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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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はじめて「死」を意識したあの日から26年。
見逃していて、ずっと心残りだったドラマをようやく鑑賞することができました。

あの日の夜明け、あの体験したことのない揺れで「死ぬ」と感じたものの、実際には死にませんでした。神戸にも身近な人はいませんでした。
だから、忘れられない記憶といっても、神戸の人たちとのそれには乖離があるはずです。
しかし、渡辺あやの脚本は、いつも作品世界とこちらの心の距離をたやすく超えて届いてきます。
勇治と美夏がその日の神戸で失った幾つもの日常。命。心。
同じ日付のその日、神戸で取り戻した光。希望。明日への一歩。
自分自身も、いつの間にか深夜の神戸の街を歩いていました。変わり果てた街を思い出しながら、そして復興を歩んでいく街に思いを馳せながら。
もう決して元には戻らない。日常に戻ったようでいて、震災のなかった未来とは絶対に同じではない。だから、ここからまた始めなければいけない。この街で起きたこと、思ったこともすべて受け止めて、生きていかなければならない。美夏はおっちゃんと再会して区切りをつけた。勇治は友達でなくなった少年が幸せな家庭を築いているらしいと知ることができた。覚悟を決めて来たわけではない勇治は、まだ東遊園地には足を踏み入れられない。けれど、ずっと神戸に残してきた思いは拾うことができた。震災を他人事のように語るプレゼンに抱いていたわだかまりを、幾許かは解消して広島へ向かえるのだと思う。

5時46分。夜明け。
それは、あの日以来、勇治と美夏にはじめて訪れた朝だったのかもしれません。

渡辺あやの脚本に井上剛の演出はやっぱりよく合います。沈黙の夜闇に、街灯の光や窓明かり。それに照らし出されるふたりの表情の微妙な揺れ幅。そして紡ぎ出される言葉の数々は、心の蓋した奥底からつかみ出してきたような、生々しい傷だらけの感情。すべてが合わさってできあがった世界観だからこそ、こちらの胸を静かに、しかし激しく揺さぶってくるのです。

このドラマがはじめて放送されたのは、2010年1月17日。あの日から15年目のことでした。
神戸の街からは爪痕は去っていて、世間でも記憶は薄れかけ、もう二度とあんなことは起きないという思いが普通になっていて、作品中にも震災を体験していない人物からそれを匂わすセリフが出てきます。

自分自身もそう思っていました。
というよりも、起きてほしくないという願望でした。

すべての人の思いを裏切り、東日本大震災がやってくるのは、その翌年のことです。
自然は想像よりずっと残酷なことを知った世界は、2010年からがらりと変わってしまったけれど、
1月17日に抱く思いは、いつまでも変わりません。
あの日失われたすべての命に捧げる鎮魂の祈り。そして、傷つきながらも生きていかなければならないすべての命に、希望と安寧が訪れることを祈る日でもあるのです。







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