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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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ヒュー・ジャックマン、ジェイク・ギレンホール、ポール・ダノと、私でも名前を知っているような面々が出演しているので観てみました。
直後の感想としては、「…よくわからない」でした。
ただのサスペンスではないことは感じ取れたのですが、さまざまな登場人物が意味ありげな情報をつぶやき、整理がつかぬ間に展開が変わり、また娘のためとはいえケラーの常軌を逸した行動に感情移入しきれず、どこに視点を置いていいのかわからずに観終えてしまったからです。
しかしあとでゆっくり思い返してみれば、すべての符号があてはまっていたことに気づきました。
これは、悲しい人生の物語。
誰もがなにかの鎖に繋がれた、Prisonerです。
誘拐された娘たちはもちろん、アレックスも幼くして攫われさらにケラーにも監禁され、ケラーもまた執念に捉われています。ホリーも息子を亡くした過去に捉われ、狂気に走りました。
キリスト教は、誰もが罪びとであると説きます。しかし信仰は、無宗教の者から見ればある意味捉われの信念とも感じます。
作品は事件の起きた感謝祭の日、敬虔なクリスチャンのケラーと、キリスト教圏には存在しないはずの干支の話をするロキ刑事という、対照的なふたりの紹介とも言える描写から始まっています。しかし、無宗教のロキ刑事も因果から逃れられるわけではありません。容疑者を自殺させるという失態を犯し、最後にはケラーの行き先を見誤ってしまいます。彼もケラーの秘密に捉われたために真実を取り逃しかけました。ただ、彼には贖罪の道が残されました。監禁されていたアレックスの命を救ったのは彼であり、地下に閉じ込められたケラーの笛に気づいたと思わせる場面でエンドロールを迎えます。
最後まで神を信じ続けたケラーは救われ、信仰を捨てたホリーは破滅した。
では、信仰は救いなのか。
解決のきっかけとなったのは迷路でした。自殺した容疑者が捉われていた迷路の絵、ホリーの夫が首から提げていた迷路の形のネックレス。
最初は事件の複雑さを示すモチーフかと思っていたのですが、人生も死というゴールに向かう迷路のようなもの。苦しみや悲しみが満ちている生は、罪びとたちが神に与えられた試練なのです。信仰とともに生きてきたケラーでさえ、娘を誘拐されるという試練に突き当たりました。しかし一度たりとも神を恨むことはなく、神を信じ続けました。罪びとたちは神に与えられた試練を乗り越えながら、その先にあるparadiseを求めて迷路をさまよい続けます。
信仰を持たない私には、その価値を語ることはできません。しかしそれがとても大切なことは知っています。何かを、誰かを信じること。それは自分を救うこと。生きることそのもの。
神仏でなくても、キリストでなくても、暗闇の先を灯す光は、自分の心の中にある信じる力なのかもしれません。






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