『後妻業』
見どころはW木村のキャットファイトもさりながら、高橋克典の男の色気。すっかりノックアウトさせられました。最後は不自然な大阪弁もどうでもよくなったくらい…。 視聴率は芳しくなかったようですが、それもやむなし。大阪色が濃すぎます。いくらなんでもあんなコッテコテな大阪弁を話す人はいないし、ヒョウ柄や派手派手メイクを大阪の象徴みたいに扱うのもやめてほしいのですがね…。 後妻業というおどろおどろしいタイトルの割には、全体的に軽かったかな、という印象です。結局小夜子は殺人者なのか否か、そこは謎のままでした。小夜子と柏木のキスで全部飛んでいった感じです。しかし朋美とも和解? できて、結末的にはこれで収まったのですかね。 『イノセンス 冤罪弁護士』 変わり者のやり手弁護士とそれに振り回される若手弁護士…というよくある設定ながら、一話完結型のストーリーとラストまでつながる過去の事件という芯がしっかりしていました。十話の中にきちんと起承転結があり、オチもきれいにまとまっていたので後味が良く、見ごたえがありました。脚本が『ウロボロス』の古家和尚と知って納得。 坂口健太郎と川口春奈の演技力も思っていたほど気にはならず、毎回の豪華なゲストと個性的な主題歌も素敵でした。ただ藤木直人があいかわらず…な感じで、そこが少し残念でしたが、被害者遺族の胸中を吐露する場面は胸を打たれました。最終話のゲストの武田真治も意外な怪演でしたね。 『まんぷく』 最終週の予告で鈴さんのお葬式場面が流れた時には、「いやだー! 鈴さんとお別れなんていやだあー!」と予告なのに涙があふれてしまいました。生前葬と知ってホッ。しかしその回の視聴時はやっぱり泣いてしまいました。みんなの「ありがとう」と鈴さんの「ありがとう」に、半年間の思いが詰まっていて。赤津も見られたし。 萬平と福子の山あり谷あり谷あり山あり、最後の最後まで冒険の続く人生はまるでがむしゃらなマラソン選手と伴走者のようでした。朝ドラは主人公の生活が安定すると中だるみしがちですが、このお話は最終話の鈴さんのセリフのようにすぐまた苦労がやってくるのでそういう意味ではぎゅっと中身の詰まった物語だったと思います。転んでも苦しんでも夢に向かって走り続ける一途な萬平さんと、そんな夫に一途な福ちゃん、このふたりが一緒でなければ世紀の大発明は成されなかったことがしっかり伝わってきました。鈴さんだけでなく、真一さんや世良さんなどふたりを支え続ける人たちも魅力的でした。とくに真一さん演じる大谷亮平は印象ががらりと変わりました。穏やかだったり喧嘩が苦手だったり突如キレたり、見せ場が多かったです。 ただ、やっぱり最後まで福ちゃんというキャラを理解できませんでした。鈴さんや克子姉ちゃんが喜怒哀楽がはっきりしていて共感しやすい造形だっただけに、ひたすらあかるく陽気に萬平さんを信じてついていく福ちゃんは(自分にはできない生き方だからか)わかりづらかったです。もちろん時には弱音を吐いたり悩んだりすることもありましたが、のちに成功することがわかっていなければ見続けていくのはつらかっただろうと思います。そんな福子と対比するように、塩作りの時はけなげに軍団を支えていたタカが、昭和の妻とは思えない現代的感覚で仕事第一の夫を批判するようになってしまったのは、いったいどういう心境の変化なのでしょう。夫唱婦随の福子を描くことに対して何らかの忖度が働いたのではという気もしないでもありません。 そして、福ちゃんが主人公である以上、萬平さんの仕事場が自宅から会社に移っても福ちゃんの貢献が必要になってしまうがために、まんぷくヌードル開発時、福ちゃんアイディアひらめく→ありがとう福子! というパターンがくり返されてしまったのは少し残念でした。もちろん実際に仁子さんの助言が開発に役立ったこともあったのでしょうが。 それでもやはりまんぷくラーメンやまんぷくヌードルの完成に至るカタルシスは大きかったです。まんぷくラーメンの開発中は袋入りチキンラーメンを購入し、「明日の完成日にあわせて食べるんだー」と楽しみに取っておいたのに、翌朝起きたらなくなっていました。そして買いに行ったらもう棚にはありませんでした…。おそるべしまんぷくラーメンの影響力。そして最終回の日、やっぱり買ってしまったカップヌードル。 そして、やっぱり鈴さん。最後まで愛おしい存在でした。 総じてみると良作だっただけに、そのぶんもったいないところも気になったなあ…という感想でした。 『二つの祖国』 原作は未読ですし、過去の大河ドラマ『山河燃ゆ』ももちろん見ていません。戦中戦後の日系アメリカ人の苦しみは知識としてなんとなく知ってはいるものの、今作であらためて身にしみるものがありました。 膨大な資料と綿密な取材に基づく山崎豊子の原作を前後編にまとめたため、展開がややスピーディーでしたが、登場人物の状況も心情もちゃんと理解できる脚本になっていました。東京裁判のあたりはもっと時間を割くべきだったのでしょうが、賢次が広田弘毅に死刑を宣告する時の小栗旬、そしてリリー・フランキーの空虚な表情、ラストの賢次の自殺につながっていく表現は素晴らしかったです。 梛子を演じた多部未華子は楚々としながらも芯の強さが感じられ、昭和の雰囲気を醸し出していましたが、エミー役の仲里依紗のほうが印象に残りました。エミーは華やかで勝ち気で、しかし心弱さも併せ持っている、山崎豊子作品によく登場する女性像(『大地の子』の趙丹青のような)ですが、戦争に振り回され酒浸りになりやり場のない思いを賢次にぶつけるしかない悲哀を、仲里依紗が英語も含めてさすがの演技力で体現していました。 戦争がなければ、エミーも梛子も、女性としてのしあわせを手に入れていたはずでした。祖国であるアメリカに敵とみなされたのかと絶望しながら原爆症で死ぬことなど、あってはならないことでした。 それぞれが悲しい人生を歩む中、自分なりの道を切り拓いていったのがもうひとりの主役でもあるチャーリー。時には友人を騙し、利用し、批判もおそれぬ狡猾な生き方を貫いていきました。最後の最後まで、チャーリーはみずからの立場を守るために賢次を裏切ります。ただ、政略結婚の相手に重なった妹の原爆による火傷を負った顔に、チャーリーはなにを思ったのでしょう。 アメリカ人として生きるその身に宿る日本人の魂は、戦後のチャーリーをどう導くのでしょうか。 賢次とは違った道を歩んだチャーリーの生き方も興味深いですが、描写が薄かったのが少し残念でした。眼の光を消しヒールに徹していたムロツヨシですが、他の演者に較べて英語がやや拙かったのも気になりました。 テレビ東京系のドラマはほとんど見ることがないのですが、BGM含めて演出が新鮮でテンポも良く、俳優陣の熱演もあってとても見ごたえある作品だったと思います。 PR |
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