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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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手術までの間、「リュープリン」という生理を止める注射を3回打たなければならなくなった。

生理を止めるためで、疑似閉経状態になることにより更年期障害のような副作用が出るのだそうだ。医師曰く「しんどいかもしれないけど、10年後実際に閉経した時の練習と思って」。

更年期を迎えた母が真冬に扇風機を回していたことを思い出した。更年期障害の症状に遺伝があるのかは知らないが、もともと汗かき体質なので自分もホットフラッシュになるような気がする。まさにこれから寒くなる季節、職場の扇風機はすでに撤去されている。うちわを用意していった方がいいだろうか。しかし周りになんと説明しよう…。

ちなみに一回あたり8,000円ほどする。「保険適用…だよな?」と領収証を二度見した。子宮がん検診代を惜しんでいた頃が懐かしい。

最初の注射を打って数日後、何やら吐き気がする。これも副作用だろうか。しかし「気持ち悪い」と言いながらも、食欲はあるので普通に食事もできるし間食もする。単なる食べすぎだろうか。

一ヶ月後、次の注射の日に術前検査を受けた。内容は胸部X線や血液検査、心電図など、健康診断のようなものである。ちなみに40歳になったら人間ドックを受けるつもりで職場の健康診断をキャンセルしていたので、ちょうどよかった。人間ドックどころではなくなってしまったが。

術前検査では、健康診断にはない呼吸機能検査というものがある。口呼吸だけの状態で、最初は普通に呼吸し、検査技師の合図で強く吸って吐くことで肺活量などを調べるためのものである。前回の入院前、この検査をはじめて受けた時、それまで「はい、吸ってー、吐いてー」と普通にニコニコしていた女性の検査技師が、突如として「はい、吐いてー! 吐いて吐いて吐いてーーー!!」とスポ根ドラマに出てくる鬼コーチのように豹変し、ビックリすると同時に笑いがこみあげてきてうまくできなかった(検査結果には影響なかった)。

今回も物腰穏やかな若い男性の技師だった。
「吸ってくださーい」「吐いてくださーい」
いよいよその時が近づいてくる。

「はいっ、吐いてー! 思いっきり吐いてー! モニター吹き飛ばすくらい吐いてーーー!」

できるかー!

心の準備はできていたものの、今回も息を吐くより笑いをこらえるのに必死だった。きちんと吐き切らないと正しい検査結果が出てこないし全身麻酔の手術を受けることもできなくなるのであろうが、なぜ誰もかれもスポ根系鬼コーチに変貌するのだろうか。廊下にまで響くような大声を出されて、お年寄りや子どもはビビったりしないのだろうか。
ちなみに今回も検査結果に問題はなかった。

ひととおり検査を終え、吐き気について医師に相談すると、「まあ、更年期の症状だからね。将来的にそういう症状が出るのかもね」という回答だった。とりあえず吐き気の薬をもらった。
この日のお会計は注射とあわせて14,000円。oh…。

数日後、突然上半身がカーッと熱くなるようになった。突然寒くなったのでこたつやストーブを出したため、部屋の温度が上がったせいかなと思った直後にはサーッと寒くなる。これがいわゆるホットフラッシュというやつか。検査日まで症状がなかったので、「ホットフラッシュはありません」と断言してしまったところだ。
しかも12月になると頻度が増えた。部屋干しの洗濯物を乾かすため扇風機を出していたのだが、流れてくる風が案外心地よい。吐き気も夕方になると薬が切れるのかひどくなる。夕食後まで我慢するが、なかなかしんどい。夜中もやたら目が覚めるようになる。吐き気のせいか更年期障害のせいか、単純にトシのせいなのか…。
手術までの我慢(正確には術後1~2ヶ月は続くらしい)と思えば耐えられないことはないが、来たる更年期が怖い。M-1後芸人がほざいた更年期障害発言には殺意が湧くほどだった。





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セカンド・オピニオンは大事。
そういうお話です。

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もともと生理の重かった私は、長年薬で軽くして、毎月をやり過ごしていた。
このまま閉経まで飲み続けないといけないのかなあ…と考え始めていた四十路のある月のこと。
それは突然やってきた。

