キム・ギドクが原案・脚本・製作総指揮をつとめた2013年の作品。
疑似家族として韓国に潜入した北朝鮮の工作員4人が、騒がしい隣家と交流するうちに発生していく心境の変化が、笑いとシリアスを交差させながら描かれています。
敵とみなす国が国境をへだてて隣接しつねに緊張感を求められる状況にはない日本に住んでいる人間としては、途中までフィクションとして観ていました。無意味に見える任務にひたすら取り組む姿はコメディですし、酒に酔うとついつい北を擁護しちゃうような脇の甘いところも滑稽です。しかし、彼らが手を血で汚すこともためらわないのは国家のため総書記のためと口にしながら、それは本音では決してなく、いわば人質のように国に縛られている家族のためでした。
子にも妻にも孫にも会えず、それぞれの背景も知らない同志と家族のフリをして暮らしながら、本当の家族のために涙を流すことも許されない。
そんな苦しみも知らず、塀を隔てた隣では、昼夜問わず諍いが絶えない。最初は「ほらこれが資本主義の限界だ!」「堕落してる!」と批判していた冷酷で厳格な班長も、家族だからこそできるそれらの行為を目の当たりにするうち、どうしても北に残してきた娘のことを思い出さないわけにはいかず、本当に大切なもの、守りたいものは何なのかを思い出していきます。
そして、いつの間にか疑似家族も、彼女にとって大切な、守るべき家族になっていました。夫を殺され娘と会えない悲しみの穴を埋めてくれたのは、疑似家族を本当の家族と思いそのために動くことでした。しかし、脱北を企て捕まった疑似夫の家族を救うため彼女が行ったことは、逃亡者を装ったスパイを暗殺してしまうという工作員としてはありえない失態でした。
彼らに残された最後のチャンスは、隣家への暗殺指令。
人としていちばん大事なことを思い出してしまった彼女たちにとっては、もっとも残酷な指令でした。
祖母がいて、両親がいて、息子が住む隣家。
疑似家族も、祖父と両親と娘という設定です。
三世代が一緒に暮らす家は、のちの世に命をつないでいく連鎖を示しています。子を守り育み、その子がさらに子を産み、そうして家族は連綿と受け継がれていくのです。
工作員たちは隣家のことを「チャンス(息子)の家族」と呼んでいました。チャンス、そして「娘」のミンジは、これからの連鎖を担う子たちです。いわば彼女たちが未来そのものです。そして北批判、北擁護をくり広げた大人と違い、彼女たちは「南北統一」という展望をはっきり描いていました。だから、大人たちは彼女らに命をかけて託しました。家族が一緒に暮らせる、あたりまえの未来を。
そして、あたりまえを知ったのはもうひとり。
ツツジ班を取り仕切る金物屋の親父・野ウサギ。彼も世話を焼いてくれる女性との間にうっかり子どもを作ってしまいました。葬るべき相手は、彼の正体を知ってもひるみません。すべてはお腹の子を守るため。親が子を守るのもまた、あたりまえのことなのです。「祖父と両親」がミンジを守ったように。
母の強さを前にしては、北の工作員もかたなし。親に挨拶させるため彼女が持参したセーターを着せられた野ウサギがその後どうなったのかは語られません。彼もまた、人の連鎖に組み込まれ「あたりまえ」を知っていったのでしょうか。
流れるように変化していく心情、巧みに配置された示唆など、監督でなくてもところどころにギ毒が効いていて、終わる頃にはすっかり取り込まれている自分がいました。
ただ、物語の中では幸せになれなかった疑似夫婦を演じた俳優さんがこの共演をきっかけに結婚したと知って、少し救われたような気持ちになりました。
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