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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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浅田真央選手、引退。

早々に寝入ってしまって、そのニュースを知ったのは翌朝、目覚ましを止めてすぐのことでした。

ああ、そうか。

驚き、でもなく、残念、でもなく。

ああそうなのか――。

昨年の全日本選手権のあと、「この状態で引退を決意するとは到底思えない」と書きました。浅田選手は怪我を抱えながら今季もトリプルアクセルを跳び続けることを選んだ。それはすなわち競技者としての向上心、闘争心を失っていない、ならば彼女はこれからも戦い続けるだろうと思ったからです。
ただそれは、戦える状態であることが大前提です。
身体、あるいは心。どちらかが限界を超えた時、それはアスリートを辞める時。
選手自身が語ったように、全日本の結果が出た瞬間が、それだったのでした。

浅田選手に期待はしない。そう決めていました。

浅田選手が好きだからこそ、復帰後は彼女自身が思うように進んでほしい。たとえそれに結果が伴わなくとも、それが彼女の選んだ道ならばそれが正しいのだから、応援し続ける。そして彼女が幕を下ろすことに決めた時は、それが正しい選択なのだから、受け入れる。

身勝手なファンは、今まで勝手にいろいろなものを背負わせてきたのです。

15歳でポンポンと高難度ジャンプを決め頂点に立った時の衝撃。あどけない笑顔に、これからのフィギュア界が変わることを予感しました。
輝き続けるであろうと信じて疑わなかったその先に、思いがけない苦難が待っていようとは思いもしませんでした。
そしてそれはスランプなどだけでは決してなく、自分ではどうしようもないところから与えられたものも大きかったように感じます。
三度のトリプルアクセルを決めてもなお金メダルを取れなかったバンクーバー。インタビュールームでこらえきれずに涙を流す姿に、一緒になって泣きました。
浅田選手が基礎のすべてをいちからやり直す決意を固め、佐藤信夫コーチに師事し始めてまもなく、東日本大震災が起きました。一か月遅れで行われた世界選手権でのやせ細った身体は、不安と悲しみにくれる日本そのもののようでした。その年の終わり、母親の逝去でGPFを棄権してすぐの全日本選手権で優勝。いつしか、震災から立ち直ろうとする日本を、何度苦難に遭っても立ち上がり戦い続ける浅田選手に投影してしまっていました。
その後も浅田選手はみずからの理想とする演技を追い求め続けました。それでもオリンピックの金メダルには届かなかった。しかしそれ以上のものを、リンクの上に残しました。
ソチオリンピックで、前日の失敗から6種8トリプルを着氷し巻き返した会心のフリー。
引退報道から何度も放送され、そのたびに涙を禁じ得ない「奇跡の4分間」。

浅田選手は苦難と戦い続けた。

誰しもが困難に遭い、苦悩する。そんな時、何度転んでも立ち上がる浅田選手を見ては自分を投影し、勇気をもらう。

こんなアスリートが存在したでしょうか。

まさに浅田真央という存在そのものが、奇跡であったのかもしれません。

引退会見のスッキリとした表情に安堵しました。
本当に、やりきった。フィギュアスケーターとしての人生をあますところなく生きた。
そう言い切れる、21年間だったのだと思います。
少しの涙はあったけれど、最後まで笑顔だったことにこちらまでうれしくなりました。
真央ちゃんの心からの笑顔を、ずっと見たかったから。

浅田真央に己を投影して苦難と立ち向かう日々は、もう終わりです。

これからは、自分の足で立ち上がらなければなりません。

浅田選手にもらった勇気と幸福を糧として。





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