コロナウイルスは、キム・ギドクの命までをも奪っていきました。
夜、速報のネットニュースを目にしても、にわかには信じられませんでした。 なんとか誤報であってほしいと願いました。 数年前の暴力問題から彼は海外で活動していたようです。 ラトビアの医療環境のほどは知りません。しかし言葉の通じぬ場所よりも、母国であったならもしかしたらその命が救われる可能性がわずかでも残されていたかもしれないと、詮ない想像をしてしまいます。 まだ59歳。これからも撮り続けたはずです。 絵画のように美しく、ナイフのように攻撃的で、ガラス細工のように繊細な、彼にしか生み出せない映像の数々を、もう味わうことができないのかと思うと、ただ悔しく、そして悲しく、思いは尽きません。 志村けんも、キム・ギドクも、自分の記憶の中に確固として存在する、いわば自分を構成する部分のひとつでもあります。 コロナはそれらを奪っていった。 閉じ籠った部屋の片隅で、目に見えない未知のウイルスに恐怖し、歯止めのきかない時の流れを憎む。 これ以上、大切なものを奪っていかないで。 ありふれた日常を、かけがえのない一瞬の連続を返して。 早く元の、なにものにも隔てられない、ありのままの世界になって。 PR |
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