『石子と羽男-そんなコトで訴えます?-』
当初は石子のやや説教くさい演説が過剰に感じるところがありましたが、ひとつひとつのエピソードは身近で共感性の高いものばかりでしたし、石子と羽男が絆を深めていく過程も自然で、ふたりの過去を含めより感情移入できるような展開になっていました。最後の不動産投資詐欺はマチベンにしては大きな案件で、さすが最後の事件は規模が違うなと思いきや、結局は「たばこのポイ捨て」によりラスボスが逮捕され、それ自体はたいした罪に問われなくとも「SNS炎上」により失脚するという、あくまでマチベンの域を出ない範囲で法律を武器に戦った結果の勝利で痛快でした。 三角関係になったらイヤだな…と思っていたので、石子と羽男が最後まで互いを補い合う「バディ」の関係だったのが良かったです。呼吸ぴったりのふたりに大庭が少し複雑な気持ちを抱いているような雰囲気もありましたが、今まで孤独だった羽男にとって石子は性別を超えて信頼しうる数少ない存在であり、自分をふたたび弁護士という仕事に向き合わせ誇りを思い出させてくれた恩人のようなものでもありましたから、恋愛感情が発生する要素はまるで見当たりませんでした。素直で心優しい大庭もまた羽男にとって大切な仲間になりましたから、ふたりを応援こそすれ障壁になるはずがありません。今までいろいろな役柄で女性視聴者を虜にしてきた中村倫也が、その色気をすべて消し去って羽男を演じていたこともまた、余計な詮索を封じた要因でもあります。このドラマは、家族にコンプレックスを抱え挫折を味わい心弱かった羽男がひとりのマチベンとして自立していく物語でもありました。弱っている人に差し出す「傘」がひとつのテーマになっていましたが、潮法律事務所そのものが羽男にとって傘だったのかもしれません。 石子もまた、誰に対しても生真面目で自制心の強い言動こそ変わらないものの、羽男と大庭に相対した時ににじみ出る空気感の微妙な違いを有村架純が繊細に演じていました。オアシスのような赤楚衛二や包容力を感じるさだまさしをはじめ、地味に豪華な単発ゲストからラスボス田中哲司まで魅力的なキャストと安定した脚本・演出が最後まで光っていました。あまり期待せずに観始めたのですが、石子が晴れて弁護士として羽男とタッグを組み、大庭を含めてみんなが活躍する続編を期待したくなるくらい満足できる作品でした。 『初恋の悪魔』 さすが坂元裕二&水田伸生だな…と唸らされる質の高さでした。 連続殺人事件の真相自体は予想の範囲を超えるものではありませんでしたが、サスペンスの要素はあくまで味つけであって、このドラマの主題は4人(5人?)の主要人物が築いた人間関係によってもたらされるそれぞれの内面の変化にあるのだろうと思います。 4人の役者の演技は素晴らしい、というかむしろ凄まじかったです。完全な二重人格は星砂だけですが、悠日も鹿浜も、小鳥も、この奇妙な出会いによって変わっていく様子がはっきりとした感触で伝わってきました。 人は他者とのかかわりなくしては生きていくことはできません。孤独であることをむしろ矜持としてきた鹿浜は、恋に落ちたことで友情を手放すことになり、そしてその恋するひとも悲しい運命により去っていきました。すべてが終わり、ふたたび大きな家にひとり残された鹿浜。しかしその静けさは、それによってもたらされる感情は、今までとは違います。 すべては元に戻ったはずだった。しかし恋を、友情を知った彼はもう、元の孤独に戻ることはできなくなっていました。そしてその思いを他の3人も共有していたことを知った時、彼の目にふたたび力が宿ります。そして嬉々として、マーヤーのヴェールをはぎとりにかかるのでした。 蛇女との見事な演じ分けを見せた松岡茉優はもちろんですが、林遣都も仲野太賀も人間味ある二面性を存分に味わわせてくれました。