下着を脱ぐなりダム決壊。風呂場はさながら殺人現場。
薬できっちりだった周期が早まったこともさりながら、その量が半端ないのである。

そういえば今月から薬を薬局がすすめてきたジェネリックに変えていた。成分は同じのはずだが、もしかしたら私には効かなかったのかもしれない。

とりあえず薬局に電話をしてみた。
「こんな状態なんで、残りが2か月分あるんですけど元の薬に替えてもらえませんか?」
「ええっ! いや、それはちょっと」
「ダメですか?」
「…………ひとまず上司に確認します」
ちなみにこの行動はあとから夫に「おまえはクレーマーか! 一度出した薬を替えろなんてむちゃくちゃや!」と怒られた。私からすれば同じ服を3枚買ったもののサイズが合わなかったので、未使用の2着を交換してもらうような感覚だったのだが、もちろん薬局は服屋ではないし、購入後一ヶ月も経っているのだから、そんな要求が通るはずないと考えるのが一般的なのだろう。
しかし一般的思考を持たないクレーマーに対し、薬局は無理を通してくれた(いや、クレーマーだからこそなのかもしれない)。
「今回は取り替えさせていただくということになりました…が、病院の診察が必要だと思うので、病院に連絡してみます」
私も念のため診察は受けた方がいいだろうと考えていたのだが、薬局がもらった回答は「診察不要」だった。
やはりジェネリックには、合う合わないがあるということなのだろう。内診の苦手な私は「ラッキー♪」と、厚かましくも差額を払って手つかずのジェネリックを先発品に交換してもらった。

ところが次の月も、そのまた次も周期は狂ったまま&ダム決壊。
薬を飲み忘れた日があったからだろうか。しかし今までは一日飲み忘れたくらいで効かなかったことはないのだが…。
あいかわらず量も多いしなかなか終わらないし、痛みで眠れず睡眠不足が続く。
さすがにこれは何かしら異状が起きているのではないだろうか。
病院に予約を取った。
「薬ですか?」
「それもありますが、診察してほしいんです」

そして予約当日、医師に3ヶ月の現状を訴えたところ、

「じゃ、薬変える?」

( ゚ ω ゚ )

診察は…?
ナカを見ずに薬の話とは…?

「変えたら治るんですか?」
「痛みが強いんなら、今の薬のままがいいかもね」
「変えない方がいいんですか?」
「違う薬もあります、ということです」

…さすがにこれはないだろう、と思った。
通い始めた当初とは病院の方針が自分の目的と異なっていったことも、だんだん態度がぞんざいになっていたことも前からうすうす感じていた。だが新しい病院を探すのも億劫だったし、薬をもらうだけだからと惰性で通い続けていたのだ。
病院探しを面倒くさがった自分と、内診を面倒くさがった医師は、根本的には同じだ。これも自分の落ち度が招いた結果だ。病院がよりカネになる患者を優遇するのはあたりまえなのだ。
だが、患者にだって病院を選ぶ権利はある。

惰性から脱却することにした私は、夫が同僚から「評判いいらしい」と教えてもらった、隣駅の病院に行ってみることにした。
地域では有名らしく、待合室にはたくさんの人が座って順番を待っていた。
ようやく入った診察室で、医師はまず「内診しましょう」と私の待ち望んでいたひとことを言ってくれた。

「あー、ポリープがありますね。これのせいですね」

やはり。苦痛をこらえながら、予想が当たってホッとしている自分がいた。

「悪性かどうか調べるので、子宮がん検診していいですか?」

( ; ゜Д゜)oh…

がん検診は自治体の指定病院ならば2,000円で受けられるが、この病院は市外なので自費、5,000円はかかる。
しかし四の五の言っている場合ではない。
生理が重かったのはポリープのせいだったのだ。ひとまず、原因がわかったことに安堵した。原因不明がいちばん困るのだ。鼻中隔彎曲症も判明するまで一年以上不定愁訴に悩まされ、不安で仕方なかった。

悪性なわけないと根拠のない自信を持っていたとおり、検診結果は良性。いったん薬を中止して翌月の様子を見ることになったが、やはり量も痛みも変わらない。

「紹介状書きますので、総合病院で内視鏡検査を受けてください」

(((( ;゚д゚))))…なんかおおごとになってきたぞ?

しかし「内視鏡検査」「ポリープ」などで検索すると、むしろ超音波より痛みがなく、小さいものならその場でサクッと取り除いてくれるらしい。
「なーんだたいしたことないじゃん」とノンビリ構えて、紹介状を携え総合病院へ向かった。

総合病院の医師はひとまず超音波で様子を確認すると、逆三角形の内臓の絵の真ん中にマルを書き、「ここにポリープか筋腫ができています」と教えてくれた。
実物大でほんの1センチちょっとだが、内臓のナカを塞ぐように生っている。それで出血が止まらないらしい。

「今後妊娠を考えているならこれだけ取り除くこともできるけど、再発することが多いんです。閉経が近い患者さんなら、子宮を摘出することをすすめるのだけど」

( ゜Д゜)

て き し ゅ つ だ と ?

