かつて骨抜きにされたヴィゴ・モーテンセンですが、この作品ではまったくイケてない大食漢の用心棒を演じています。 物語は、彼があるピアニストのツアーに同行することになるところから始まります。芸術家然とした神経質なドクと粗野で無教養なトニー、ただでさえ凸凹なふたりが、旅を通じてだんだん友情を深めていく過程が綴られます。 しかし、ピアニストが黒人で運転手が白人、しかも行き先がまだ差別意識の色濃く残っていた南部とあれば、新たな問題が次々に発生していきます。かつては黒人作業員の使ったコップを流し台からゴミ箱へ直行させていたトニーですが、ドクの人柄に触れ、また差別社会を客観視することにより、考えを変えていきます。 ドクもまた、その生き方をトニーによって変えられようとしていました。 マイノリティーとして生まれたことはどうにもできません。いくら素晴らしいピアノの才能があっても、その演奏がどれだけ賞賛を浴びても、彼が黒人である以上越えられない壁がある。それを知りながら、それでも彼の演奏を聴くためではなく、演奏を聴きに来たという事実のために来場した白人の前でピアノを弾きます。賞賛されればされるほど、傷ついていく彼のプライド。それでも弾かなければいけない、それが自分に与えられた使命だとドクは信じていました。演奏を聴かせるためではなく、演奏するためだけに演奏していたドクにとっても、演奏を聴いていない観客と同じくらい無意味な時間だったかもしれません。 しかし、トニーだけは彼の演奏を聴いていました。彼の演奏が本物であると感じ、素直な気持ちをドクに伝えました。 だからドクは彼の言葉に耳を傾け、彼を信じ、場末の黒人専用バーでスタンウェイでないオンボロのピアノを弾きました。ツアー会場では決して見せなかった笑顔で弾きました。 彼が越えなければいけない壁など、最初からなかったのです。 彼のピアノの腕は唯一無二のものであり、彼が弾きたいと思えばポピュラーでもショパンでも、人の心は動かされる。ピアノを弾くことに大義名分はいらない。黒人の未来のためなんて構えはいらない。彼のピアノも人生も、彼自身のためにある。 彼は自由。 会いたいと思えば、会いに行けばいい。友は笑顔で迎えてくれる。 それに気づいたドクの世界とそして音楽は、これからさらに広がっていくはずです。 この作品を、音楽家と運転手の友情物語として捉えれば、非常に優れたものであると評することができます。コメディタッチのバランスも良かったですし、愛妻への手紙が代筆とバレていたオチにも涙が滲みました。20キロ増量したヴィゴ・モーテンセンはもちろん、ドクを演じたマハーシャラ・アリの役作りも素晴らしかったです。 しかし、アメリカにおける差別問題は、日本人には理解しきれないほど根深いものがあります。 黒人差別の観点から見ればこの話は安っぽく、できすぎという批判はまぬがれないようです。『ゲット・アウト』がハッピーエンドでないことに象徴されるように、差別される側からすれば安易な着地点など許されないのでしょう。 その歴史に触れたことのない者が黒人差別について論ずることはできませんが、その点を省けば「良作だった」という感想しか出てこない、心あたたまる物語でした。 PR |
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