おひさま浴びて、きれいになりましょ。 PR
必ずトップニュースで報道されていた「今日の新たな感染者数」。
ステイホームも定着してきた頃、徐々にその単位を減らし、ようやく緊急事態宣言も解除されつつあります。 とはいえ、生活が元通りになるわけではありません。 これから「新しい生活様式」が、「普通の生活」になっていくのかもしれません。 あんなに苦手だったマスクも慣れてきました。口紅を塗らなくていいし、顔下半分のファンデも減らせるし、軽く香りづけすればリラックス効果もあります。とはいえ、これから暑くなる季節、すでにかぶれが気になりますが…。 緊急事態宣言は解除されても、アベノマスクも給付金の申請書もまだ届かない地域が多くあります。政治の在り方が違うので、迅速な補償を行った海外と較べるのはナンセンスですが、それ以外の面でもあれこれマイナス要素が目立ちすぎて、ウンザリする部分が少なくありません。有事というのはいつも予想を遥か超える質量で人びとを苦しめます。終わってしまえばすべてよしにするのではなく、マクロでもミクロでも、状況に応じて柔軟に対応しながら生きていかなければならないのだろうと感じます。 インターハイに続いて、夏の高校野球も中止になりました。 体育会系だけでなくあらゆる部活動の大会が中止になっているうえ、このままでは体育祭も文化祭も通常開催できるかどうかさえ怪しいです。 自分が高3の頃を思い返してみると、「高校生活最後」をとりわけ意識していたわけではありませんが、やはり高3の時の行事は1・2年のそれに較べて強く印象に残っています。 そんな思い出作りを奪われた彼ら彼女らの気持ちを想像することすら、おこがましく感じます。 いや、「思い出」と感じるのは私が歳をとってしまったからであって、当時は日々の一瞬一瞬が大切な「今」であって、「今」より大切なものなんてありませんでした。「今後のため」だの「大人になればわかる」だの、大人の言うことはちっとも響いてこなかったのです。あとになってわかりました。大人たちの誰しもきっと、「あの時、大人に言われたことは正しかったのだな…」と、実感する時が訪れたのだろうなと。18歳の自分に「従っておけ」と教えてやりたいと思っても、もう時は巻き戻せません。 ですからやっぱり、「今」を奪われた高校生たちも、「この経験が糧になる」なんて安易な言葉に納得できるはずなどないでしょう。 今は泣いて、恨んで、呪うしかできないと思います。そして、大人たちは響かない言葉だけでなく、その行き場のない感情を少しでも解消できる何らかの道筋を与えてあげてほしいと思います。 暗い景気が社会も心も荒ませていく世の中。 自分の中に溜まった泥を、通りすがりの誰かに投げつけるような人間だけには絶対になりたくないと、日々意識して新しい生活を送っていきたいと感じています。 スーパーで見かけた特価のにぼし。 観音寺産! あまりの懐かしさに飛びついてレジカゴへ。 家に帰って、さあ(ひさしぶりにほんだしを使わず)だしを取ろうと袋を開けると…。 愛媛県の観音寺って…。 どこ…? お寺…? 観音寺という寺で獲れたの…?
ゴールデンウィークももう終わりです。
いつもなら、「今年も”Golden Weak”だったー!!」などと騒いでいるはずでした。(…いや、それも困る) 出かけたい時に出かけて、 食べたいものを食べて、 会いたい人に会って、 欲しいものを欲しい時に手に入れて、 あたりまえのように過ごしていた日常がどれだけ尊いものであったかが身に沁みます。 非日常のストレスを誰かにパスする悪循環に社会は陥っていて、 自分もそのループの中に置かれているのかと思うと沈んでしまう心が、 非日常へ向かう一歩目なのだろうとも思う。 だからなるべくできることはしようと思いました。 出かけたいところには出かけられないし会いたい人にも会えないし欲しいものも手に入れるには限界があるけれど、 食べたいものはなるべく食べよう、と。 スーパーの入り口で見かけた柏餅。 一度は断念したけれど、レジ前のワゴンでまた出会ってしまった…。 そんなん運命やん、買わなしゃーないやん… はっ! そうか。これがコロナ太り…!!
1970年代後半に生まれた私は、『全員集合』を観て育ちました。
ものごころついた時から、土曜8時は『全員集合』。クラスの中には『ひょうきん族』派もいましたが、我が家はずっと『全員集合』でした。親も「こんなの観たらアカン!」と言いつつ、一緒になって笑っていました。 いつか会場に行って、長さんのかけ声にあわせて \全員集合!/ をやるのが夢でした。 その夢が叶わないうちに『全員集合』は終わって、『加トちゃんケンちゃん』が始まりました。「うちもビデオ買おうよ」と親に言うと「いらん!」と瞬殺されました。 ヒゲダンスを踊って、「だいじょぶだあ~」を真似して、『バカ殿』でエロを憶えて、ケンちゃんラーメンを食べて…。 子ども時代を語る時、志村けんは欠かせない存在でした。 石原裕次郎のようなスターや、王長嶋のようなヒーローではありません。 でも、志村けんは毎日私たちに笑顔を与えてくれました。 悲しいことがあった日の夜も、志村けんを観たら笑って眠りにつくことができました。 さらに大人になると、志村けんの大人な魅力に気がつきました。 数々の女性と浮名を流しながら過去を汚すことなく独身を貫いていること。 バラエティタレントにならず、コメディアンに徹していること。 CMで津軽三味線を弾く姿のカッコよさには、あやうく惚れてしまいそうでした。 『エール』出演も楽しみにしていました。 お別れはあまりにも突然で、にわかには信じられませんでした。 追悼番組を観てもまだ実感がわきませんでした。昔のコントみたいに白装束で「ばー」と現れるんじゃないか、後ろの写真を突き破って出てくるんじゃないかと。でも、これはやっぱり現実で。それがあまりに悲しくて、泣けて泣けて仕方なくて。 それなのに、コントを観ながら笑ってしまいました。泣きながら笑いました。加藤茶の弔辞にまで笑ってしまいました。 この夜、日本じゅうの家庭に響いたであろう笑い声。 大人も子どももテレビの前で楽しんだ土曜8時、あの時と何も変わらない笑い声。 長さんが亡くなった時は、子どもの頃の思い出がなくなったような気がして悲しかった。 けれど、私たちは何もなくしてなかったんだな。 高木ブーの言うように、彼はみんなの中で生きているんだな。 彼の与えてくれた笑顔は、こんなふうに、永遠に残り続けるんだな。 ならばやっぱり、志村けんはスターで、ヒーローだ。 これからも私たちをいつでも笑わせてくれる、ずっと笑顔をもたらしてくれる、最高に素敵なスターで、最強にカッコいいヒーローなんだ。 あっちの世界で会えるまで、もうしばらくは動画で我慢だ。 |
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