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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『正直不動産』
リアルタイムで放送されていた際は「不動産? 嘘がつけない? ウーン…あまり惹かれない…」と録画をせず、あとでその評判の良さを知り悔しい思いをしたものですが、このたび『2』が放送されるにあたって再放送をチェックすることができました。
そういえば山Pのドラマは『白虎隊』以来でした。17年前…。いつの間にかこんないい歳の重ね方をして、こんないい役者さんになっていたのだな…。
主人公はカスタマーファーストを掲げる純粋素朴な新入社員の月下ではなく、嘘をつくことでエリートにのしあがったやり手営業マンの永瀬。彼が嘘をつけなくなったところから物語は始まります。不動産といえば嘘とハッタリであることは、一般庶民でも知っています。彼らは嘘をつかずにどうやって家を売っていくのでしょう。
…という素朴な疑問はすぐに解消されました。嘘をつけないことを受け入れ、正直営業を始めた永瀬。今までのようにお金や成績ではなく目の前の顧客と向き合うことで、彼の世界は広がりました。もちろんいつもうまくはいきません。それでも人の人生を良い方向へ導く、家を売る仕事の本質に誇りを持ちながら働く永瀬の姿は、月下や十影、花澤など周囲の人に影響を与えていきます。
超イケメン山Pの三枚目ぶりはもちろん、キャストの面々が皆魅力的で、人間ドラマを描くのが巧みな根本ノンジの脚本にピタリとハマっています。今回は見逃さなくて良かった…。

『沈黙の艦隊 シーズン1 東京湾大海戦』
原作は未読ですが、なんとなく世界観の大きさを感じていたので、映画化されると知った時は「2時間でまとまるん?」と不思議だったのですが、今回配信されたドラマ版は全8話。映画はどれほどコンパクトだったのだろうか…。
それにしても内容の濃さには圧倒されました。原作は30年前の連載ですから武器の性能も世界情勢も当時とは異なりますし、かなり改変されているのだろうとは思います。しかし展開がスピーディで戦闘シーンは緊迫感があり、言ってしまえば荒唐無稽な設定もさして気にならず、一気に8話を観てしまいました。
そもそも海江田という男につかみどころがなく、なぜこんな暴挙(日本国視点でいうと)に出たのか、彼の語る思想に完全に共感はできません。そして「やまと」の乗組員たちがなぜ皆粛々と海江田に従っているのかもわかりません。一方深町艦長率いる「たつなみ」は和気あいあいとしており、副長とソナーマンが良き補佐として一体感を強めていることが伝わります。観ている者はどちらかというと人間味のある深町視点に寄ってしまうため、ますます海江田の本心がわからなくなります。
深町の困惑は海江田を知るからこそですが、パニックになるのはもちろん総理官邸もです。いかにも頼りなさげな竹上総理にこの難局を乗り越えることができるのか、最初は不安になりますが、マスコミやアメリカと対峙していくに従って徐々にその目に強い力が宿っていくのが印象的でした。彼も彼なりに日本国を愛し戦争に対する明確な信念を持っており、それに従うと決断してからの竹上総理の立ち振る舞いは登場時とまるで人が変わったようでした。そんな総理を支えるのが若くて柔軟な官房長官の海原。「こんなイケメンでエネルギッシュな官房長官いないし!」と言いたくなるような非現実的キャラではありますが、シーバット計画の黒幕である父親への反骨芯は、おそらく今後どこかで海江田の本心に触れるきっかけになるのではないかと思います。
30年前は核戦争が目の前と言われていた時代。そして今も戦火は地球上のあちこちで燃え盛ってやみません。独立国やまとの語る理想の世界は、30年を経てもなお理想のまま。だからこそ、製作側はこの作品を映像化する価値を見出したのでしょう。そしてその着地点をどこに見出すか、30年前の結末から変えるのか変えないのか、想像もつきません。
シーズン2の放送はいつになるのやら…今から待ち遠しくなります。