そして何気ない優しさで悠日に寄り添ったり、関係の崩れかけた仲間の潤滑油となったりと存在感を示していた小鳥ですが、柄本佑の持つ独特な色気が一見飄々としているけれど包容力を備えたキャラに説得力を与えていたと思います。 恋心はもちろん、コンプレックスや過去のトラウマ、人には口に出して言えない思いをたくさん抱えています。そしてたいていは、自己の中でもうまく言語化できていないのです。だからこそ解消できない、複雑に絡み合ったそのモヤモヤを、坂元裕二は明確な言葉に変換して示してきます。だから変人のような登場人物にもなぜだか共感し、魅入られてしまいます。そして彼らのように好きなもの、その言葉をいつも思い並べながら、生きていきたいと思うのです。 PR
『オールドルーキー』
新町がサッカー選手への未練とスポーツマネジメント事業の魅力に揺れながら、現役選手の心に寄り添いひとつずつ新たな世界へステップを上がっている間は楽しめたのですが、正社員になるとひとつの決着が着いてしまったので、物語に抑揚がなくなったように思います。 ビクトリーの面々をクローズアップしたエピソードもありましたが、そこまで意外性は生まれず、最後まで定型的なキャラにとどまっていました。主人公である新町から視点を動かさなかったせいかもしれませんが、少しもったいない気もします。 「何かが起きるかも」とどこかで期待してしまっていたのは、日9といえば明確な敵役がいて仲間が裏切って…という展開が多かったせいかもしれません。最初はそれが高柳社長の役割なのかと考えていました。しかし果奈子の熱烈なファンであることが判明してクールキャラは崩壊。ヒールの可能性は消滅しました。それでも経営を優先し人情を切り捨てるような発言はあいかわらずで、最後までどっちつかずの存在だったような気がします。ラストの新町解雇→再雇用の流れもあまり高柳の心の動きが読み取れずに終わってしまいました(これは反町の演技力の問題かもしれないが…)。 綾野剛は良かったです。事前にはいろいろあったみたいですけれども…それを感じさせない好演だったと思います。 『拾われた男』 諭がドラマで当たり役をもらい仕事が安定して増え始めた終盤は、彼がずっと抱えていた兄や家族への複雑な思いを解消していく過程が丁寧に描かれていました。 生まれた順番で決まる兄弟の序列は永遠に逆転することはありません。子どもの頃の体格差は追いつけても、兄はずっと兄であり、弟はあくまで弟。自転車に乗って走っていった幼少期、長じてはつかみどころのない言動や行動、武志に振り回されてばかりだった諭は兄にずっと反感を憶えていました。 顔を合わせても相手を思いやることなんてできないのに、文字だけのメールのやりとりならなおさらです。単身アメリカへ渡ったきり祖母の死去の報にも応じなかった兄へ、諭は絶縁宣言を叩きつけます。 それきり、兄とはもうかかわることはないはずでした。 しかし数年後、諭の事務所に兄が倒れたという知らせが入りました。弟が日本で俳優をしていることを兄は周囲に喧伝していたのです。アメリカに迎えに行った先、諭が目にしたのは弱々しい兄の姿。こちらを煙に巻く態度は前と変わらないながら、アメリカでの兄の生活に触れるうち、諭の武志に対する感情は少しずつ変化していきます。 兄ぶりたい兄と反抗したい弟、互いに素直になれないふたり。考えれば兄弟とは不思議な存在です。生まれた時から一緒にいて、遊んだり喧嘩したり、長い時間をともに過ごしてきたけれど、長い時間一緒にいたからこそ生まれる反発心もあって、いつしか鬱陶しい存在になっていく。それでも見捨てることはできないし、本心から嫌いにもなれない。 結局、諭は最後まで武志と仲良し兄弟にはなれませんでした。太巻きも、楽しいふりをする家族も、苦手なままでした。そんな自分に、後ろめたさもありました。 