『恋せぬふたり』
アロマンティック・アセクシュアルという言葉はまったく知りませんでした。NHKらしいいわゆるマイノリティな性を扱った作品です。岸井ゆきのと高橋一生という、今まで「普通」を「普通」に表現してきた俳優が、「普通」を装いながら「普通」でない苦悩を抱える人間を「普通」に演じています。 2話にして早くも家族に本音をぶつけてしまった咲子。親としては、子が「普通」に成長し、「普通」に大人になり、「普通」に社会へ溶け込んでいくことこそが、「普通」の幸せだと疑いません。しかしそれは子のためではなく、自分にとってのそれだと思うのは、私が親でないから、つまり「普通ではない」からでしょうか。家族についてではなくとも、日常会話や仕事場で「普通〜だよね」と持論にわざわざ枕詞を付け加えられるとイラッとするのは、自分が「普通ではない」という自覚…というかコンプレックスがあるからかもしれません。ですから、「普通ではない」ことに悩んでいた咲子が、仲間を見つけ、自分の特異性に名前を与えられて安堵したことには非常に共感できました。 しかし彼女たちはマイノリティ。社会に受け容れられたわけではありません。達観しているような羽も、日々さまざまな葛藤を抱え、誰にも言えない愚痴をブログにこぼしていました。 多様性を認める社会を目指す、とはいうものの、「普通」に生まれてきたからには親は「普通」であることを求めますし、社会に出ても「普通」であることを求められます。声高に「普通でなくて何が悪い!」なんて主張は無視されるか排斥されるかが関の山。「普通」の枠に当てはめようとする干渉を、内心「ほっとけや」と中指立てながら笑って我慢するしかありません。 ただ、咲子と羽は家族であり味方である相手に出会うことができました。まだまだふたりには「普通」の社会という壁が立ちはだかるようですが、どう乗り越えて(というか折り合いをつけて?)いくのか見守っていきたいと思います。 『カムカムエヴリバディ』(承前) 週が進むにつれ、クリーニング店の夫婦やジャズ喫茶の面々のあかるさのおかげで、安子編ラストのもやもやが晴れ、すっかり雰囲気が変わりました。るいも自分の身体と心の傷を受け入れてくれる人に出逢い、年頃の娘らしい満たされた時間を過ごせるようになりました。 …のもつかの間。 スピーディな展開は、なかなかこちらに朝ドラらしい安楽をもたらしてくれません。 「ひなたの父親は時代劇が好き」という設定が最初から明かされていたので、るいの結婚相手は初デートに時代劇を選んだ片桐なのか、と考えていました。るいの傷を「見なかった」ことにしてしまった片桐はその後舞台から消えてしまいましたが、トランぺッターのジョーと時代劇は結びつきませんし、風間俊介があれだけの出演(しかも心象悪し)とは思えないので、おそらく今後何らかの事件があってジョーとは結ばれず片桐と再会して結婚する流れになるのだろう…と想像していたのです。 ところがここに来て、まさかのジョー×モモケンのセッションが。 トランペットと剣戟が交差する、なんとも斬新な演出でした。浜村淳…じゃなかった、磯村吟にボロクソに批判されたモモケンの新作映画でしたが、ジョーには刺さる言葉がありました。そしてこの駄作唯一の褒めどころ、モモケンと伴虚無蔵の鬼気迫る殺陣のシーン。竹村夫婦があっけに取られながら見守ったそのバックに流れていたのは、トミーとジョーが互いに優勝を争う場ながら楽しむかのように奏で上げていたセッションでした。大スターモモケンと無名俳優伴虚無蔵、エリート街道を歩んできたトミーと戦災孤児のジョー。太陽と月のようなそれぞれの姿はぴったりと重なります。そして最後に勝ったのは、無名の月のジョーでした。作品内では伴虚無蔵が斃れたものの、モモケンと互角に渡り合ったことで名前が売れ、これからスターの道が待っているのではないでしょうか。 定一と出会った過去も明かされ、るいとの出逢いはきっと運命に導かれたもので、これから同じひなたの道を歩いていくのだろう、モモケンのおかげで優勝できたのだからジョーが時代劇が好きになってもおかしくないし、ひなたの父親はジョーなのだろう…と、思ったら。 るい編もやっぱりジェットコースターです。挨拶に来たジョーへの竹村夫婦の言葉に泣かされたかと思えばこれ。 英語を奪われた安子のように、ジョーもトランペットを奪われるなんて。 「お前とは終わりや」なんてジョーらしからぬ乱暴な言葉で終わった今週。予告を観るにあっさりお別れする展開ではなさそうですが…ひなたの父親=ジョー説もにわかに怪しくなりました。 るいにはこのまままひなたの道を歩いていってほしいです…。 PR |
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