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『闇バイト家族』
吹越満・光石研・綾田俊樹・麻生祐未とクセ者俳優揃いの中で、鈴鹿央士・山本舞香の若手もニセ息子&娘として存在感を発揮しています。
サンジの正体が刑事であることは早々に明かされていましたが、ならず者にしか見えないその怪しさと、闇バイト家族の面々の単純さとの対比が絶妙です。
闇バイトにひっかかり犯罪を犯したあげく、うさんくさい男に簡単に騙されて利用されてしまうニセ家族。命が危険にさらされたのに、あっけらかんと次の闇バイトにいそしみ、餃子屋を繁盛させたりニセ家族のことを本当の兄妹のように気にかけたり、まるでその生活を楽しんでいるかのようにも見えます。彼らは根っからの悪人ではなく、お金を欲するあまり「高収入バイト」という宣伝文句にホイホイひっかかってしまっただけのありふれた人びとです。もちろん、ちょっと立ち止まって考えればただのバイトではないことに気づくわけですが。
ドラマといえばそれまでですし、もちろん非常に面白い作品なのですが、たぶん実際に闇バイトに手を染めてしまう人たちは追い詰められて思考能力を欠いてしまうのかなあ…なんて考えさせられてしまいます。

『君が心をくれたから』
一話を観て、「どうしようかな…やめようかな…とりあえず二話を観て考えよう」と次も視聴してみたら、やめられなくなってしまいました。
一話のラストまでは『Silent』に雰囲気が似ていて、時を経て再開したふたりの過去の甘酸っぱい思い出と現在の辛い状況が交差するラブストーリー仕立てでした。しかし太陽が交通事故に遭ってから雰囲気は一変。案内人と名乗る男女が太陽の命を救う代わりに雨の五感を奪うと告げるファンタジー、それも激しく重い内容に。
そうなることは事前のあらすじで知っていましたから衝撃はなかったのですが、いざひとつひとつ感覚を失っていく展開を目のあたりにすると、この先を見届けたいという思いが強くなってきました。
夢も恋も手放してしまう悲しみ、絶望、恐怖心。それらを言葉にせずとも共感できるのは、永野芽郁が雨という人間を繊細に演じているらです。
幼少期母親に虐待を受け、学校にもなじめず孤独な生活を送っていた雨が、太陽という光と出会い情感を取り戻していくそのさまは、とても丁寧でかつ自然に描かれていました。
記憶は五感と紐づいているもの。そしてそれは雨の人生の過程であり、また未来を構築していくファクターでもある。五感を失うということは、雨のこれまでの、そしてこれからの人生を奪うこと。すなわち心を失くすこと。
これから雨は次々に失っていく。それでも守りたかったのは、太陽の夢。その大切な存在を突き放し、雨のもとに残るのは何だろう。
きっと悲しい展開が続くと思います。それでも最後はハッピーエンドになると信じたいです。
設定はファンタジーではありますが、五感とは何か、心とは何か、本当に大切なものは何かを考えさせられる、深い作品だと思います。

『不適切にもほどがある!』
すっかりクドカンファンになってしまったワタクシ。今回も脚本はらしさ全開、阿部サダヲとのコンビですから間違いなし。
自分も昭和生まれですから、昭和61年から現代にワープしてきた市郎の驚きはわかります。しかし物理的なギャップにはすんなり対応し、現代人に対して昭和の価値観を一方的に押しつけるのではなく、人の心に寄り添って渚や秋津の心を溶かしカウンセラーにまでなってしまった市郎は、案外柔軟な人間なのかもしれません。体罰暴言なんでもありのハチャメチャな地獄のオガワも、根っこはやっぱり先生だということなのでしょうか。
昭和に帰れなくなったと思いきやまた舞い戻ってしまった市郎ですが、いったいこれからどうなっていくのか展開が読めません。逆に令和から昭和にやってきた向坂親子は令和に帰れるのか、キヨシの恋の行方も気になります(「地上波でおっぱいが見たいんだ!」は笑った…確かにポロポロ出ていたな…)。
秋津とそっくりなムッチ先輩の正体もいかに。現代のシュッとしたサラリーマンと、相良よりさらに古い型のヤンキーを演じ分ける磯村勇斗が魅力的です。
突然のミュージカルは、そのままセリフで言わせると説教くさくなってしまうゆえの演出なのでしょうが、長くてちょっとダレてしまいます。わざわざそのために? ミュージカル俳優を起用するあたりはさすがですが。