予想を超えた内容に一瞬思考回路が固まったが、はっと我に返った。
毎月その日が来るたび、「もう嫌だ。もう取ってしまいたい」とぼやいていた。「おまえはアンジェリーナジョリーか。あれは遺伝的なガン家系で取る必要があったからや」という夫のツッコミまでがセットであった。

☆☆ピコーン!☆☆

私にもついに必要ができた!

「摘出して、何か不具合が出ることはないのですか?」
「卵巣は残るので大丈夫です」
「妊娠できるかできないかだけの話ということですか?」
「そうです」
「じゃ、摘出で!」
「え! いやでも、あなたまだ若いし…」
がぜん乗り気になった私を諌めるように、医師は言った。
「MRI検査を受けてもらうので、その結果が出るまで旦那さんとよく相談してください」

MRI検査は人生二度目だった。一度目は不定愁訴の原因を探るため10年前に脳の検査をした時である。狭い空間にもぐってガンガン音を聞かされた。今回はお腹の撮影なので頭半分はみ出していて圧迫感はないし、お腹が固定されているので何やら落ち着く。よって眠くなってくる。ガンガンうるさいのは相変わらずだが(医療技術は10年前より向上しているはずなのに、なぜこれはそのままなのだろうか)何度も寝落ちしかけた。おかげで風邪をひいた。

夫は摘出に反対した。
「本当に必要なのか? ポリープだけ取ればいいんじゃないのか?」とまた聞きの診察内容に懐疑的であった。「生まれつき在るものを取るべきではない」というのが彼の持論であり、私の下手なプレゼンでは納得してくれそうになかった。仕方ないので結果説明に連れていった。

MRIによる診断結果は「子宮筋腫」だった。
世の女性の三人に一人は子宮筋腫があるという。実際まわりでも耳にした。しかし摘出したという話は聞いたことがない。発症場所が問題のようで、外にできたら気づかないうちに大きくなってしまうこともあるが、私のように内部にできてしまうと、小さくてもすぐ影響が出てしまうのだそうだ。
「本当に再発するのですか?」という夫の質問に、医師はきっぱり答えた。
「半年から三年で再発します」
「じゃ、摘出で!」

医師のわかりやすい説明は私の百の説得よりよほど有効だった。夫があっさり態度を翻したおかげでとんとん拍子に話は進み、手術は年末と決まった。






元号が平成になった時、私は10歳でした。
それでも改元時のただならぬ雰囲気、聞きなれぬ「平成」の響きに抱いた違和感は、今でもはっきりと憶えています。

そして大正生まれの祖母と、「みっつの元号を生きるなんてすごいね」と話した記憶も。
まさか自分自身もそうなるとは…。

当然職場でも改元の対応をしなければならなくなったわけですが、こんな会話に。
「さやさんは平成になった時小学生くらい? やっぱり大変でしたか?」
「大人は大変だったんでしょうが、自分は慣れるのに時間がかかったくらいで、特に。ちなみに○○さんは?」
「私、生まれたばっかりで。あと何日かで平成だったのにー」
「そ、そうなんですね~アハハハ(;´∀`)」
…まわりは平成生まればかりでした。
きっと彼ら彼女らにとっては「昭和」なんて、私が「大正」や「明治」に抱いていたような「大昔」の感覚なのだろうなあ。

そんな前時代人の「令和」の第一印象は、「平成」のそれよりもしっくり来ました。
古風な響きが、皇太子殿下の雰囲気によく合っている気もします。
「平成」になった時はしばらく「昭和64年」から抜けられませんでした(当時読んでいた『あさりちゃん』にもそのネタが出てきて「そうそう!」と共感したもの)が、今回は準備期間があったおかげでスムーズに「令和1年」に移行できそうです。もうそうしないといけない「大人」になってしまっているのだけれど。

学生時代、偶然にも天皇皇后両陛下をお見かけする機会がありました。
ある日大学前でバスを待っていたのですが、時刻を過ぎてもやって来ません。また遅延かと少しイライラした私の前を、ものものしい黒塗りの車が何台も通り過ぎていきました。何事? と不思議に思っていると、続いてやってきた一台の車の開いた窓から手を振る美智子様のお姿が。
たまたま、両陛下が大学の先にあるお寺に来られていたのでした。
一瞬のできごとでしたが、びっくりしすぎて、何が起きたのかわかりませんでした。ただ一瞬だったはずなのに、美智子様の微笑んだお顔はそこだけ照らし出されたようにはっきりと明るく見え、今でも脳裏に焼きついているのです。

