『コタツがない家』
戦力外男三人衆のダメダメっぷりには毎回笑わせてもらいました。いつゴングが「カーン」と鳴るのか待ってしまうほどに。 頑固だわ働かないわ屁理屈たれだわ、本来なら嫌悪感を抱いてもおかしくないはずの登場人物になぜか愛着さえ湧いてくるのは、三人にそれぞれ愛嬌があるのはもちろん、イライラしながらもそれを受け止める万里江の存在感あってならでは。一家の大黒柱でありながら肝っ玉母さんという印象はなく、時にはしくじったり悩んだり、ひとりの娘として妻として母として社長として、それぞれの立場で強さも弱さも見せるので、なにも背負っていない自分も自然と感情移入させられてしまいました。 男のワガママをひたすら許して受け容れるだけならただのファンタジーです。しかし万里江はただ我慢しているわけではなく、ダメ男たちにもきちんと向き合って自分の感情を口にします。あんなふうに食卓に顔をつきあわせて会話をするというのは、現代ではなくなってしまった風景なのではないでしょうか。深堀家は一見ハチャメチャなようでいて、ちゃんと機能している家族です。だからこそぶつかり合ってもきちんと定位置に戻るのだろうと感じました。 「結婚とは何か」「令和の家族とは」なんてたいそうなテーマはありません。最後も家族の心がひとつになって感動の涙…なんてものはなく、コタツがない家にサウナが来てひと騒ぎして終わり。ただ、とある家族のドタバタな日々を見せられただけなのです。それでも清々しい気持ちになりました。フカボリ遊策『コタツがない家』の読後感もきっと同じなのだろうなあ。売れなかったみたいだけれど。 ハッピーエンドだったわけではない、それでもあかるい未来への道筋を示して終わるところも、金子茂樹の作品らしいなあと感じます。次回作も今から待ち遠しいくらいです。 『下剋上球児』 やっぱり部活ものはいいですね。最後も、優勝するとわかっているのにハラハラしてしまいました。 ただ、部活ドラマとして観るならば、やっぱり教員免許偽造のくだりは不要だと感じます。百歩譲って、誰も興味のない弱小野球部の監督に復帰するのは良いとして、県大会を勝ち上がっていけば注目度も上がり、SNSで監督の過去が暴かれて炎上騒ぎになるだろうなあ、と、どこかでチラついてしまうのです。これがSNSのない時代の話ならまだしも、ごく最近の設定ですから、隠し通すのは無理でしょうし。 南雲先生が皆に慕われる人格者で教育熱心であればあるほど、免許偽造に手を染める経歴とのギャップが大きすぎて違和感しか残りませんでした。もちろん、聖人君子である必要はありません。この話は過ちを犯した南雲の下剋上でもあったのだと思います。ただ部活ものはどうしても学生がメインになりがちで、周囲の大人はそれを良い方向へ導く立ち位置。だからこそ、このドラマの主人公は南雲なのか部員たちなのか、視点が定まらなかったように思います。 演技は誰もが素晴らしかったです。ほんわりしているイメージのある黒木華演じた山住先生のドスのきいたかけ声や、前作とまるで異なるわがまま爺さんの小日向文世の存在感はさすがでしたし、オーディションで選ばれた部員たちは言わずもがな。犬塚の育ちの良さを感じる、しかしそれにコンプレックスを抱えているような少し陰のある雰囲気、根室のひたむきさ、日沖弟の熱量、キャプテンたれともがく椿谷、つかみどころがないが実は本質を見抜く力のある楡、三年間ですっかり野球人になった久我原…などなど、それぞれの個性がチームとしてひとつになっていくさまには魅了されました。 部員たちがじゅうぶん実力者だったので、アニメの演出も不要だったかな…。 『マイホームヒーロー』 「続きは映画で」だったのかあー! 