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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『オードリー』
朝ドラあるある:ヒロイン迷走しがち。
朝ドラは半年という長丁場で人の人生を描くのですから、夢や目標が変わっていくのも当然といえば当然のこと。しかしこういう展開がハマるかハマらないかが、作品の価値を決めると思っています。
この作品も女優→女将→映画監督と、美月の人生は都度変化していきました。しかしその原因は大京の経営難であったり、滝乃の結婚であったり、自分自身の選択というよりは環境に振り回された感もあります。さまざまな困難を乗り越え、最後に自分の夢をかなえるという王道ストーリーではあるものの、その困難は主に育ちの複雑さや滝乃という強烈な存在。ありふれていない設定が新鮮で、なんだかんだ最後まで飽きずに観てしまいました。
滝乃の存在感はさすがでした。よくよく考えてみると、他人の娘の美月を我がものにするスタート地点から、昔の恋心が再燃してあっさり椿屋を捨てるところまで、いつもいつも独善的でこれっぽっちも共感できない生き方なのですが、なぜか嫌いになれない。これも大竹しのぶの演技力のなせるわざなのか。滝乃さえいなければ、美月も春夫も愛子も梓も、きっとその人生はおそらく良い方向に大きく変わっていたでしょうに、滝乃の最期のシーンでは悲しみの念すら湧いてきました。
当初はその演技力に疑問を抱いていたヒロインですが、最後は中年になった美月のこれまでの人生の重みと人間味を感じることができました。以前の朝ドラはこんなふうに、若手女優の成長譚でもあったよなあ…と懐かしく思います。
堺雅人と佐々木蔵之介がこんなに重要人物とは思ってもいませんでした。佐々木蔵之介なぞ最後は一人二役を演じる離れ業。だからこそ一茂がもったいなかったです。なぜ一茂を…こんな大事な役で…。せめて虎の俳優さんでも良かったのに…。
ドラマ全体としては、さすが大石静脚本だなと感服しました。

『虎に翼』
終盤は星家の確執と原爆裁判に尊属殺人、あわただしい展開が続きました。そこに宙ぶらりんだった美佐江のエピソードを回収しなければいけなかったので、やや駆け足に過ぎ去ってしまったように思います。
原爆裁判や尊属殺人は、短い時間でしっかりとその本質を突いていたと思います(山田轟法律事務所がこの歴史的裁判両方に関わったというのは、まあ、ドラマだから仕方なし)。被爆者や美位子の心情も丁寧に描かれていましたし、法廷で「クソだ!」と言い切ったシーンは拍手喝采。尊属殺人に寅子は関わってはいませんでしたが、戦後の法曹界を描く以上、どうしてもこの裁判を避けることはできなかったのだろうなと感じます。
ただ、現在進行形で決着のついていない問題があります。寅子たちが守ってきた少年法の理念。戦後間もない頃、貧しさから罪を犯す子どもたちを救ったのは「愛」でした。しかし終戦から年月を経て、戦争を知る世代と知らない世代のギャップは広まり、少年法改正の動きも強まりつつありました。
みずからの手は汚さず、人を操っていく美佐江。寅子は彼女を恐れて「愛」を届けられなかったことを悔やみ、その娘であり美佐江と同じ雰囲気を纏う美雪には正面からしっかりと向き合い、みずからの思いをぶつけました。寅子の言葉を受け止め、施設暮らしで改心したかに見えた美雪。「愛」の理念の完全勝利かと思いましたが、しかしその後の寅子と音羽の会話は、美雪がまた罪を犯す可能性があることを否定してはいませんでした。
美雪の涙は嘘ではないでしょう。しかし、美佐江や美雪のようにサイコパスの因子を持った人間はおそらく一定数存在して、どれだけの愛を持ってしてもその因子をかき消すことはできない、そんな愛の無力さを含ませているようにも感じてしまいました。
寅子と美雪の対峙が感動的であったからこそ、その含みに消化不良感が残ってしまったのですが、現実と照らし合わせても、「愛」がすべての人を救えるなどというのは傲慢なのかもしれません。もちろん、ここでの主題は音羽たち若い世代が新時代の家裁を作り上げていく、そのバトンタッチを寅子が行うという多岐川の理念の継承なわけですが。
新潟編まではじっくり描かれていた寅子の人生が、最後はバタバタ終わっていってしまった感が少し肩透かしでした。一年くらいかけてゆっくり観れば、味わい深かった作品のように思います。