『光る君へ』
『あさきゆめみし』や『なんて素敵にジャパネスク』にハマった人間ですから、あれらを映像にするとこうなるのか! と感動の連続です。
歴史ドラマとして観るならば「セリフが現代的」やら「偶然出会うなんてありえない」やら、ツッコんでいけばきりがありませんが、当時の風俗に忠実にドラマ化しても、御簾やら几帳やらで女優さんの顔が全然見えないなんてことになってしまうし…。平安時代の年表には詳しくないので、創作ものとして割り切って観ています。逆に雨夜の品定めや五節の舞姫など、源氏物語の一場面を匂わせる演出には思わずニヤニヤ。
これからまひろの人生はどう展開していくのか、まだ純粋な道長がどのように出世していくのか、散楽の男の正体やいかに、何より今のクオリティが一年持つのか、興味深々で見守っていきたいと思います。






『コタツがない家』
戦力外男三人衆のダメダメっぷりには毎回笑わせてもらいました。いつゴングが「カーン」と鳴るのか待ってしまうほどに。
頑固だわ働かないわ屁理屈たれだわ、本来なら嫌悪感を抱いてもおかしくないはずの登場人物になぜか愛着さえ湧いてくるのは、三人にそれぞれ愛嬌があるのはもちろん、イライラしながらもそれを受け止める万里江の存在感あってならでは。一家の大黒柱でありながら肝っ玉母さんという印象はなく、時にはしくじったり悩んだり、ひとりの娘として妻として母として社長として、それぞれの立場で強さも弱さも見せるので、なにも背負っていない自分も自然と感情移入させられてしまいました。
男のワガママをひたすら許して受け容れるだけならただのファンタジーです。しかし万里江はただ我慢しているわけではなく、ダメ男たちにもきちんと向き合って自分の感情を口にします。あんなふうに食卓に顔をつきあわせて会話をするというのは、現代ではなくなってしまった風景なのではないでしょうか。深堀家は一見ハチャメチャなようでいて、ちゃんと機能している家族です。だからこそぶつかり合ってもきちんと定位置に戻るのだろうと感じました。
「結婚とは何か」「令和の家族とは」なんてたいそうなテーマはありません。最後も家族の心がひとつになって感動の涙…なんてものはなく、コタツがない家にサウナが来てひと騒ぎして終わり。ただ、とある家族のドタバタな日々を見せられただけなのです。それでも清々しい気持ちになりました。フカボリ遊策『コタツがない家』の読後感もきっと同じなのだろうなあ。売れなかったみたいだけれど。
ハッピーエンドだったわけではない、それでもあかるい未来への道筋を示して終わるところも、金子茂樹の作品らしいなあと感じます。次回作も今から待ち遠しいくらいです。

『下剋上球児』
やっぱり部活ものはいいですね。最後も、優勝するとわかっているのにハラハラしてしまいました。
ただ、部活ドラマとして観るならば、やっぱり教員免許偽造のくだりは不要だと感じます。百歩譲って、誰も興味のない弱小野球部の監督に復帰するのは良いとして、県大会を勝ち上がっていけば注目度も上がり、SNSで監督の過去が暴かれて炎上騒ぎになるだろうなあ、と、どこかでチラついてしまうのです。これがSNSのない時代の話ならまだしも、ごく最近の設定ですから、隠し通すのは無理でしょうし。
南雲先生が皆に慕われる人格者で教育熱心であればあるほど、免許偽造に手を染める経歴とのギャップが大きすぎて違和感しか残りませんでした。もちろん、聖人君子である必要はありません。この話は過ちを犯した南雲の下剋上でもあったのだと思います。ただ部活ものはどうしても学生がメインになりがちで、周囲の大人はそれを良い方向へ導く立ち位置。だからこそ、このドラマの主人公は南雲なのか部員たちなのか、視点が定まらなかったように思います。
演技は誰もが素晴らしかったです。ほんわりしているイメージのある黒木華演じた山住先生のドスのきいたかけ声や、前作とまるで異なるわがまま爺さんの小日向文世の存在感はさすがでしたし、オーディションで選ばれた部員たちは言わずもがな。犬塚の育ちの良さを感じる、しかしそれにコンプレックスを抱えているような少し陰のある雰囲気、根室のひたむきさ、日沖弟の熱量、キャプテンたれともがく椿谷、つかみどころがないが実は本質を見抜く力のある楡、三年間ですっかり野球人になった久我原…などなど、それぞれの個性がチームとしてひとつになっていくさまには魅了されました。
部員たちがじゅうぶん実力者だったので、アニメの演出も不要だったかな…。

