朝ドラより先行して企画された作品ながら、公開がドラマより後になったことであまり評価は芳しくありません。
時間をかけて丁寧に説明を入れながら水木しげるの成功譚を描いたドラマに対し、この作品は見知らぬ男に嫁ぎ見知らぬ土地で暮らしとんでもない貧乏ととんでもない夫に振り回される妻の心模様の変化を紡いでいます。同じ原作を使いながらアプローチの手法は異なるのですが、結果的に比較されることになってしまったのはもったいない気がします。
水木しげる役の宮藤官九郎は、清潔感皆無の売れない漫画家をリアルに演じています。そういえばもともと俳優でした。実際クリエイターなんて変わり者でプライド高くて扱いにくいものであろうし、嫁をもらうことなんて背中を流してくれたりごはんを出してくれる助っ人くらいの感覚だったのかもしれませんし、布枝さんから見た水木先生も当初はこんな感じだったのでしょう。
思いやりのない夫、お金のない生活、プレッシャーをかけてくる姑、たまったツケ払いの追い立て、薄暗い部屋で絶望していく布枝。それでもある日仕事場で目にした原画によって、夫への見方が変わります。
それは戦地に重なる無数の死体。傷ついた兵士の顔からぽろっと取れた眼球。水木先生独特のとぼけたタッチではあるものの、その衝撃的な絵は布枝の心に肯定的な革命を起こしたのでした。
それからは夫の仕事を手伝うようになったり、原稿を届けに行ったり、プチ家出して迎えに来てもらったり、貧しくとも子を産む決意を宣言したりしながら、夫婦として心を通わせていきます。
そしてようやく、好きな題材を好きなように描ける機会がやってきます。できあがった原稿を届けに出かける茂、見送る布枝。観る者はその後の水木しげるを知っているだけに、ふたりにはいつもと同じ朝でも、それが転機となる出発であることを感じながら、物語は幕を閉じます。
昭和とは思えない風景であったり、少ないセリフに対する余白の多い映像であったり、水木しげるや妖怪を知らなければ楽しめなかったりするところはありましたが、想像とは異なりいかにも映画らしい映画でした。新婚の布枝のまわりに現れては徘徊して追い詰めていくイカル(姑)の幻影は不気味でしたし、人間なのか妖怪なのかよくわからない二階の住人(ドラマでも中森さんは妖怪風でしたが)、本当の妖怪に加えて一宿一飯のもてなしを与えた安井や街ですれ違う親子まで妖怪風である描写など、非常に面白い演出でした。
ただ水木しげるの今後の姿をクドカンがどのように演じるのか、売れてからの姿も見てみたかったですし、布枝の心理描写も展開の速さからやや薄く感じました。やはりふたりの長い道のりは、ドラマでじっくり描くほうが合っていたのかもしれません。
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