『ブラックペアン』
ニノと佐伯教授しか人命を救える医者がいなさそうなへっぽこ医師ばかりの大学病院やら、「♪テレレテッテレー、ブラックペアーン!」なひみつ道具やら、西崎教授とニノの間で右往左往してしまいにはコナン化してしまう高階ゴンタやら、何かとツッコミどころ満載ながら、スピード感と盛り上がりに騙されて結局最後まで見てしまうという、最近の日曜劇場らしいドラマでした。 ブラックペアンの謎が解き明かされた最終回は、あらゆる命を救ってきたスーパードクター渡海も佐伯教授という最後の壁を超えることはできなかった…という、なかなか衝撃的なラストでした。「でも佐伯が止血のためにペアンを残しましたと最初に申し送りしていたら済んだ話なんじゃね?」という野暮なツッコミは置いておいて…。原作は読んでいないのですが、時代設定に30年の乖離がありますから、現代においてブラックペアンひとつで片づけるには少し無理のあるオチだったかもしれません。 猫ちゃんとの関係性も今ひとつよくわかりませんでした。医療過誤の被害者団体とかかわりがあるということでしょうか。猫ちゃんを演じた趣里は『リバース』の時と印象が変わりました。サイケな役が似合いそうですね。 竹内涼真と葵わかなのペアは絵面が爽やかでした。ただ、世良がブラック上司の渡海のもとで医者としての腕を上げたのは自然な流れですが、花房が優秀な看護師であるという描写がなかっただけに、最終回の高階の説得は不自然でしたね…。 日曜劇場おなじみの顔芸ですが内野聖陽と市川猿之助のベテランふたりもしっかり担当。わかりやすーいライバル関係をわかりやすーく演じてくれました。しかしこの両者、『風林火山』では水魚の交わりのような主従だったんだよなあ…と古い話を思い出しました。 これからもこの枠はこんな感じのドラマばかりなんだろうか…と思いきや、次の作品は『この世界の片隅に』ではないですか! 澄子(松本穂香)かあ…松坂桃李かあ…どうなるんだろう。 じっくり丁寧に、あの世界観を再現してくれることを願います。 『西郷どん』(承前) いよいよ歴史が動き始めました。 なんとも感情を揺さぶりにくる大河ドラマです。『翔ぶが如く』のような時代の大回転を描く迫力には欠けますが、ひとりひとりが何を思い何を心に感じて行動に出るかを歴史書の行間に想像力を働かせ、見る者が個人個人の視点に立てるよう作り手なりの物語を組み立てています。 しかしこの脚本家は想像の翼が大きすぎるのか、主要人物よりも脇役の方が輝いて見えます。生きざまが文字として残っている歴史の英雄よりも、名前しか残っていない無名の人物の方が魅力的。たとえば、前者は井伊直弼や徳川慶喜、後者は愛加那。イメージや実際の行動や言動に制限がないだけに好きに描けるからでしょうけれど。 井伊直弼の最期のなんともいえない表情は、今まであまたの俳優が演じてきた井伊直弼のどれにもなかった特筆もののワンシーンでしたが、それまでの描かれ方がステレオタイプのヒールすぎて少し残念でした。 井伊直弼には井伊直弼なりの義があって、互いの義があるからこそ対立が生まれ血が流れる、幕末とはそういう時代。薩摩が主人公である以上、井伊直弼が悪で徳川慶喜が善でなければならないのでしょうが、その構図をあの表情ひとつで打ち崩した佐野史郎はさすがだな、と思いました。『翔ぶが如く』では短絡的で仕事のできない俊斎だったのに…。 徳川慶喜のひーさまも今ひとつパンチがきいておらず、将軍の跡目争いでもいまいち存在感がなかったのですが、これからの活躍に期待ですかね。全体的に吉之助の江戸での暗躍をめぐるターンは少しトーンダウンしていた感があったのですが、盛り上がりをわかりやすく描くには難しい部分だったでしょうか。 一方、愛加那との出逢いから結婚までは実にドラマチックでした。生きる希望を見失った吉之助が生命力に溢れるとぅまに惹かれていく流れは、二階堂ふみの熱演もあって心を揺さぶられました。しかし歴史は吉之助を奄美に留め置かない。否応なしに激動の時代の中心へ、吉之助は舞い戻ります。 時がめぐり、思うところも分かれたけれど、昔に戻ってうなぎ獲りにはしゃぎ、獲物をまわし食いして笑いあう仲間たち。このあとに待つ別れを知っているだけに、彼らが楽しそうであればあるほど、よけいに悲しく映りました。 寺田屋事件。大山格之助に北村有起哉がキャスティングされた時から、この出来事がどう描かれるのか気になっていました。『翔ぶが如く』の蟹江敬三の鬼気迫る演技は強く印象に残っています。今回の寺田屋は泣き崩れる格之助がややセンチメンタルすぎましたが、直前のうなぎ獲りとの対比で、この同士討ちの悲劇性が浮き彫りにされていました。 これからは悲しい別ればかりが待っています。時にはハリセンボン春菜のような、ほっとする場面がさしはさまれていればいいのですが。 『半分、青い。』(承前) 神回かどうかは、視聴者が決めるものですから。作者が先に言ってどうする…。 朝ドラはじっくり見るものではないので、そこまで登場人物の心中を読むことはしません。ですから鈴愛と再会した律が涙ぐんだり、突然プロポーズしたりしても、「なんでぞ! アンタあんなあばずれ女と三年も付き合ってたんやろ! てか、よく三年ももったな!」とツッコミたくもなります。映画や、せいぜい連ドラなら感情移入できたでしょうが、朝ドラにそこまで求められても。 しかし律が「いつのまにか婚」をするとは思いませんでした。プロポーズを断っておいて涙する鈴愛の複雑な心中もわからないでもないです。若い頃はまだまだ「自分はこれから」の気分でプロポーズを断ってしまったけれど、心のどこかで「やっぱり律は自分のものだ」という確信、言い換えれば余裕があったのかもしれない。結局仕事に行き詰まり、超優良物件を手放した後悔で悶々…という図式は、夜ドラなら感情移入できたかもしれませんが、朝ドラだとなあ…。 子ども時代は懐かしい少女マンガを読んでいるようで楽しめましたが、ハタチ越えるとやはりもう大人として見てしまいます。大人視点だといくら漫画三昧のひきこもり生活とはいえ鈴愛は世間知らずがすぎて成長を感じられませんし、東京に出てからの時間の流れが早いことも相まって、故郷に帰って親に甘えたり律と逢って昔に戻る描写も効果的になりません。 鈴愛はアラサーになり、放送の折り返し地点にして早くも漫画家生活が行き詰まっているようです。最終的に漫画家ではなくシングルマザーになって一大発明をするらしいのですが、いかにしてその展開に持っていくのか、新たな登場人物と展開に期待です。 PR |
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