『きっと、うまくいく』と同じインド舞台の作品で、インド社会を反映した作品です。 しかしフランスとの共同作品だけあって、『きっと、うまくいく』のような賑やかさは皆無であり、ヨーロッパ映画的な静けさと芯の通った強さを感じました。 農村出身の未亡人ラトナは、ムンバイで建設会社の御曹司アシュヴィンのもとでメイドとして働いています。細やかな気遣いで熱心に働くラトナに対し、アメリカ帰りのアシュヴィンは素直に感謝の意を示し、空き時間に仕立て屋で働きたいというラトナのお願いも難なく許可します。 寡婦は婚家に仕え続けるという村の掟に縛られながらも、口減らしに追い出された先のムンバイで妹の学費を稼ぐために働き、デザイナーになりたいという夢を持つ前向きなラトナに惹かれていくアシュヴィン。階級社会であるインドらしからぬ旦那様の優しさと好意を、とまどいながらもラトナは受け入れます。しかし主人とメイドという立場が変わることはありえません。ラトナはアシュヴィンを拒絶し、家を出ます。 身分差のあるラブストーリーは、障害を乗り越えて結ばれるか、涙にくれながら別離を選ぶかの二択しかないと思っていました。ましてや舞台は差別意識の色濃いインド。ふたりがハッピーエンドを迎えられないであろうことは、わかっていました。 しかし、祝福もなければ悲しみもない、けれどこれほど最良のエンドがあろうとは思いもしませんでした。 階級もそうですが、インドにおいて女性の地位はきわめて低い印象があります。ましてやメイドであるラトナは、アシュヴィン以外の富裕層には人間とも思われていません。勝手に水や料理を持ってきたり部屋を片づけたりする何かです。しかし彼女は人間です。夢もあれば意志もある。わずか二畳ほどながら自分の部屋には神棚を飾り、そこで目を輝かせながら自分の作りたい服を作りました。ひとりの人間としての彼女の心がはっきり伝わってくるにつれ、アシュヴィンは彼女に惹かれていく自分を抑えられなくなっていましたが、彼の友人は、彼と彼の想いを尊重するからこそ自重をうながしました。 そしてラトナもまた、自分たちの恋が世界を変えることなどできないことをわかりきっていました。 そう、どれだけの熱量をもってしても世界は簡単に変わらない。 それでも自分を変えることはできる。ラトナとの結婚を諦めたアシュヴィンが別の場所からラトナを支えることを決意したように。それを知ったラトナが彼を「旦那様」ではなく「アシュヴィン」と呼びかけたように。小さな歩みが、ムンバイの片隅で起きていました。 禁断の恋、というテーマほどのドラマチックな展開はありません。淡々と、ひとりの女性と彼女を想う男の織り成す心模様が紡がれます。ムンバイの発展した街並みとラトナの故郷の農村、アシュヴィンの仕事場の無機質なコンクリートとラトナが纏う鮮やかな布地の色彩というコントラストが、それぞれふたりの置かれた環境を示唆しているようでもありました。 自立した心。世界のすべてはそこから広がっていくのかもしれません。 PR |
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