元号が平成になった時、私は10歳でした。
それでも改元時のただならぬ雰囲気、聞きなれぬ「平成」の響きに抱いた違和感は、今でもはっきりと憶えています。 そして大正生まれの祖母と、「みっつの元号を生きるなんてすごいね」と話した記憶も。 まさか自分自身もそうなるとは…。 当然職場でも改元の対応をしなければならなくなったわけですが、こんな会話に。 「さやさんは平成になった時小学生くらい? やっぱり大変でしたか?」 「大人は大変だったんでしょうが、自分は慣れるのに時間がかかったくらいで、特に。ちなみに○○さんは?」 「私、生まれたばっかりで。あと何日かで平成だったのにー」 「そ、そうなんですね~アハハハ(;´∀`)」 …まわりは平成生まればかりでした。 きっと彼ら彼女らにとっては「昭和」なんて、私が「大正」や「明治」に抱いていたような「大昔」の感覚なのだろうなあ。 そんな前時代人の「令和」の第一印象は、「平成」のそれよりもしっくり来ました。 古風な響きが、皇太子殿下の雰囲気によく合っている気もします。 「平成」になった時はしばらく「昭和64年」から抜けられませんでした(当時読んでいた『あさりちゃん』にもそのネタが出てきて「そうそう!」と共感したもの)が、今回は準備期間があったおかげでスムーズに「令和1年」に移行できそうです。もうそうしないといけない「大人」になってしまっているのだけれど。 学生時代、偶然にも天皇皇后両陛下をお見かけする機会がありました。 ある日大学前でバスを待っていたのですが、時刻を過ぎてもやって来ません。また遅延かと少しイライラした私の前を、ものものしい黒塗りの車が何台も通り過ぎていきました。何事? と不思議に思っていると、続いてやってきた一台の車の開いた窓から手を振る美智子様のお姿が。 たまたま、両陛下が大学の先にあるお寺に来られていたのでした。 一瞬のできごとでしたが、びっくりしすぎて、何が起きたのかわかりませんでした。ただ一瞬だったはずなのに、美智子様の微笑んだお顔はそこだけ照らし出されたようにはっきりと明るく見え、今でも脳裏に焼きついているのです。 その偶然を思い出したのは、東日本大震災の数日後、天皇陛下のビデオメッセージが流された時でした。 不安で押しつぶされそうだった心が、救われたような思いになったのです。 なぜ美智子様の笑顔が鮮明だったのか、その時にわかったような気がしました。 うまく言葉にできませんし、言葉にする必要もないような気がしますが、これからも日本で生きていく自分にとって元号は切り離せないものであり、その元号の象徴である両陛下の存在もまた切り離せないものであり、これから始まる新たな時代の象徴であるおふたりの存在も切り離せないものとなっていくのであろうと思います。 令和はどんな時の姿を刻んでいくのか。 自分にとっても、どんな時代となっていくのか。 できうるならば、世にも己にも心穏やかである日々となってほしいものです。 PR |
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