しかし、兄弟って、家族ってそんなものなのかもしれない。居心地悪くて、苦い思い出ばかりで、素直になれなくて。でも、本当は羨ましかった。仲良くしたかった。素直になりたかった。 遠く薄くなってしまった記憶を、諭は思い出す。兄を泣きながら追いかけた。追いかけたのは、兄のことが好きだったから。道の先で、兄は待ってくれていた。兄もきっと、自分を愛してくれていたから。 仲野太賀と草彅剛が醸し出す空気感は絶妙でした。最初は実年齢差による違和感が拭えませんでしたが、終盤は仲良くないまま年齢を重ねた兄と弟そのものに見えました。気まずさから遠ざけていたのに時折ふっと近くなる距離感。どれだけ疎遠にしていても他人にはなれないのだろうなと思わせる兄弟の関係性が伝わってきました。 愉の視点で描かれたため、最後まで武志はつかみどころのない不思議な人間でした。その現実感のなさが草彅剛のイメージとも重なり、わざわざ歳の離れた俳優を起用した意図が最後になって理解できた時、「兄ちゃん!」と涙を流す愉と一緒に泣きました。 最初は、航空券を拾ったことで事務所に拾われ俳優界に発見された演技派俳優のサクセスストーリーかと思っていました。しかし物語の中で発見されたのは異国でひとり倒れた武志も同じで、もしかしたらこのタイトルは愉と武志両方を指していたのかもしれません。 後半は松尾諭という俳優の半生記であることをすっかり忘れ、仲野太賀と草彅剛の織り成す人間ドラマに没入していました。非常に完成度の高い作品だったと満足しています。
『鎌倉殿の13人』
頼朝がこの世を去り、いよいよタイトル回収…と思いきや、13人いた間はわずかなものでした。 鎌倉はいよいよ血腥く、毎回のように悲しい別れが訪れます。 二代将軍・頼家。以前から、その存在には非常に興味を持っていました。 『吾妻鏡』から読み取れる彼はお世辞にも傑物とは程遠いものでありますが、将軍追放・暗殺というクーデターを北条側から正当化して書き残すには、そういう人物像に仕立て上げるしかなかったのでしょう。 このドラマにおいても、富士の巻狩りで弓矢の苦手な若君に手柄を取らせるため部下が奔走したり、蹴鞠に興じたり、家臣の妻を奪い取ろうとしたりする、いわゆる「暗愚」な一面はありました。しかしその一方で際立っていたのは、自分を軽んじ、裏切り、善意を装って利用しようとさえする御家人たちに不信感を募らせていく若き将軍の深い孤独感でした。誰も信じることのできない彼が心から愛し、慈しんでいた息子さえ、自分が意識を失っている間に殺されたことを知った時の慟哭は、あまりにも悲痛なものでした。 修善寺に幽閉された彼は京とつながり謀反を企て、鎌倉が送った刺客に殺されてしまうわけですが、その結末はおそらく頼家自身も悟ったうえでの行動だったように見えました。誰も助けてくれない、孤独な戦でしたが、逃亡を促すため自分のもとへやってきた泰時の嘆願は、もしかしたら死を覚悟した彼に最後に訪れた救いだったかもしれません。 頼家暗殺を命じられたのは、善児とトウでした。 老境にさしかかっていたと思われる善児には迷いが生じていました。泰時が義時の命に反して匿っていた一幡に対し、善児は殺すことをためらいました。今まで暗殺マシーンのように淡々と指令をこなしていた善児が、はじめて見せた葛藤でした。 いや、そうではないのかもしれません。範頼を殺した際、善児はトウの両親を音もなく始末していましたが、その目撃者であった幼い少女の命は奪うことはしませんでした。あろうことか連れ帰り、自分のもとで育みました。後継者育成という口実はあったものの、わざわざ自分が両親を殺した、自分に恨みを持つであろう娘でなくても良かったはずです。その真意ははかりかねますが、幼子を自分の手で育て上げるうち、おそらく天涯孤独であろう善児の中に、子どもへの憐憫の情のようなものが生まれたのかもしれません。