その偶然を思い出したのは、東日本大震災の数日後、天皇陛下のビデオメッセージが流された時でした。
不安で押しつぶされそうだった心が、救われたような思いになったのです。
なぜ美智子様の笑顔が鮮明だったのか、その時にわかったような気がしました。
うまく言葉にできませんし、言葉にする必要もないような気がしますが、これからも日本で生きていく自分にとって元号は切り離せないものであり、その元号の象徴である両陛下の存在もまた切り離せないものであり、これから始まる新たな時代の象徴であるおふたりの存在も切り離せないものとなっていくのであろうと思います。

令和はどんな時の姿を刻んでいくのか。
自分にとっても、どんな時代となっていくのか。
できうるならば、世にも己にも心穏やかである日々となってほしいものです。






キス&クライに桜舞うフィギュアスケート世界選手権。
日本開催とあってリアルでドキドキ感を味わえます。

《女子》
トップ6に日本の3人が入るも、表彰台は現&元エテリ組が独占。それでも点差はごくわずか。ひとつのミスが命取りになったとはいえ、上位選手はミスをしてもひきずらず最後まで力強く滑り切ったり、果敢にリカバリーに挑戦したり、見ごたえあるスケートの連続で、「大あっぱれ!」を連呼したい大会となりました。
体型変化に苦しんできたザギトワ選手の、女王ここにありと言わんばかりの優勝。FS『カルメン』は3Lz-3Tから始まり、後半に3Lz-3Loを決めるというザギトワ選手にしかできない激しい構成。絶対に決める、絶対に降りるという強い感情が演技全体にみなぎっていました。
銀メダルは4回転を成功させ、カザフスタンにはじめて女子のメダルをもたらしたツルシンバエワ選手。最終滑走の重圧を感じさせないドラマチックなFSで、一躍世界にその名をしらしめました。昨季まではあまり実力を発揮できていない印象でしたが、エテリコーチの指導が合っていたのでしょう。19歳ですが、まだまだ伸びしろを感じる選手です。ただ見ていて不安になるくらい細い体型なので怪我が心配です。
そして新天地で新しい自分を求めてきたメドベージェワ選手の復活。ロシアでは代表選出をめぐりひと悶着あったみたいで、メドベージェワ選手はいわれなき中傷を受けることになってしまったようですが、批判を一発でひっこめる素晴らしいスケートを披露してくれました。3S-3Loをはじめ、すべてがオーサーコーチのもとで作り上げた新たなメドベージェワ選手の姿でした。まだまだ自分はここにいる、そんな主張まで聞こえてきそうな気迫でした。
メダリストは三者三様、それぞれがそれぞれの輝きを放っていましたが、表彰台を逃した坂本選手、紀平選手、宮原選手からも同じように大会に賭ける思いの強さを感じました。少しのミスが命取りになってしまいましたが、今後につながる大会であったように思います。
坂本選手の成長ぶりには目を瞠らされました。国際大会でもPCSで評価されるようになったのも嬉しいことです。実際、スケーティングも全体的な雰囲気も、エラーがちだったルッツジャンプもシーズンを通してぐんぐん洗練されてきたように映ります。自信と悔しさという新たな武器を手に入れた来季の坂本選手が楽しみです。
優勝の期待がかかった紀平選手ですが、2本の3Aの失敗が響きました。転倒があっても表彰台に肉薄する点数をたたき出せるのはさすがの完成度ですが、エテリ組相手には出遅れは痛手です。4回転に挑戦するという報道もありましたが、『Beautiful Storm』を超えるプログラムを楽しみにしています。
オリンピックからたった一年で日本の三番手扱いになってしまった宮原選手。FSの三連続ジャンプの最後でわずかな躓きがありましたが、フィニッシュでガッツポーズを見せました。どれだけパーフェクトな演技をしても決して感情を表に出さなかった宮原選手。変わったのだなあ、と感じました。それはポジティブな変化なのだと思います。今できることをやりきったことに対する満足感、それは現状にくさらず丁寧に課題に取り組んだことの表れです。いつもスケートに対して真摯に向き合っている宮原選手の姿勢には感服させられます。
日本はしっかり3枠を勝ち取りました。来季はどんな布陣で、強豪に挑むでしょう。