『マイホームヒーロー』
「続きは映画で」だったのかあー!
最後までハラハラドキドキの連続で、目が離せませんでした。プロットが素晴らしいのはもちろんですが、ほぼ無表情で緊迫感を演出する佐々木蔵之介の演技力あってこそだと思います。しかし話を盛り上げたのは吉田栄作の怪演ぶり。退場の仕方は衝撃的でした。
しかし哲雄が罪を隠し続けて今までのようにしあわせでいられ続けるとは思えず…。逃亡した恭一も黙ってはいないでしょう。映画の舞台は7年後。どんなハラハラドキドキが待っているのやら…。

『ブギウギ』(承前)
物語は折り返し地点を過ぎました。スズ子にはいろいろなことがありました。六郎の出征に始まり、母の死、UDG退団、楽団結成、六郎の戦死、父との別れ、愛助との出逢い、空襲、慰問活動…。とくに、六郎出征のあたりは毎日涙を禁じえませんでした。
赤紙が届いて天真爛漫に喜ぶ六郎を複雑な表情で見守るはな湯の常連たち。ツヤの病気も重なって感情的に怒鳴ってしまう梅吉。あとでそのことを詫びた父へ「大きい声好かんねん」とつぶやいた六郎に、軍隊へ入ればどんなにつらい思いをするだろうと胸の塞がる思いがしました。母の前では子どものままに甘え、父へは力強く「行ってきます」と告げて旅立った六郎。しかし姉のスズ子には「死ぬのが怖い」と本心を明かします。病床の母、ひとりですべてを背負わなければいけない父には言えなかった本当の気持ちを、最後に話せる相手がいて良かった。そんなふうにも思いました。
そして、どれほど怖い、痛い思いをしたのか、どれほど苦しんだのかもわからないまま、六郎の訃報は紙一枚でもたらされました。戦場のことは内地の人間はわかりません。実感の湧かない梅吉とスズ子の姿はむしろリアルに映りました。
その時はあまりにも悲痛に響いた『大空の弟』。数年後、その楽曲は夫を戦争で喪った未亡人の救いの歌となりました。
同じ歌でも、歌うたびまったく同じにはなりません。踊れなくなったり、粗末な舞台であったり、歌い手自身の心模様も反映されます。スズ子が慰問活動で歌う『アイレ可愛や』は聴く者を元気にさせ、防空壕の『アイレ可愛や』は疲弊する皆の心を癒しました。茨田りつ子の歌もそうです。スズ子とりつ子の合同コンサートで歌った『別れのブルース』は、自身の矜持を踏みにじり、誰かの大切な人を奪っていく戦争への怒りを感じました。特攻隊の基地を慰問した際、隊員が希望したのは軍歌ではなく『別れのブルース』。最後の思い出にせいいっぱいの歌を届けようという慈愛に満ちていました。そして戦後、再開された劇場で歌った『別れのブルース』は海の彼方へ散っていった彼らへ送る鎮魂歌でした。涙を流した観客は、その後登場したスズ子の『ラッパと娘』で笑顔になります。スズ子の歌は、あかるい光の満ちた世界への扉を押し開け、彼らを戦争の暗闇からそこへ導いたのです。
スズ子とりつ子のステージにはそれだけの説得力があります。躍動的な趣里、静かに佇む菊地凛子。本物の歌手ではないはずなのに、そのパフォーマンスは圧倒的です。笠置シヅ子や淡谷のり子もこうであったのだろうかと錯覚するほどです。
長かった戦争が終わり、いよいよ『東京ブギウギ』の時代がやってきます。オープニングで描かれたその場面に、愛助はいませんでした。
ようやく戦争が終わったのにこのあとまだ悲しい展開が待っているのかと思うと、今から辛くなります。しかしモデルの人生がそうであった以上、愛助との別れは避けられません。
愛助が若干薄いキャラ(しかも最初はストーカー)なのと、小夜ちゃんが都合のいいピエロ役になってしまっているのは残念ですが、趣里の演技には慣れてきてすっかりのめりこんでいます。