千鶴丸を池に沈めた時にはなかったその感情が、暗殺者善児の綻びでした。 頼家との一騎打ち。善児にひけをとらぬ頼家の剣技は凄まじいものでした。それは年齢を重ねた善児の衰えのせいではなく、頼家が武家の棟梁としてふさわしい武芸を身に着けていたという、頼家へ敬意と愛情を捧げた演出であったと思います。頼家が菩提を弔うために書いた「一幡」の文字にひるんだ隙を、頼家は見逃しませんでした。はじめて太刀傷を受ける善児。激闘の幕は、参戦したトウによって閉じられました。 トウは善児を救ったのではありません。 善児を頼家に殺されてはならなかったからです。 善児は、父の仇、母の仇。一度たりとも忘れることはなかったこの恨み、晴らすべき時をずっと待っていたのです。 ようやく復讐を果たしたトウ。 しかし、善児の胸に刀を突き立てたその表情に、達成感は微塵もありませんでした。 育ての父ともいえる善児と過ごした時間は、果たして憎悪だけに支配されていたのでしょうか。 一幡との遊び道具をこしらえる善児の、まるで孫を見守る祖父のような表情に、心動かされる時はなかったといえるでしょうか。 しかし善児はそんなトウの感情すべてを受け入れるかのように見つめ返していました。トウの憎しみも、悲しみも、葛藤も、狼狽も、愛も、この結末も。 もしかしたら善児は、この時のためにトウを後継者として育てたのかもしれません。 血塗られ、悲しみに彩られた修善寺の回。 そのラストカットは、今まで多くの命を奪い観る者に恐怖を与えてきた善児の、あまりにも静かな臨終でした。 一方、義時は迷い続けていました。 自分がどんどん黒いほうへ堕ちていっていることを、泰時に指摘されずとももちろん自覚していました。だからこそ、迷い続けていました。しかし状況は待ってはくれません。 「坂東武者の世を作る。そのてっぺんに北条が立つ」 兄・宗時の最後の言葉は、まだ遠い夢、未来への希望のはずでした。 しかし今やそれは、義時の呪いとなっている。 比企、仁田、一幡、頼家。北条がてっぺんに立つということは、義時のまわりの人びとが、次々と消えていくことでした。 そしてそれはこれからも続いていく。 畠山の乱、時政の失脚、和田合戦。実朝暗殺。承久の乱。待ち受ける過酷な出来事に、義時、そして北条家はどう立ち向かっていくのでしょうか。そして兄を殺した善児と今は自分も同じだと自覚した義時は、数々の屍を乗り越えた末に、どんな最後を迎えるのでしょうか。 複雑なパワーゲームをここまで明快に、そして多数の登場人物ひとりひとりに感情移入しながら鑑賞できる作品になるとは予想もしていませんでした。 出色の展開に、毎回圧倒されています。
『六本木クラス』
リメイク元である『梨泰院クラス』は未見のため、純粋に楽しんでいます。 どこまで大元に忠実なのかはわかりませんが、復讐劇という大仰な設定や絵に描いたようなアホボン(なぜ大雨の中病室抜け出してポテチ?)、男女問わず暴力的なところなど、ツッコミどころは枚挙に暇がありません。ですがドラマというのは現実逃避の手段ですから、その非現実っぽさが逆に魅力なのかもしれません。現にストーリーに入り込んでしまっていますし。 主人公・新や恋の相手である優香、新の敵である長屋の面々の造形は実にオーソドックスですから、それだけでは物足りません。キーパーソンは葵です。 平手友梨奈は欅坂のセンターで失神しているところしか知りませんでしたが、うまく個性派女優に転身できたのだなと感心しました。葵は帰国子女でIQ162のインフルエンサーで常に世界を俯瞰しているようなキャラですが、そのつかみどころのなさはアイドルの持つ二次元的な空気感と重なる部分があるのかもしれません。その一方で、新に恋心を抱き『二代目みやべ』の発展に尽くし、優香に嫉妬する等身大の純粋さも伝わってきます。