《男子》
ネイサン・チェン選手が圧倒的なパフォーマンスを見せて連覇を果たしました。羽生選手は4T+3Aという前人未到のジャンプシークエンスも含めて復帰戦とは思えない素晴らしい滑りを披露しましたが、チェン選手の圧巻の4回転にはかないませんでした。
羽生選手が万全の状態でないことはその滑りからも明らかでした。試合後に「負けは死も同然」などという刺激的な言葉を口にするほど、まだまだ意識は衰えていない様子ですが、高難度の4回転の練習は古傷に良くないはず。来季も羽生選手の生み出す新しい世界を見たいと願う反面、しっかり休養も取ってほしいと思わずにはいられません。
大会前から順位にこだわるとめずらしく公言していた宇野選手ですが、結果は4位。SP6位スタートが響き、金メダルのチェン選手とは50点の大差をつけられてしまいました。いつもと違う意識を持って入った試合で、身体がついていっていない印象でした。宇野選手は宇野選手らしく、でいいような気もするのですが…。
表彰台にはアメリカ選手がふたりも上がりました。スケート大国復権の予感です。銅メダルを取ったヴィンセント・ジョウ選手も4回転ジャンパー。武器の4Lzに加え滑りが洗練されてきました。ジャンプに失敗する選手が続出する中、しっかり決め切った選手が上位に来た印象です。
しかしなんといってもチェン選手。4回転の本数が制限された新ルールにおいても、SP・FSとも高難度の4回転を含むすべての要素をノーミスでグリーンにまとめあげました。SPの『キャラバン』では冒頭から会場を沸かせ、FSでもプーさんの嵐に動じることなく自分の演技に徹しました。王者の風格すら漂います。絶対王者ではなくなった羽生選手の目の色を変えさせる存在、チェン選手はこれからもしばらく堂々立ちはだかる壁となりそうです。
日本は来季も3枠を勝ち取ることができました。しかし羽生選手がいなかったらと思うと、やはり田中選手の14位という結果にはもの足りなさを感じます。ジョジョではあんなに輝いているのに、大会だと自信なさげになるのはどうしてなのだろう…。

これでシーズンもひと区切り(国別対抗戦はあるものの)。
来年もリンクに咲き誇る、たくさんの花たちを楽しみにしています。









東京では日時指定入場制が敷かれるほど混雑していたという『フェルメール展』。
大阪でも終盤には混みあうだろうと思い、早めに鑑賞することにしました。

平日の昼間だったのですが、さすがにガラガラというわけではありませんでした。
しかし北斎展を思えば、余裕余裕…。

展示は、フェルメールと同時代の画家の作品から始まり、最後にフェルメールが登場します。

日本初公開ともあって目玉になっていた『取り持ち女』。
女に金を渡しその胸をまさぐる男。その隣でいやらしい笑みを浮かべる遣り手婆。娼婦の服がとりわけあかるい黄色である以上に、とりわけ目立っていたのは男の指に挟まれた銀貨でした。
たまたま鑑賞した立ち位置からは、いちばん左端の男の顔が陰になっていてよく見えませんでした。場所を変えてようやく現れたその表情に、ドキリとさせられました。眼前でくり広げられる醜悪な欲望のやりとりを揶揄するような、あるいはみずからもその一員であることを自覚しているような。
そのあとに展示されている作品群の、きらめく恋の一瞬とはまるで異なっています。

電話やメールで簡単につながれるようになってしまった現在は、愛しい人のことを想いながら文字をしたためることもなくなってしまいました。便箋の向こうに相手の顔を思い浮かべる時、その表情はきっと幸福に満たされ、世界は優しい。『手紙を書く女』も『手紙を書く婦人と召使い』も、絵画の中に差し込む光は柔らかく、主人公を包み込んでいます。
まるで心通う主従のやりとりを覗き見してしまったような『恋文』。メイドに本心を見抜かれた女主人の動悸さえ聞こえてきそうです。

グッズ売り場では、フェルメール作品のクリアファイルやマグネットが販売されていたのですが…。
本家『真珠の耳飾りの少女』の隣に、バッタもんが並んでいました。なにやら見憶えがあります。それもそのはず、『コンフィデンスマンJP』でダー子が描いたあの贋作!
コラボしていたのですね。思わず手に取ってしまいました。買わなかったけど…。



美術館を出て、あべのハルカスでお買い物&お昼ごはん。



パスタはペペロンチーノ。おいしかったです。とってもおいしかったのですが…にんにくがゴロンゴロン入っていたので、「明日やべー」と青ざめました。
そしてセットのバゲット。その名も「バケッ塔」、なんと30センチの焼きたてフランスパン。味が12種類もあります。なにかめずらしい味にしたくて、オマール海老バターをチョイスしました。濃厚でおいしい!
でも苦しい…。

そしてデザートもついてきます。



がんばって完食したけどね!

ちょうど、東北フェアをやっていたのですが、お腹がいっぱいすぎて購買意欲がわきませんでした。無駄遣い防止にはちょうどよかったかも。



お団子だけ買って帰りました。
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