『ブギウギ』
個性派ご近所さんたちのコテコテ大阪弁が飛び交う「はな湯」の景色はいかにも大阪制作。人情とノスタルジーに溢れています。
笠置シヅ子のことはよく知りません。ただ波乱万丈でドラマチックだったその人生はネットで先に調べてしまいました。オープニングではさっそく服部良一や淡谷のり子(をモデルにした人たち)が登場。またヒロインのひとり娘の父親は、吉本興業創業者の長男。ということは、『わろてんか』では登場しなかったてんの第一子で、葵わかなが小雪なのかあ…と想像が膨らみます。
ドラマは子役からスタート。趣里とのそっくりぶりも驚きましたが、歌も演技も上手でビックリ。朝ドラヒロインのおせっかいはあるあるですが、それを自覚して反省するあたり目新しさを感じました。喧嘩を通じて仲良しになる仲間たちとのエピソードも押しつけがましくなく、『拾われた男』でも人と人との距離感を巧みに描いていた足立紳の脚本力が光っています。
念願かなってUSKに入ったスズ子。劇団の二大スターは大和礼子と橘アオイ。蒼井優のレトロかつ清楚で芯の強い昭和の女性を体現した演技は見事でした。現役OSKスターである翼和希はこのドラマではじめて観ましたが、舞台から練習時まで実に凛々しく美しいこと。USKのレビューシーンは充実していて、とくにラインダンスは圧巻でした。
と、今のところ見ごたえある朝ドラながら、残念なのはヒロイン趣里の演技。前々から一本調子のセリフ回しや感情表現の乏しさが気になっていましたが、サイケな脇役ならまだしも大阪色強い個性的なヒロインとなると、慣れない大阪弁でさらに力が入ってしまうのか、セリフの合間合間に入る呼吸が気になって話に集中できません。歌とダンスはさすがの実力なのに…。
話自体は興味深いので最後まで見届けたいと思うので、慣れてくるといいのですが(自分が)。


『コタツがない家』
『俺の話は長い』『コントが始まる』の金子茂樹脚本とあっては観ないわけにはいかない。
今回もちょっとダメな人間たちがくり広げる巧妙な会話劇。漫画調の背景と石川さゆりの歌がマッチしたオープニングも面白い趣向です。
吉岡秀隆のダメ夫ぶりが実に不快で逆に痛快。義父である小林薫との丁々発止もこれまた逆に相性ばっちりです。高校卒業を前に迷走している息子も加え、プライドの高さが災いして自分のダメさを受け入れられない絶妙に人間くさいキャラ設定は、「男ってこうだよなあ」と納得しながら観ています。
ダメ男たちにうんざりしながらも仕事に家族のフォローに奔走する万里江。しかし悲壮感はありませんし、それぞれを愛していることも伝わります。今度はどんな家族の姿を見せてくれるのか…深堀家の行く末に注目です。