三角関係のゆくえももちろんですが、今後の葵が画面の中でいかにその魅力を振る舞うかによって、このドラマの良し悪しが決まってくるような気もします。 余談ですが、web漫画サイトで韓国漫画を日本版に翻訳した作品を時々見かけます。地名や名前は日本風に直しているのに背景が韓国風なので途中で気づくのですが、別に日本が舞台のように変更しなくても…とつねづね思っていました。ドラマは漫画と違っていちから制作しているはずですが、長屋社長の衣装や社長室の雰囲気が韓国風なのは少し違和感があります。唐揚げが目玉の居酒屋チェーン店なのに…。 『ちむどんどん』(承前) 子役時代とまったく別のドラマを観ているようだ…。 どーしてこーなった、と言いたくなるほどです。 天真爛漫と傍若無人をはき違えるヒロイン・社会性ゼロのヒロインを無条件で応援する周囲の人びと・成長のあとも見せずなんだかんだで夢をかなえちゃうヒロイン・金曜にはうまいこと解決するトラブル・都合よく去っていく当て馬たち…という、朝ドラあるあるながらあってほしくない展開全部が詰め込まれております。 同じ脚本家の『マッサン』も主人公ふたりの名演に誤魔化されがちですが、あのふたりでなかったら苛立つ展開はちょいちょいあったよな…と思い出されたものの、ここまでではなかったです。 沖縄本土復帰50年の記念作品のはずですが、もはや沖縄は関係ありません。ここにきてようやく両親の過去が語られましたがもっと時間をかけて語られるべきエピソードのはずですし、遺骨収集に尽力する老翁を演じた津嘉山正種の台詞にはさすが深みがあったものの、ワンシーンで終わってしまいました。沖縄の戦後を舞台にするのはいろいろオトナノジジョウが絡んでいそうだし、正面からじっくり描くのは難しかったのかな…と好意的に推察しておきます。 というわけで、朝の支度をしながらながら観しているので、気がつけばプロポーズが済んでいました。とはいえ成就までまだひっぱるつもりのようですが…。記号的な障壁として起用したなら鈴木保奈美の無駄遣いだよなあ…。 黒島結菜も宮沢氷魚も悪くないのに。すべてがもったいない限りです。まあ、ながら観で最後まで観るのですけれど。 その前の時間に再放送している『芋たこなんきん』のほうがよほど面白いです。リアルタイムの頃は朝ドラ視聴の習慣がなく、評判が良かったのでずっと観たいと思っていました。 これといって何も起きないし、演出もいかにも昔の朝ドラらしいオーソドックスな雰囲気なのですが、なぜか面白いのです。キャストの年齢層が高いので安心して観ていられることもありますが、子どもたちもそれぞれキャラが立っていて魅力的です。何より、藤山直美と国村隼のふたりが実に良い。常に会話を欠かさず、といってベタベタした慣れ合いはなく、お互いに深く理解を示し立場を尊重し互いを良い方向へ導き合っている姿勢はまさに理想的な夫婦の姿です。若いヒロインが成長して、恋をして、結婚して…という朝ドラの既成概念を15年前にすべて破った作品があったとは、驚きです。現在と少女時代を行き来した作りも斬新でした。 そして国村隼って、どうしてああも妙に色気があるのでしょうかね…。
『石子と羽男-そんなコトで訴えます?-』
開始直後は、「風変わりな弁護士とそれに振り回されるパラリーガル」というありがちな設定なのかな…と感じましたが、そこからのキャラ印象は二転三転。パワハラをめぐる一連の事件の真相も二転三転。導入にしてはちょっとわかりにくい作りのような気がしましたが、中村倫也と有村架純の軽妙なやりとり、両者いわくありげな過去を背負っているらしい表情の揺らぎが絶妙で自然と惹きこまれました。 初回ゲストかと思いきや法律事務所のアルバイトとなった赤楚衛二は、『SUPER RICH』同様に「年下男」感満載で、女心をくすぐります。