開催が決まった時から楽しみにしていた北斎展。
繁忙期が終わって、やっと行ける―♪
しかし、閉会間近になって、連日大混雑の報道が。いや、平日の夜ならマシだよね。正倉院展だって、閉館前なら空いてたしぃ。
…と信じて、定時でダッシュ、あべのハルカスへ。
「整理券をお配りしておりまーす」
(;゚Д゚)
…で、17時半に到着したにもかかわらず、入館は18時半。
おなかすいたよー。 ミュージアムショップなら無料で入れるのでのぞいてみると、こちらも超・超大混雑。
ひええ…中はどうなっているのやら。
18時半前にようやく入館するも、もちろん人でごった返し状態。ガラスケースの前はまったく進みません。こりゃ、正倉院展のように開館前から並ぶほうが正解だったのかも。
で、仕方なく二列目に回るも、人の頭しか見えないわ、ぎゅうぎゅう押されるわ…。
浮世絵の楽しみは、細部にわたる描写を堪能することにあると思うのですが、とてもとても、そんな環境じゃねえ! 「立ち止まらないでくださーい」と係員がくり返している中で、単眼鏡なんて使えやしねえ!(それでも立ち止まって見ている人ばっかりだったんだけども。こちとらそんな時間ないし)
ケチの自分でさえ図録買おうか考えてしまうほど、絵を見られねえ…。
それでも、富嶽三十六景の有名な『神奈川沖浪裏』『凱風快晴』の前では立ち止まってしまうのもやむなし。
超有名な二作ですが、やはりその着想にはため息しか出てきません。
風景画にしろ、動植物のスケッチにしろ、北斎の視点は自由自在に空間を飛び回り、意外なところから我々を導きます。
いわゆる下書きにあたるラフ画も展示されていました。紙を前にイメージをふくらませ筆を幾度も滑らせる芸術家の姿が垣間見えるようです。
開催に先立ってNHKで放送されていたドラマ『眩~北斎の娘』。不世出の天才・北斎と、彼の弟子であり理解者であった娘・お栄の日々を描いたもので、芸術の世界に取り憑かれていくふたりのさまを長塚京三・宮崎あおいが好演しており、見ごたえがありました。
そのお栄(葛飾応為)の作品も展示されていました。ドラマでも取り上げられていた『吉原格子先之図』。苦界である遊郭の中はあかるく、格子ごしに遊女を眺める人々の集う道端は暗い。光と闇が入れ替わったかのような、それはまるでこの世の禍福は背中合わせと言わんばかりのような。
晩年、北斎の描く世界は我々が見るそれとは異なる境地へと向かいます。
祭屋台の天井絵として描かれた一対の『濤図』。荒々しく渦を巻く波は、ブラックホールのように奥深くへ見る者を吸い込んでいきます。北斎の視点は、富士を、空をも超えて、宇宙をも見渡そうとしていたのかもしれません。
白銀に溶けていく虎。
爪をいからせ空を翔ける龍。
その双眸は、おそらくこの世に向けられていない。
じきに迎えるであろう死のさきを、龍虎に映して感じ取ろうとしていたのかもしれない。
北斎はその死を前に、「あと五年命をくれたなら、真の絵師になりえたのに」と言葉を残したという。
もしその望みが叶っていたとしたら、彼の世界はどこに行きついただろうか。
・・・
入館した時はどうなることかと思いましたが、「神の領域」を垣間見られただけでも満足でした。
行列にならんで図録を買う気力は残っていませんでしたが…。
あー、でもやっぱり買えばよかったかなー…。
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