『下剋上球児』
2018年夏の甲子園に初出場した白山高校の軌跡を追ったノンフィクションを基にしたオリジナルドラマ…ですが、そう聞くと「白山高校がモデル」と感じてしまいます。
実際の白山高校ももともと評判の良い高校ではなく、少人数からのスタートでした。当時の記事を憶えていたので、実績と熱意のある南雲先生がやる気のなかった部員をその気にさせ甲子園へと導く「リアルルーキーズ」のような成功譚だと思い込んでいたのですが。
「南雲先生が教員免許を持っていなかった」というエピソード、それ必要…?
まさか当時の白山高校の監督が本当に無免許だったなんて勘違いする視聴者はいないと思いますが、こんなご時世ですから風評被害が気になっちゃいます。
黒木華演じる山住先生の立ち振る舞いは運動部の顧問らしく爽やかですし、実際に野球経験者ばかりの部員たちの練習風景(へたくそだけれど情熱はあるキャプテンが野球経験のない菅生新樹というのも良い)はリアルです。孫かわいさに暴走するいわゆるモンスター保護者の小日向文世は、どこか愛嬌があるので憎めません。部活ものにつきものな暴力事件も自然な決着に落ち着きましたし、つまり野球部を取り巻く描写には何の不満もありません。
ですから、南雲先生の無免許問題に加え、うさんくさい妻の前夫が絡んできそうな南雲一家に焦点が当たりそうな展開はいらないなあと感じます。あと部員を紹介するテロップが「3年」だったり「2018年投手」だったりバラバラなのも観ていてわけがわからなくなります。これは記憶力の悪い自分の責任か?
演出自体は悪くないので、最後まで観るつもりではいますが…。


『マイホームヒーロー』
原作はまだ未完。しかも22巻まで発刊されている長期連載のようですが、1クールでいったいどうまとめるつもりなのだろう…。
と、心配になるくらい、初回から衝撃的なサスペンスでした。
佐々木蔵之介・木村多江という実力派を揃えながら深夜枠なのは、おそらくその内容のせいでしょう。いきなり死体を煮込んで云々…という展開には驚かされました。
主人公はやたら知識豊富で冷静ですが、ミステリー作家志望という設定ですから不自然ではありません。夫が夫なら妻も妻で、一見平凡な主婦ながら死体処理を手伝ったり窮地でも機転を利かせたりする妻は、むしろ夫より肝が座っています。歌仙という名前からして浮世離れしていますが、木村多江のつかみどころのなさは原作から飛び出してきたようです。
どうやら主人公と共闘することになりそうな恭一にもう少しアウトロー感が欲しいところですが、音尾琢真・吉田栄作は迫力満点。
平和が一転、闇落ちしてしまった家族はいったいどこへ向かうのか…。原作も序盤しか読めていないので、今後の展開が楽しみです。






『ハヤブサ消防団』
田舎町を乗っ取ろうとすべく押しかけた、実際のあれこれを思い起こさせるような宗教団体に、ヒーロー戦隊のごとく立ち向かう消防団。ビジュアルだけですでにユーモアとシリアスが入り乱れ、そのバランスが絶妙でした。
毎週秘密のベールがひとつひとつ剥がされていく展開で、最後まで目が離せませんでした。中盤までは消防団の誰かが怪しい(これはある意味正解でしたが)、中山田が怪しい、とあれこれ考察がくり広げられたものの(我が家で)、どれも大ハズレ。しかし最終回にあきらかになったそれぞれの過去と未来は、どれもストンと心におさまるものでした。展子の本当の人生の歩みを知り改心した立木彩が防災無線で教団の罪を告白し、我を失った真鍋が立木たちを殺そうとして逮捕され教団は解散、一件落着したかと思いきやアビゲイルの後継団体は新たな聖母を立てて活動を始めていた…という、ハッピーエンドに含みを持たせるオーソドックスな終わりかたも、サスペンスらしくて良かったと思います。
実力派の役者たちが盛り上げてくれた中、もっとも印象に残ったのは杉森役の浜田信也でした。あとで調べると、今まで観ていたドラマにちょいちょい出演していたようなのですが、まったく憶えていません。おそらく、まるで違う役柄だったのではないかと思います。杉森の抑揚の少ない話し方、光のない目は、ホンモノの宗教団体の弁護士なのではないかと思うほどでした。いやホンモノは知らないけれど、そう思わせる説得力がありました。これからどんどんドラマのオファーが来るのではないでしょうか。

