SMAP解散報道のさなか撮影していたこともあって注目度が高まり、高まったがゆえにいわれなき批判まで受けてしまうことになった主演のキムタク。国民的アイドルの中でもスーパー中のスーパースター・キムタクがキムタクである以上、一生つきまとうであろうキムタクブランドは、彼の役者としての幅を狭めてしまっています。 もっともその幅は、視聴者や観客といった第三者が勝手に引いた線にすぎません。「何をやってもキムタク」に見えるのは、アイドルとしての彼が発するオーラがあまりにも眩しすぎるからであり、役柄を感じるよりもまずキムタクをキムタクとして受け止めてしまうからなのではないでしょうか。最近さまざまな役柄を演じるようになっているキムタクは、キムタクとして固定された「ちょっとぶっきらぼうだけれど優しくて万能感がある」イメージと異なるキャラクターもそれなりに(それなりに、ですが)きちんと演じることができているように感じます。それなのに見る側が勝手にキムタクをキムタクブランドのパッケージに当てはめてしか見ないから、いわれなき批判を浴びてしまうのだと思います。 とはいえ、私自身もこの漫画が映画化されると聞いた時は、「足かけ19年、30巻に及ぶ原作をいったいどうやって2時間におさめるんだ!? しかも万次がキムタクだってえ!!?? イケメンすぎるよ、むりむりむりー!!!」と大否定したものです。 が、いざ鑑賞してみると、原作を読んだ者としてはどうしても較べてしまうところはありつつも、映画作品としては案外纏まっていました。 キムタクは原作の万次に較べると細面で貧相でしたが、何かあると「めんどくせぇ」とつぶやきそうな軽薄さや薄汚い感じが出ていたと思います。時々顔を出すキムタクっぽさはまあ許容範囲として。 凛は予想どおりピッタリでした。親を思って泣く少女と万次を想う女性の二面性を演じることのできる、年齢的にも合致する若手女優は杉咲花しか思い当たりません。ただ蓋を開けてみれば、後者の部分はほとんど描写がありませんでしたが…。 そりゃ、凛の心情の変化をじっくり描いていては尺が足りません。長い原作を扱っただけに展開が早く、主要人物(しかも豪華キャスト)が次から次へと現れるものの、その背景や信念はまったく描かれません。 この作品は、モブキャラに至るまで全員重い過去を背負って生きています。その業を受け入れつつ、生きて、人を斬るのです。とくに槇絵は、最後まで登場させるなら、天津との関係やその出自、人斬りとしての覚悟が生まれる瞬間をしっかり描いてほしかった。戸田恵梨香が槇絵の薄幸な雰囲気にマッチしていただけに残念です。その点海老蔵はさすがですね。閑馬の諦念にも似た無念さが滲み出ていました。 敵役であるはずの天津も存在感が薄かった…。ただ福士蒼汰がビジュアルだけなら天津っぽかっただけに、彼の背負う業まで演じたら少し残念になる気もしたので、このあたりにとどめておいて良かったのかもしれません。 しかし、次々出てきては消えていく逸刀流だけでもとっちらかっているのに、無骸流まで出す必要があったのでしょうか。百琳がなぜ金髪なのかも、説明がないと原作を知らない人はただフザケているだけにしか思えないでしょう。原作随一のダークヒーロー・尸良も、市原隼人という適役をあてはめていただけに、あれだけではもったいなさすぎます。万次と凶に執着する狂気の市原隼人を見てみたかった。凶といえば、完全にモブでしたな…。1巻の登場時ではまさか万次とコンビを組むことになるとは思いもせず、最後には好きになっていました。 とまあ、原作ファンとして物申したいことは多々あれど、それらに目を瞑れば、エンターテイメントネオ時代劇としては見ごたえがあったかと思います。殺陣の迫力は撮り方もあって凄まじかったです。オープニングの「百人斬り」のモノクロ映像の演出は良かったですし、ラストの「300人斬り」もやや冗長とはいえ、キムタク・福士蒼汰・戸田恵梨香の熱演のおかげで圧巻でした。最初は「これ、『るろうに剣心』みたいに何部作かにしたらちゃんと消化できるんじゃね?」と思っていたのですが、こんなスケールの大きいクライマックスを見せてしまうと、もう続編を作りようがないですね…。まあ、天津が死んでいる時点で続きものにする気はなかったのでしょうが。 んー、でもあれだけ質の高い原作を使ったのだから、やっぱりもったいない気もするなー。 PR |
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