『虎に翼』(承前)
終盤になって、寅子のまわりは急にあわただしくなりました。 航一との再婚、星家の家族との軋轢、相変わらずにぎやかな猪爪家。 そんな中、流れる時間とともに描かれていたのは原爆裁判。 思ったより割かれた尺は短かったですが、それでも作り手のメッセージは伝わってきました。 誰も責任を問われない重大な犯罪行為、それが戦争。人類史上最も凶悪な兵器である原爆によって苦しみ続ける被爆者が起こした国家への賠償請求。寅子は裁判官として、よねたちは弁護士として、彼らの思いに向き合います。 原告側が訴えを起こしたのは昭和30年。『夕凪の街 桜の国』の皆実が十年前にあったことに向き合おうとした矢先、原爆症で亡くなったのも昭和30年でした。 竹中記者は「そろそろあの戦争を振り返ろうや」と言っていましたが、原爆投下・終戦から十年が経ち、その間、ドラマの中でも寅子たちの生活は戦争の色も残らない、満たされたものに変化していました。つらくて苦しい記憶は忘れたい。そんな誰しもの思いが、被爆者を社会の片隅に置き去ってしまうことになったのかもしれません。 原爆が描かれる時「苦しみ」「悲しみ」があるのはもちろんですが、昭和生まれの自分が学んだのは被爆者たちの「怒り」でした。広島へ修学旅行に行く際『原爆を許すまじ』という歌を習いましたが、非人道的兵器の根絶を願う詩の陰に、どこへも向けることのできない「怒り」もあると感じたのです。時代が流れ、いつしかその「怒り」はなくなっていきました。昭和から平成初期にかけては現在進行形で多くの被爆者たちが生きていた時代だったからなのかもしれません。 汐見が毅然と読み上げた原爆裁判の判決文は、その「怒り」をひさびさに感じたメッセージでした。 誰にとっても苦しい裁判でした。寅子たち裁判官も、よねたち弁護士も、一度は法廷に立とうとした原告の女性も、苦しみ抜いた8年間でした。国側の代理人も、法学者も、被爆者の現状に向き合って情が生まれないわけがありません。しかし法律は絶対ですから、被爆者に賠償請求権を認めることはできませんでした。 しかし法が無力であってはならないのです。主文後回しで読み上げられた判決理由は、原爆投下は国際法違反と断じ、被爆者たちの心情に寄り添い、彼らを救済しない政府を批判したものでした。途中で席を立とうとした記者たちも座り直して聞き入らざるを得ない、圧巻の4分間でした。実際の判決文に沿ったものだそうですが、これほど素晴らしい判決文だったことは恥ずかしながらはじめて知りました。この数年後、被爆者に対する特別措置法が制定されます。裁判には負けたけれど、寅子たちが作り上げた判決文に込められた被爆者たちの「怒り」は、国を動かすことに成功したのです。 判決後、それぞれの感慨にとらわれる法廷内。よねの涙は、決して敗訴したからではないし、勝訴側の反町もうつむいて席を立てずにいました。裁判の勝ち負けはついたけれども、誰もが原爆投下の責任を誰にも問えない敗戦国の人間なのです。もはや戦後ではないと言われて久しい昭和38年。しかし未来は過去の戦争を無かったことにはできずに、これからも続いていくのです。 原爆裁判から60年経った今もなお、その道を我々は歩んでいることを、決して忘れてはいけない。そんなことを改めて思い知らされた回でした。 PR |
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