行楽地、乗車率、高速渋滞…テレビからは大型連休ならではのニュースが続きますが、
どこ吹く風の今日この頃。
たまにはシャバに出てみるか。
スーパーでタダ券をもらった写真展。
さま変わりしてから、行くたび迷う大阪駅。ひさしぶりの都会です。
阪急はめったに行きませんでした。母が「人が多いし広くて疲れる」と敬遠して、我が家はJR寄りの大丸や阪神ばかり利用していたのです。改装したのはずいぶん前だったと思いますが、それ以降はじめてかもしれません。
到着したのは9時半。開店前…。
バーゲンでもないのに、扉の前にはすでに人だかりができています。さすが「天下のだぁいきゅう」。
ところが開店直後、半分近くの人はエスカレーターを下に降りていきました。話題のコロロかバトンドール目当てだったのか?
9階に上がると、恐竜がお出迎え。家族連れも続々フロアに入ってきます。何かのイベントらしい。
その奥の『ふるさとのねこ』展は、そこまで混雑していませんでした。
岩合光昭さんの猫の写真は大好き。
とくに野良猫。我が家の壁には「のら」のカレンダーもかかっています。
野良猫の持つたくましさ、ふてぶてしさ、その中に隠れる愛嬌、そして生命力。写真からはそれらが伝わってきます。
今回の写真が追うのは、北国のりんご農家の納屋に住む猫一家。新たな生命が生まれ、自然に囲まれながら少しずつ成長し、季節と人とともに生き、やがて大人になって子を儲ける。半野良の猫たちが刻む生のいとなみです。
小さな手足で大地を踏み、懸命に生きる命が、そこにはあります。
世間は空前の猫ブームですが、動物のブームには必ずといっていいほど、命の軽視が隣り合わせにあります。
店頭で売り買いされる動物たちはいかにして目の前のガラスケースへやってくるのか、そして売れ残った動物たちはガラスケースからどこへ行くのか、なぜそこへ目を向けないのか。先進国である日本が命に値札を張り、お金で命を売買していることに、なぜ疑問を持たないのか。
野良猫の輝く命を切り取る岩合光昭さんの写真を見るたび、愛しくて微笑んでしまうと同時に、そんなことを思って悲しくなります。
ようやく安易な猫ブームに警鐘を鳴らす報道も増えつつありますが、日本で動物の店頭販売が禁止されるまでの道のりは、まだ長くかかりそうです。
おみやげを買った後、9階から1階まで全スルーして地下鉄へ。
次なる目的地は、天保山。
こいのぼりが踊る海遊館。チケット売り場前の行列を見ているだけで熱射病になりそうです。
そこには並びません。
海遊館の隣の、ここ!
『藤城清治 光の楽園』展!
去年、奈良県立美術館で行われたメルヘン展は引っ越しやら何やらで行けずじまいで悔しかったので、今年は楽しみにしていました。
御年90歳を超えてもなお精力的に作品を生み出す藤城清治さんの指先。
今回のために制作された新作も展示されています。
天保山の観覧車と少女。天神祭りのあざやかな花火。
その一方で、静かに鎮座する仏像、ご神体。
静と動が交互に現れる影絵の世界。
しかし、そのどれにも確かに息づく命があります。
昨年、テレビ番組で見た作品を見られたのはうれしかったです。舞い散る桜、飛び立つゼロ戦。羽ばたく鳥たち、そしてこびと。特攻へ旅立った友、そのゆく先は平和の光だった。作品にこめられた思いに圧倒されました。
戦争でも震災でも、描かれているのは喪失のはずなのに、そこにはいつも希望があります。
原爆の炎に巻かれる病院には、緑の芽吹きがありました。
負の遺産のまわりには、鳥が飛び、花が咲いていました。
いくたびの試練を与えられようと、大地はそこに在る。その上に立ち、人は明日を生きていく。
未来にはいつも、希望があるのです。
ショップでポストカードとマウスパッドを購入し、退館。
上本町へ戻って遅いお昼を食べ、帰宅。
…の前に、近鉄をちょっとのぞいてみました。
初日のサイン会の後、こうの先生が描いたイラストが!
やっぱりキランとしている…。