『海のはじまり』
なかなか賛否両論激しい最終回ではありましたけれども、やはりこのドラマの焦点は人生の選択であったのかなと思います。
最終的に、夏は海とともに生きる道を選び、弥生は選びませんでした。誰かのため、ではなく、自分のため。「犠牲になった」とされている夏も、自分自身が選んだ人生なのです。水季と交際したことから海の父親になることまで、すべて自分で責任を持って選ばなければならない、それが人生。そして選んだ結果はすべて取り返しがつかない、それが人生。
水季とてそうです。意地を張らずに実家で暮らしていれば病院にも通えて、海と離れることはなかったのかもしれない。死んでしまえば選択肢を誰かの手に委ねなければならないのですから。
弥生もあんな元彼とさっさと別れていればつらい思いもせずに済んだだろうし、自分の子を産む時のことを考えずに海の母親になる道を選んでいたかもしれません。
人生はすべて選択と、偶然と必然のくり返し。
だからこそ偶然と必然に際して安易な選択はしてはならないし、選ぶ時はいつも自分のしあわせを考えなければならないのです。その選択は時に誰かを傷つけるかもしれない。けれど、自分をしあわせにできるのは、結局最後は自分だけ。
そうでなければこんな苦しみばかりの世界、生きていけない。
もっとも、このドラマはそんな説教くさいことを主張はしません。ただ、誰かが自分の人生を自分の手で選んでいく。ちょっと非日常な状況ではあるけれど、自分のしあわせを一生懸命考えて自分の道を決めていく、描かれたのはそんなどこかの誰かの日々。ただそれだけなのですが、ちょっと立ち止まって自分の人生を振り返る、そんなきっかけになったと思います。

『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』
笑えるのに泣ける。泣けるのに笑える。
感情の起伏が激しい45分を毎週、岸本家と一緒に過ごしていました。
父の早逝、弟はダウン症、母は車椅子で祖母は認知症。その「設定」だけで「かわいそう」とレッテルを貼る世間に対し、七実はその筆(指?)で抗い続けます。こんな「おもろい」家族がいるものかと。
七実は、ずっと父への最後のひとことに縛られていました。「死んでまえ」と言ったら本当に死んでしまった父。父がいれば、七実は家族のためがむしゃらに頑張らなくても良かったのかもしれない。そんな感情が爆発するシーンは、七実のこれまで抱えてきた苦しみが伝わり胸が締めつけられました。
しかし父はずっと七実を、岸本家を見守っていたのです。それを知っていたのは草太だけでした。岸本家から独立する日。ゆく道の先を見つめる草太の強い意志を秘めた両目と、息子の成長を見守る父親のあたたかいまなざし。それはずっと寄り添ってくれていたパパから卒業する日でもありました。
七実も、ひとみも、耕助がずっとそばにいてくれたことを知ります。認知症の芳子もまた、草太の中に耕助を見つけます。岸本家は、五人でひとつ。全員そろって、「おもろい家族」たりえるのです。
岸本家を「おもろい家族」と言ったのは、耕助が最初でした。その遺志を継いだ七実。家族をずっと笑わせ続けることを決意した七実は、耕助の愛車ボルちゃんを買い戻します。そして家族を乗せて、おもろい道を走り続けるのです。これからもずっと。
河合優実を知ったのは『不適切にもほどがある!』でしたが、それより前にこの作品の主演に抜擢した制作陣の眼力はすごいと感嘆しました。高校生から中年まで、等身大の七実を演じきっていました。てっきり関西人かと思っていたら東京都出身なことにも驚き。関西弁でセリフを言うだけでも難しいであろうに、ツッコミの間の取り方が完璧でした。
草太役の子にも泣かされましたが、坂井真紀・錦戸亮演じる両親の演技も素晴らしかったです。親は同性・異性の子に対し、愛情の量は同じであっても接し方が微妙に異なるものです。異性の子には優しさや包容力が先に来て、同性の子は友達のように距離感が近い。その違いを描きわけているドラマは家族ものでも今まであまりなかったように思います。岸本家を身近に感じさせる空気感を作り出す演出も特筆ものでした。
ほぼコメディタッチながら緩急のついた脚本と演出もクオリティが高く、まれにみる傑作でした。どうしてリアルタイムで見なかったのだろう…。再放送してくれて本当にありがたかったです。





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