『俺の話は長い』
居心地の良い、とでも言いますか、毎週あたたかい空気感に包まれる1時間でした。 亡き父の古い喫茶店を切り盛りする母。ニートの弟。気の強い姉。その連れ子と不仲なことを気に病む気弱な夫。こたつを囲む5人それぞれの心模様。 働かない弟の屁理屈にひるむことなくやり返しながらも、綾子と満の距離感はやはり家族。ベタベタしない、仲良くもない、それでも会話の間合いの良さは、同じ場所で同じ食事を口にしともに暮らしてきた時間の質量を含んでいました。ドラマですから、あくまでも「家族を演じている」わけですが、演じていることを感じさせない出来でした。脚本、演出、そして生田斗真と小池栄子両者の演技力が見事なバランスで噛み合った作品だったと思います。 姉弟だけでなく、家族を演じた俳優すべてが芸達者なこともあって、まるで岸辺家という実際に存在する家族の日々をのぞいているかのような感覚にもなりました。ひとりだけ血のつながらない光司の、他人が家族の一員になっていくというスタンスを、こたつの配置(ドラマでは一般的に誰も座らないカメラに背を向ける場所で食事をする。しかし馴染んでいくにつれてこたつにもぐって顔を見せながらみかんを食べる)にしているのも面白い趣向だと思いました。 働かない理屈をこねくりまわしてばかりの満ですが、そんな満も自分と向き合いながら苦しむ姿もきちんと描き、最後にはスーツを身に纏って戦地へ赴いていきました。その背に向けられたいろんな人たちのエールに涙も滲ませながら。それは満が苦しんできたことを皆ちゃんとわかっているということでもあり、満が過ごしてきたニートの日々は無為な時間でなかったということでもあり。(面接ではやっぱりいつもの満だったけれど…あれ合格できるのか?) その後の岸辺家を、定期的にスペシャルか何かでやってくれませんかね。 『いだてん』 いだてん最高じゃんねーーーー!! と、声を大にして叫びたい。 ところどころに配置されたキーポイントが、最後にすべてひとつの線でつながっていく。この胸のすくような達成感は、一年間通して観た人間にしか味わえません。 そして、ストックホルムから東京まで、52年間のオリンピックを一気に堪能したような贅沢感もまた最高。 国際社会に飛び出した小さな日本という国が、戦争という大きな惨禍を経て再び世界に向けて踏みだした過程は、熊本の田舎を走っていただけの金栗四三が世界のトップランナーになっていったのと同じ。さらには、敗戦の焼け野原からオリンピックを開催できるまでに復興できた日本の姿は、オリンピックのメダルなど夢のまた夢だった弱小日本でひとり世界に目を向け高みを信じた田畑政治の精神に通じるものがあります。日本という国のアイデンティティが世界の中でかたちづくられてきた近代という時代。その輪郭を固めるにあたり欠かせなかったピースが、さまざまな国や民族が集うオリンピックという祭典で、日の丸を掲げることでした。世界の中心で日本を叫ぶ。スタートはいつもそこにありました。 こんなふうに心を揺さぶられたのは『坂の上の雲』を読んだ時以来でした。魂が共鳴したのです。嘉納治五郎が夢見た未来に、金栗四三が一歩を踏み出し、田畑政治が道筋を作った。誰も見たことのない景色の中へ、日本を連れていってくれた。 大河ドラマは結末が決まっているだけに、そこへ向かわせなければいけない作り手は、時に決められた着地点へ強引に話を展開させてしまうことがあります。作品内ではまだ誰も「答え」を知らないはずなのに、「答え」に視点を置いている作り手の意識が反映された、「答え」を知っているかのような登場人物の言動や行動を感じることは少なくありませんでした。 だからこそそれを逆手にとって、先にラストを決めて逆算で話を作っていったというクドカン脚本には、なるほど、そういうアプローチもあったのだなと感嘆させられました。 そのラストとは、オリンピックの開会式の日に志ん生が『富久』をかけたというものです。そこからいろんなエピソードを重ねて、削って、虚実あわせた人物を配置して話を作っていったという構成力は、さすがとしかいいようがありません。 オリムピック噺というだけあって、落語を通じてオリンピックと日本の歴史を重ねて語らせるという方法は、一見難解な近代史を観る者にもわかりやすく伝える試みであったはずなのですが、やはり一週一話@一年という長丁場のドラマでは、歴史的背景をあまりよく知らない近代という時代が舞台であるうえに、行ったり来たりする時系列がかえって物語を難解にしてしまったのかもしれません。「答え」を知っている視聴者が「答え」を知らない登場人物の繰り広げる物語に歴史ロマンを感じるのが、大河ドラマの醍醐味なのでしょう。日曜8時は大河と決めて絶対にチャンネル権を譲らなかった我が父がリモコンを手離してしまったように、低視聴率の理由はやはりそこにあるような気がします。 そして、その重要であるはずの現代落語パートがね…志ん生を演じたたけしがね…感想書くたびにくり返しているけどもね…森山未來のままじゃダメだったんかね…。 しかしひとりひとりに血を通わせ、笑いと涙を絶妙なバランスで混ぜ合わせていたクドカン脚本は、志ん生の『富久』以上に絶品でした。「アメリカにおもねって原爆に対する憎しみを口にしえない者は、世界平和に背を向ける卑怯者だ!」という田畑のセリフは、ここ数年の大河でも最高傑作のシーンだったと思います。 …あれ。大事なことを忘れているぞ? 美川! 美川はどうなったんだ!? PR |
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