最後までハラハラドキドキの連続で、目が離せませんでした。プロットが素晴らしいのはもちろんですが、ほぼ無表情で緊迫感を演出する佐々木蔵之介の演技力あってこそだと思います。しかし話を盛り上げたのは吉田栄作の怪演ぶり。退場の仕方は衝撃的でした。 しかし哲雄が罪を隠し続けて今までのようにしあわせでいられ続けるとは思えず…。逃亡した恭一も黙ってはいないでしょう。映画の舞台は7年後。どんなハラハラドキドキが待っているのやら…。 『ブギウギ』(承前) 物語は折り返し地点を過ぎました。スズ子にはいろいろなことがありました。六郎の出征に始まり、母の死、UDG退団、楽団結成、六郎の戦死、父との別れ、愛助との出逢い、空襲、慰問活動…。とくに、六郎出征のあたりは毎日涙を禁じえませんでした。 赤紙が届いて天真爛漫に喜ぶ六郎を複雑な表情で見守るはな湯の常連たち。ツヤの病気も重なって感情的に怒鳴ってしまう梅吉。あとでそのことを詫びた父へ「大きい声好かんねん」とつぶやいた六郎に、軍隊へ入ればどんなにつらい思いをするだろうと胸の塞がる思いがしました。母の前では子どものままに甘え、父へは力強く「行ってきます」と告げて旅立った六郎。しかし姉のスズ子には「死ぬのが怖い」と本心を明かします。病床の母、ひとりですべてを背負わなければいけない父には言えなかった本当の気持ちを、最後に話せる相手がいて良かった。そんなふうにも思いました。 そして、どれほど怖い、痛い思いをしたのか、どれほど苦しんだのかもわからないまま、六郎の訃報は紙一枚でもたらされました。戦場のことは内地の人間はわかりません。実感の湧かない梅吉とスズ子の姿はむしろリアルに映りました。 その時はあまりにも悲痛に響いた『大空の弟』。数年後、その楽曲は夫を戦争で喪った未亡人の救いの歌となりました。 同じ歌でも、歌うたびまったく同じにはなりません。踊れなくなったり、粗末な舞台であったり、歌い手自身の心模様も反映されます。スズ子が慰問活動で歌う『アイレ可愛や』は聴く者を元気にさせ、防空壕の『アイレ可愛や』は疲弊する皆の心を癒しました。茨田りつ子の歌もそうです。スズ子とりつ子の合同コンサートで歌った『別れのブルース』は、自身の矜持を踏みにじり、誰かの大切な人を奪っていく戦争への怒りを感じました。特攻隊の基地を慰問した際、隊員が希望したのは軍歌ではなく『別れのブルース』。最後の思い出にせいいっぱいの歌を届けようという慈愛に満ちていました。そして戦後、再開された劇場で歌った『別れのブルース』は海の彼方へ散っていった彼らへ送る鎮魂歌でした。涙を流した観客は、その後登場したスズ子の『ラッパと娘』で笑顔になります。スズ子の歌は、あかるい光の満ちた世界への扉を押し開け、彼らを戦争の暗闇からそこへ導いたのです。 スズ子とりつ子のステージにはそれだけの説得力があります。躍動的な趣里、静かに佇む菊地凛子。本物の歌手ではないはずなのに、そのパフォーマンスは圧倒的です。笠置シヅ子や淡谷のり子もこうであったのだろうかと錯覚するほどです。 長かった戦争が終わり、いよいよ『東京ブギウギ』の時代がやってきます。オープニングで描かれたその場面に、愛助はいませんでした。 ようやく戦争が終わったのにこのあとまだ悲しい展開が待っているのかと思うと、今から辛くなります。しかしモデルの人生がそうであった以上、愛助との別れは避けられません。 愛助が若干薄いキャラ(しかも最初はストーカー)なのと、小夜ちゃんが都合のいいピエロ役になってしまっているのは残念ですが、趣里の演技には慣れてきてすっかりのめりこんでいます。 PR |
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