職場には年明けから二週間の休みをもらっていた。
当初はむしろ退院してからの方が元気なくらいだった。簡単な食事作りや後片づけ、洗濯などの家事には問題なく、歩く練習もかねて近所のコンビニやスーパーにも出かけた。仕事始めからでも働けそうな勢いだった。 が、少し無理をしすぎたのか、退院して数日後、軽い出血と痛みに襲われた。出血については塊で出たり止まらなかったりしない限りは大丈夫と聞いていたので、反省しておとなしくしていたらだんだんおさまっていった。 術後二週間は安静にしておいた方が良いと医師は言っていたが、確かにぴったり術後二週間で傷そのものの影響はなくなった。問題は体力のほうで、入院から三週間ぐうたら生活を送っているため、長く歩き回ると翌日疲れが出た。これでフルタイムの仕事に耐えられるのか、そして仕事内容の記憶がリセットされていやしないかも心配だったが、割とすんなり復帰できた。前日は惰眠を貪る生活に慣れすぎてしまい出社拒否症に陥ったが。 ただ、体力は戻ったものの、ペーパードライバーの自分にとって三か月の自転車禁止令はなかなかつらいものがあった。徒歩しか選択肢がないのだ。「ちょっとそこまで」もためらってしまうため休日はますます引きこもり生活になってしまった。 最初の検診は退院後二週間目のことだった。もちろん異状なし。吐き気止めの薬だけもらった。 副作用がなくなるのは最後の注射からだいたい二ヶ月後だというから、まだ我慢である。 退院して一ヶ月後、無意識からお腹を圧迫してしまい二週間ほど軽い出血と痛みに見舞われたものの、術後二ヶ月目の検診でも異状はなかった。その少し前に、ようやく薬の副作用が消えていた。 「ところで夜の生活の予定はありますか?」 「!? …………ありません」 「三ヶ月はダメですからね。先日も患者さんが夜中に運ばれてきてね…」 「わかっとるわい!」 と、言いたいのを我慢して「大丈夫です」と返した。 術後三ヶ月目の検診で、定期通院は終了となった。 今後は念のため、一年に一回検査を受ければ良いらしい。子宮がんの可能性はなくなったが、卵巣がんの恐れはもちろん残っている。また面倒くさがりが頭をよぎったが、元はといえばそんな自分の性格が事態発覚の遅れを招いたのである。これからは心を入れ替えて、健康維持に努めよう。 ↓↓持ち物の答え合わせ ※パジャマ 手術当日~翌日昼までは術衣のため、都合5着で足りる。長袖1枚余った。 ※ソフトブラ+ブラキャミ 1枚は行き&帰り分、あとは売店に行く時に着けただけだった。 ※パンツ 手術当日はサニタリーの方が良かった(滲出液で汚れてしまった)。ちょうどおへその下に来る長さだったのだが、おへそをガーゼで覆っているためおへそを隠せるくらいの方が良かった。 ※靴下 ベッドの中だとそこまで寒くないので、4足で足りた。 ※タオル4枚・手ぬぐい3枚 タオルは枕用にもう2~3枚必要だった。手ぬぐいはお風呂用の1枚しか使わなかった。 ※バスタオル2枚 1枚で良かったかも。もう1枚は枕に敷いた。 ※ペットボトル用ストロー・蓋つきコップ ストローは使わなかった。というか、使えなかった。手術後飲もうと思って家から持ってきたミネラルウォーターのボトルに合わなかったのだ。普通に首をもたげてペットボトルやコップを使えたのでまったく意味なかった。 コップはフロアに給茶機があったので、白湯やお茶を汲みに行けた。食事やのどが渇くたび行かなければならなかったが、別部屋の人が水筒に詰めていたのを見て、そういう手もあったかと唸った。 ※箸&スプーン&フォークのセット フォークは使わなかったが、箸は短すぎて使いにくかった。やはり子ども向けだったか…。 ※タブレット ベッドの上では使いにくく、結局スマホを使っていた。テレビカード節約のためにとテレビ代わりにするつもりだったが、電波が途切れ途切れでイライラするため結局テレビカードを買ってしまった…。 ※本 全冊読破後はスマホで漫画を読んでいた。 ※練り梅 どんぶり素粥はなかったものの、ごはんの供として優秀だった。ちなみにごはんはLLサイズではなく、Sサイズほどだった。名札の横に「小もり」と書いてあったので、年齢で分けているのかもしれない。 ※S字フック、ハンガー2本 S字フックは今回は活用されたが、部屋にも設置されていた。ハンガーはバスタオル・手ぬぐい・トイレのタオル・着てきたコート(服)をそれぞれ掛けるのに4本必要だった。これこそ部屋に設置されていると思っていたので失敗だった。 ※お手入れセット ここぞとばかりにお試し用を使用したが、やはり普段使いのほうがお肌には良かったような気がする。シャワーは計3回使えたので、ボディソープが足りず買うはめになった。モンダミンも途中でなくなった。読みが甘すぎる。洗面器は持っていかなかったがやはり不要と感じる。 ※ドライヤー ナースステーションでも借りられたようだ。 ※レンタルWi-Fi 夫が見舞いに来なかったのでギガを買った方が安かったかもしれない…。しかし遠慮することなく漫画が読めたのでまあいいか。 ------------------------------------ 8年前とは世相が違うし、そもそも病院自体が異なるので比較できないかもしれないが、今回の入院は総じて快適だった。看護師さんも親切だったし、説明も丁寧だった。ちなみに麻酔科医は変人とは程遠い真面目そうな若い先生だった。 子宮摘出という事態に、うろたえたのはむしろ周りの方だった。 母は「和田アキ子は子宮を取ったから男みたいになった」などとのたまった。なんつー失礼な発言を、とその時は諫めたものの、高齢である母のみならず、女性にのみ与えられたその臓器の一般的なイメージは、特別なもの、むしろ女性という性そのものと感じる向きがまだ大きいのかもしれない。 もちろんそれはただのイメージで、医学的には見当違いである。 もし私が経産婦であったなら、思うところは少なくなかったのかもしれない。 だが子ナシの自分にとって、子宮とは今や毎月血を垂れ流し激痛をもたらすだけの臓器でしかなかった。なければないで困ることは物理的に何もない。 あれやこれやと周囲から聞かされた(脅された)ものの、結果的に自分が得たのは、鼻の手術をして鼻呼吸ができるようになった時に感じた思いと何も変わらなかった。 あくまで「個人的には」だが、この決断で良かったと思っている。 この記録が、子宮摘出の手術に迷っていたり手術を前に不安に陥っていたりする世の女性の目に少しでも留まることあれば幸いである。 PR |
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