悪でしかありません。 事件を解決できないことを思い悩み、そして病にも襲われた彼は、みずから命を絶ちます。 彼を死に追いやったのは3枚の看板のせいだと、残された家族が思うことは不自然ではありません。 もちろん、母親が望んでいたのは彼の自死などでは決してありません。しかし彼女は、遺族から、あるいは彼を慕っていた部下からすれば絶対的悪たる存在となってしまったのです。 人は、他者とのかかわりなく生きてはいけません。 つまり自己とは、他者の中で生まれてはじめて確たる存在となるのです。 母親の中で生きていた署長と、家族の中で、あるいは部下の中で生きていた彼とは同一にして同じではありません。 ならば、自分という存在は、決してひとりではないのかもしれません。 母親。署長。そして部下。3人の主たる登場人物は、それぞれに思い、行動し、そしてまたそれぞれの中でそれぞれの人格として生きています。 人は他者によって生かされているともいえます。 愛。憎しみ。後悔。復讐。信念。諦め。そして希望。 他者とかかわることによって生まれるさまざまな感情にもまれ苦しみながら、それでも人は生きていかなければなりません。 生きること。それは他者を受け容れること。他者の中に存在する自分を受け容れること。 その瞬間から、人の人生は始まるのかもしれません。 PR |
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