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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『おかえりモネ』(承前)

まったくもって無防備でした。
かの「おいで」砲に匹敵する新たな伝説に出逢うことになろうとは…。

「どうしたの」

その破壊力ときたら…!!!
ようやく、ふたりが物理的に触れ合う時が訪れました。サヤカさんではありませんが、じれったいふたりでした。
「付き合ってください」「はい」なんて言葉は必要ないものなのですね。まったく無粋な人間でした。
相手のことを知りたい。わかりたい。人と人とが結ばれる、スタートはいつもそこから。
それでも相手のことを百パーセント理解するなんて不可能だから、不安になったり怖くなったりするけれど、それでも知りたい。出逢う前のことも含めて、相手の喜びも悲しみも全部共有したい。だからもっと一緒にいたいし話したいし触れ合いたい。それが恋。そして相手の心を受け止める、それが愛。
「わかりたい」という菅波の寛容と、「わかってんでしょ」という一方通行の亮。対照的なふたりの言葉が、それぞれの想いを表現していました。
亮が疑似恋愛に擬態させた苦しみをモネが受け止めたとしても、それで彼は救われはしない。島を出て、揺れ動いていた自分の足元を固めることができたモネにはわかっていました。本当に亮が苦しみから脱却するには、大好きな人を失った怖さから立ち直ること、誰かのためでなく自分のために生きること、その道を見つけること。その逃げ場所はモネではない。
彼の帰る気仙沼には、妻の死亡届と、そして息子と向き合う決意をした新次が待っています。彼ら親子が面と向かって話すその時、ふたりはあの日からようやく一歩を踏み出せるのかもしれません。
そしてまだ完全には吹っ切れていないように見える未知も、島に戻って自分らしい生き方を定められるのか気になります。未知は一見大人びていますが、芯は子どものまま大人の殻をかぶっているように感じます。きっと13歳で被災し、島のために働くことを決意したその時から、みずから大人びることを課したのでしょう。モネを「正しいけれど冷たい」と感じる未知は、やっぱりまだ大人になりきれていないのだと思います。「誰かのため」という言葉に縛られていたモネが、菅波に同じ言葉をぶつけた時のように。
亮も同じです。亮にも未知にも、モネにとっての菅波のような大人の手が必要です。未知は亮のそばにいると言いましたが、未熟なふたりが安易に寄り添うのは良いことにならないような気がします。
ただ、仲間ではじめて震災のことを語り、三夫の言葉もあって、未知も少し気づき始めたように思います。自分が島で働くのは「自分のため」と。あと少しです。誰かが手を貸せば、きっと姉への複雑な思いも緩和すると思います。
この作品には通常のドラマにはあまりない手触りを感じます。感情や状況を端的に表すセリフはほとんどありません。震災、遺体、行方不明といった刺激的な単語がないのも視聴者への配慮だけでなく、被災者である主人公たちが意図的に口にするのを避けているのであろうと推測され、それが逆に彼らの記憶の重さを感じさせます。「恋」「好き」という言葉より先に「会いたい」「いなくなるのが怖い」といったストレートな欲求が出てくるのも、本来それが自然な感情の揺さぶりながらドラマとしてはあまり描かれない流れでした。思いを伝えるのはセリフだけではなく、演者の表情、指先、背景の陰影、それらすべてなのだと改めて気づかされました。小さな水滴が大きな波紋を広げるような表現方法には感じ入ります。
あと二ヶ月、モネだけでなく、他の人びとにも救いが訪れることを願いながら見守りたいと思います。





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