『VIVANT』
世間では考察合戦で盛り上がりましたが、ほとんどは空振りに終わったようです。我が家も例外ではありません。もしや意味深なシーンを入れることで盤外を賑わせる作り手の作戦? まんまと乗らされただけなのかもしれない…。
乃木がテントの一員となった終盤は、資金の流れやフローライトをめぐるやりとりがまるで『半沢直樹』のようで雰囲気ががらりと変わり、乃木&野崎コンビの緊張感(+ドラムの癒し)がなくなって、少しテンションが下がってしまいました。それでも芸達者な俳優たちとスピード感ある展開はやっぱり魅力的で、最後の最後まで集中して観られたのですが。
ベキについては、どれほど崇高な信念を持っていたとしても人の命を奪い結果的に孤児を生み出すテロ行為はどうしても正しいとは思えず、あまり感情移入できませんでした。ですが父親としての愛情を随所に滲ませるベキは非常に人間的でしたし、乃木もそれを全身で感じていました。ですから乃木がベキを殺害するラストは受け入れられそうにありません。乃木や野崎の意味深なセリフが示唆するように、ベキとその仲間は生かされたはずです。タイトル「VIVANT」の意味はそこにあったのでしょう。
ただ、良いドラマだったからこそ細かいところもひっかかってしまいました。乃木の二重人格設定は必要だったのか? 小日向文世をただの不倫おじさんで終わらせて良いのか? 黒須は別班員なのに表の姿で目立ちすぎじゃないか? テロリストの息子に見えないノコルやハッカーに見えないブルーウォーカーはもっと適役がいたのではないか? …等々。まあ、前ふたつは続編で解決すると信じます。ジャミーンが野崎になつかなかった理由や「奇跡の子」の意味も説明されていませんし。しかし早く撮影しないとジャミーン役の子が成長してしまいませんかね。

『らんまん』
万太郎と寿恵子の冒険は、植物図鑑の完成で幕を閉じました。
その謝辞には多くの人の名前が記されていました。数多の植物、そして数多の人々。この図鑑は、万太郎の人生そのものでした。かつては植物と自分のことしか見えていなかった万太郎が、周りの人びとによって己が支えられ生かされていることを知った。そして自分の使命は植物に名前をつけることではなく、植物の姿を後世に残すことだと気づいた。図鑑の完成とともに、万太郎の成長もまたうれしく感じました。
天真爛漫な万太郎に皆が巻き込まれていきましたが、唯一彼の天性の魅力に抗ったのが田邊教授。しかし彼にも彼の矜持があったこと、家族を愛するひとりの人間であったことが明確に描かれていたため、決して悪人とは感じませんでした。海外帰りの徳永も、植物を諸外国に対抗する手段として扱うような場面がありましたが、そういう考えを持つようになった背景が端的に表現されていましたし、台湾でのピストル携帯や震災後の自警団の描写など、さりげなくしかし明確に時代や人物像を映し出す脚本は素晴らしかったです。
寿恵子があの時代において受け身でもなく出張りすぎることもなく、万太郎と一緒に人生を走り抜けたヒロインだったことも、このドラマの質を上げた要因であったと思います。貧乏、子の早逝、震災とさまざまな困難に遭いながら、寿恵子はいつも前向きでした。『八犬伝』マニアの彼女のあこがれは八犬士さながらの冒険劇。万太郎のそばにいることで寿恵子もまた自分の夢を叶えられたのだと思います。呼び方が「万太郎さん」から時折「万ちゃん」になるのもかわいらしかったですし、対等なふたりの関係性を感じました。
図鑑の最後を飾ったのは、「スエコザサ」。ふたりの名を冠した学名に、これで永久に一緒にいられるとはかなく笑う妻を抱きしめ「愛しちゅう」。…こんなに悲しくも美しいラブシーンがあったでしょうか。バックに流れる『愛の花』の歌詞がまたふたりの生きざまそのもので、あふれる涙を禁じえませんでした。
ふたりの冒険を見守ってきた今は満足感しか残っていません。
時には脇役にスポットを当てつつ、中だるみする展開がひとつもなかった、濃密な半年間だったと思います。





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