難波の初春は、浴衣と雪駄と鬢付け油の香りでにぎわうはずでした。
せめて中止にならず良かったというべきか。 しかし無観客開催の中継が、これほどむなしいものとは思いませんでした。 がらんとした会場、土俵がポツン。土俵入りで力士が呼ばれるたび沸き起こっていた歓声はなく、ただ柝の音が響くのみ。取組でも、時間になっても静かで引きの映像もないからいつの間にか始まっていて、立ち合いを見逃してしまう始末。呼び出しや行司の声も鮮明で、ぶつかり合う痛々しい音まで聞こえてきます。なんなら高安のうめき声までリアルでした。 ただ、この静けさにより、今までは意識していなかったあれこれを知ることができました。 それにはNHKの頑張りが大きいです。土俵に迷惑をかけないようアクリル板を貼った放送席から、歓声がないことによって聞こえてくる数々の所作の説明をしてくれました。また合間合間で読み上げられる応援メッセージも、盛り下がった視聴者の心をふたたび盛り上げてくれました。 さらに、外食できない力士が持参する弁当を相撲協会の公式Twitterが紹介したところ、あまりのレベルの高さにバズっていました。 普段はスルーされているいろんなことが注目されたのは、怪我の功名というものでしょうか。 もちろん、もっとも評価すべきなのは無観客の中で取組を続けなければならなかった力士たちの奮闘です。 誰かが独走したり上位力士の休場が相次いだりすると、たとえ観客がいてもつまらない場所となったでしょう。 両横綱が優勝を争い、一人大関の貴景勝は成績こそ振るいませんでしたが休むことなく、大関取りに挑んだ朝乃山が期待どおりに白星を重ね、平幕が先場所に続いて優勝争いにからみ、炎鵬が派手な相撲で勝ち、新入幕のサラブレッドが将来に期待を抱かせ…。 これで観客が入っていれば、と思わないでもありませんが、ボルテージの上がらないこの状況で、力士たちはなかなか見ごたえのある十五日間にしてくれたのではないでしょうか。 場所中には千代丸が高熱により休場し、ドキリとさせられた時もありました。万が一コロナの感染者が出た場合は、場所中であっても即座に中止という規定でした。幸いにしてコロナは陰性だったものの、結果を待つ間の関係者の心労はいかばかりであったことか。いや、誰よりも不安だったのは千代丸自身でしょう。 このところの相撲協会にも八角理事長にも良い印象を持ったことがないのですが、初日の協会あいさつはちょっと感動してしまいました。 最近すっかり忘れていましたが、相撲はもともと神事でした。四股は、邪悪なものを地面の中に押し込める力があり、横綱土俵入りは世の中の平安を祈願するものであること。そして、力士は健康な体の象徴。この言葉を聞いた後に見る大相撲の一連の所作は、静けさの中もあって、本来の意味により近い神聖なるものに映りました。柝の音が鳴るたび、行事の声が響くたび、そして力士が四股を踏むたび、そこにこの世の平安への祈りを捧げずにはいられませんでした。 十五日経って、平安はいまだ訪れてはいません。 それでも、この国に春を告げる場所が終わるとともに、春はいつもと変わらずやってきました。 早く「いつもの」日々が戻りますように。 二ヶ月後の東京で、「いつもの」相撲中継が行われますように。 PR |
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