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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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震災から10年…ということでテレビ放送していたのを観ました。
10年という歳月は過去と呼ぶにはあまりにも短く、当時の記憶は今でも鮮明によみがえります。
津波の被害に追い打ちをかけるかのような原発建屋の爆発に、日本は、世界は終わりだと思いました。何もかもが現実のものとは思えませんでした。
誰もが想像できなかった、誰もがはじめて直面した状況で、流れてくる情報は絶望的なものばかり。
無知で無力な傍観者はテレビの前でただ祈るしかありませんでした。
ましてや、その時の現場の状況など、想像すらしようがありません。
ただ、後日目にした現場と本店とのやりとりでの吉田所長の様子は印象に残っています。現場の危機的状況を理解しているようには見えない本店に対し、怒りや焦燥感を押し隠すように冷静に対応していました。実際は映画に描かれたように語気を荒げたり暴言を吐くこともあったかもしれませんし、やりとりしたすべてを世間に流したわけではないのでしょうが(どちらの立場を慮ったのかはともかく)。
この作品では、本店と官邸の二重の抑圧に耐えながら、命に係わる作業を指示しなければならない全責任者としての苦しみもひとりで背負うことになった吉田所長を中心に、命を賭けた作業に挑んだ現場の人たち「Fukushima50」の戦いが経過を追って描かれています。
オープニングから緊迫感は相当なものがありました。地震、津波、電源喪失と事態は急激に差し迫っていきます。人類がどれだけ冷静に判断し、着実に行動しても、自然の脅威はたやすくそれを超えていき、人類が発明したクリーンで安全なエネルギーをも暴走する凶器に変えてしまいました。
未曾有の事態にも使命感を失わない作業員たち。ベントはみずからの体ひとつで原子炉建屋へ突入するという危険きわまる作業にもかかわらず、福島を、原発を救うために立ち上がります。まさにそれは「決死隊」、総理も顔色を失った、現場の壮絶な状況を表すひとことでした。
総理の名前はこの作品内で明示されません。当時の総理のことはもちろん憶えていますが、とりわけ批判的に描かれているとは思いませんでした。むしろイメージどおりでした。悪役に徹していたのは本店(篠井英介演じる東都電力常務)です。吉田所長との対話映像を観ていた者としてはこれもイメージどおりなのですが、こちらをわかりやすい悪役に置いた理由も何となく察しはつきます。
しかし、本当の「悪」はいったい何だったのか。
地震か。津波か。それらの脅威を軽視したことか。
それとも、原発の安全神話を盲信していた我々か。
人類が生み出した最悪の兵器は、最良のエネルギー源に姿を変え、後世に残っていくはずでした。
しかしその希望も、わずか50年あまりで失われてしまいました。
原子力と共存する未来は戻ってくるのだろうか。
たった10年でそれらの疑問を解決することはできません。フクイチの事故そのものも終結を見ていないのです。それが果たしていつになるのか、住民が故郷に戻れる日が来るのかすらも見えてきません。
「Fukushima50」の人たちが賞賛されるべきなのは当然として、この事故を彼らの美談で終わらせるだけでは何も解決を見ません。
これからの10年は、人類がしてきたことの後始末をしていく時間になるのだろうと思います。





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