吉水神社をあとにしてメインストリートに戻ると、道沿いに勝手神社が。
芸事の神様だそうで、義経と別れたのち捕らえられた静御前が舞を舞ったとされる場所ですが、本殿は近年不審火により焼失してしまったそうです。
吉水神社では、こちらの御朱印もあわせていただくことができました。
さて、上千本へ向かう方向と分かれた坂道を下ります。
次なる目的地は如意輪寺。後醍醐天皇と楠木正行ゆかりのお寺です。
メインストリートからはずれているので、立ち寄るかどうか悩んだのですが、上千本・奥千本コースは時間的に厳しいのであきらめ、中千本を堪能することに。
落ち葉を踏み分け、進みます。
1キロのハイキングコースと書かれていたので、なめていた。
道を上がったり下がったり…運動不足の身には、苦しい。
しかもぐねぐね曲がり道。何本目かの坂道を登り切ってもまだ道が続いており、「まだ? まだなの⁉」と息を切れ切れつぶやく視界に、「←如意輪寺 もうすぐ」の看板が。参拝者の気持ちがよくわかってらっしゃる。
しかし「後醍醐天皇も歩かれた道」と書かれると、神妙な気持ちで進まねばなりません。
ようやく着きました。ぜいぜい。
南朝の歴史を思い起こすような、ひっそりしたたたずまいです。
境内には美しい菊がいくつも飾られていました。
宝物殿には楠木正行が四条畷の合戦に向かう際、本堂裏手にある後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌を刻んだという如意輪堂の扉が展示されていました。
私の地元は小楠公・正行のゆかりにあり、楠の名をその地にいくつも残しています。小学生の時は毎年遠足で四条畷の合戦場となった飯盛山に登り、小楠公の銅像の下でお弁当を食べました。また、向かい合うように立っている小楠公とその家臣和田賢秀の墓の前をしょっちゅうウロウロしていました。しかし日常の中にありすぎて、わざわざ中に入ってお参りすることはありませんでした。
そんな楠公さんが一気に身近になったのは、高校生の時、古典文学研究レポートで『太平記』を扱ってからのことです。
題材に『太平記』を選んだ理由は、それまであまり触れたことのない時代で、大河ドラマもちゃんと見ていなかったし、これを機に興味を持ってみようかな、という他愛もないものでしたが、調べていくうちに、ドハマりしてしまいました。南北朝という複雑な歴史の中身よりも、人間味あふれる登場人物、無機質ですらある合戦描写の凄まじさ、叙情的な『平家物語』とはまた異なる魅力の詰まった一大叙事詩に魅せられたのでした。
おかげで、夢中になって仕上げたレポートには高得点をもらいました。ありがたし。
他にも小楠公ゆかりの品々や、歌川国芳の描いた四条畷の合戦図が展示されていました。まさかここで国芳に逢えるとは。
あと、宝物殿に入ってすぐに、寝そべリアがあります。
…いえ、寝拝み観音といって、横たわって天井に描かれた観音様を拝むというものです。周りをうかがって、誰も来ないことを確かめてから、こそっと寝そべりました。
厳かな多宝塔。手前にはしだれ桜があり、春ならまた違った姿を見せてくれそうです。
境内にある至情塚は、若くして命を散らした正行と弁内侍との悲しい恋の結末。正行亡きのち尼となった弁内侍の黒髪を埋めた場所と言われています。
期間限定の御朱印をいただくことができました。
本堂の裏にある後醍醐天皇陵は石段を登った先。少し曇ってきたうえ、樹々に囲まれ薄暗い雰囲気がしていたので迷いましたが、石段の下で草刈りの業者さんがブンブン機械を鳴らしていたので勇気を出して登ってみました。
どんな御陵もそうですが、下界とは異なった空気が漂います。
そしてこの御陵は、歴代天皇のお墓のうち唯一北向きです。都の方角を向いているのです。
さっと風が吹きぬけていきました。
「魂魄は常に北闕の天を望まん」と詠みこの世を去った後醍醐天皇の無念が今もこの地にとどまっているかのようです。
そしてまた同じ道を歩く。
あっちまで戻らないといけないのか…ぐぐ。
戻りました。あんな遠くから歩いてきたのか…。
こうして見ると、山腹にぽつんとある如意輪寺は、金峯山寺から続くメインストリートの車が行きかいお店が立ち並ぶそのにぎやかさとはかけ離れたところにありますが、当時においても寂寞とした山寺であったのではないでしょうか。
咲いては散りゆく桜の里。吉野の歴史は、花のごとく滅び朽ちた南朝とともにあります。
そこだけ時の止まったような静かなる風景は、非情のさだめに斃れた人びとの悲しみを今もひそやかに伝えています。
復路のバスでようやく駅に帰りつくも、急行の時間まで30分…。
バスが着いてすぐに特急が発車したはずですが、駅前には人だかり。あれ、みんな急行? と思いきや、その次に出る観光特急・青の交響曲(シンフォニー)を待つ人たちでした。予約殺到でなかなかチケットが取れないのだとか。ホームには優雅な音楽が流れ、窓から見える内装も豪華…う、うらやまし…。
で、でも、大阪まで行ったって仕方ないんだもんね!
と、夕刻を迎えてすっかり冷たくなった風の吹きこむ車両でひとり震えるのであった。
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