石子に対して敬意以上の感情を抱いているかのように匂わせていますが、羽男と三角関係…なんてベタな展開にはならない気がします。 そもそもこのドラマ、「ベタ」に見せてベタでない設定ばかりです。 羽男はフォトグラフィックメモリーの能力で司法試験を一発合格していますが、それだけ優秀な能力がありながら自分を大きく盛るクセがあったり、プラン通りにいかないとパニックになったりするという欠点があり、家族とも距離があるようです。 また石子も東大卒で頭もキレるしっかり者ながら、司法試験に4回落ちている「崖っぷち」。今度落ちたら終わりという局面で、「もう受けない」という選択をしています。今は一緒に暮らしている父親とも一度別離しており、石子も羽男も育った環境に問題を抱えているというのが共通項ですが、それが今のふたりの置かれている「こんなはずではなかった」状況につながっているようです。 喫茶店での充電やパワハラ、子どものゲーム課金と親ガチャというトレンドの問題を法律に絡めて取り扱いながら、主人公たちの過去をあぶり出していくという展開は、軽いようで重い、共感性の高い作りになっていて興味深いです。 『初恋の悪魔』 一見意味を持たないような言葉の応酬に含みを持たせる、相変わらずのクセ強め。『Mother』や『それでも、生きてゆく』の頃の坂元裕二はどこ行った、と言いたくなります。 殉職した兄に対する劣等感に蓋をして現状に満足していると主張する警察事務官・悠日、停職中の変人刑事・鹿浜、刑事課の渚に想いを寄せる会計課・小鳥、生活安全課の刑事・星砂。4人の主要人物の会話と人間関係が複雑に絡み合う、『カルテット』や『大豆田とわ子』のようなテイストです。 タイトルが意味深。どうやら鹿浜が星砂に人生はじめての恋をしている様子ですが、悪魔とは何なのか、誰なのか。隣人に殺人者疑惑を勝手にかけて盗撮しているハサミ愛好家の鹿浜は異常ですし、いつもスカジャン姿でぶっきらぼうな星砂も、自分の知らない間に購入している高価な靴やバッグをクローゼットに隠しているという二重人格らしき設定があるうえ、「誰かに殺された」らしい悠日の兄のスマホを持っていることが二話のラストで判明しました。恋する渚に手柄を取らせようと、警察官でもないのに事件の真相を探ろうとする小鳥は一見害がなさそうですが、「警察が嫌い」という言葉には裏がありそうです。 そしていちばん害がなさそうで、ものすごくありそうなのが悠日。両親に兄と比較して馬鹿にされても一緒になって笑い、婚約者が自分の浮気を「オープンマリッジ」とうそぶいても会話を録音されていてもニコニコ笑って受け入れてしまうほど自己肯定感が低く、心の中に渦巻く嫉妬と怒りをずっとひとりで抱えて生きていきました。兄弟間で起きた殺人事件によって呼び起こされた悠日の後悔は、兄の最後の電話に出なかったことでした。はじめてその気持ちを星砂に吐露し、彼女に促されてようやく亡き兄の言葉に応え、涙します。ひとつ自分の中にあった重しを取り除いた悠日は、「このままでいい」から一歩脱却していました。そこだけ切り取れば感動的ですが、これで親や婚約者の威圧から容易に逃れられるような平面的なキャラとは思えません。人畜無害なはずの悠日に、署長は兄を殺した疑いをかけています。そう思われてもおかしくない、多面性を持った人間でもあるということです。 「ミステリアスコメディー」という謳い文句から、兄を殺した犯人探しと並行して1話1事件の考察と、それぞれの恋のゆくえを描く進行でしょうか。「クセが強い」「セリフがクドイ」とぶつぶつ文句を言いながらも、ついつい観てしまって気がつけば1時間経っている。それが坂元裕二の魅力ならぬ魔力です。 |
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