10連休。予定ナシ。
いつものGWならゴロゴロもいいけれど、さすがに10日間も引きこもりはイカン!
一泊で温泉となると十津川も洞川もいいけれど、どうせなら今まで行ったことのないところに行きたい。検索すると、野迫川温泉がヒット。しかも高野山から送迎できると書いてある。
そうだ! 高野山に行こう!
高野山は難波経由で南海電車のイメージでしたが、JRで橋本経由のルートもあります。和歌山線は最近新車両が導入されたばかり。長時間ですが乗り心地は良いはず。ヨシ、それでいこう。
…が、ホームにやってきたのは見慣れた旧型車両。
はじめて五条より南に行きましたが、すでにお尻が痛い…。
橋本駅で南海に乗り換え、極楽橋駅でケーブルカーへ。連休とあって、ぎゅうぎゅうです。
高野山駅からはバスに乗り、千手院橋で下車。コインロッカーに荷物を預け、まず向かった先は…。
普門院です。
実は、ここに母方の祖父のお骨が眠っているのです。
祖父が亡くなった翌年の秋、親戚皆で高野山に来たことは憶えています。しかし祖父のお骨がここにあることは高野山に行くと母に話すまで知りませんでした。
御朱印をもらっている間、お庭を見せてもらえました。
有名な宿坊なのか、俳優や棋士のサインがたくさん飾ってありました。
続いて、バスに乗って奥の院口へ。
一の橋を渡ると、参道に入ります。
空気がひんやりしています。
司馬遼太郎の文学碑。『高野山菅見』も『空海の風景』も読まずに来てしまいました。
大門の向こうは、天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空に架けた幻影なのではないかとさえ思えてくる。
今でこそケーブルカーからバスと気楽に行き来できるようになりましたが、かつて険しい山道によって遮断されていた高野山は下界とは異なる、霊気のようなものに包まれて存在していたのでしょう。奥の院は、まだその雰囲気をかすかに残しているような気がします。
それは参道の両脇に並ぶ数十万の供養塔が作り出す空気感なのかもしれません。
大小さまざまな墓石の中には、著名人のものもあります。
武田信玄・勝頼の供養塔。
上杉謙信・景勝の霊屋が立っているのはその向かいにあたる場所。
死してなお向かい合っているのが興味深いです。
ちなみに明智光秀の供養塔は割とひっそり。
中の橋に到着。これでちょうど半分ほど。
渡ったところには姿見の井戸があり、これをのぞいて自分の姿が見えなければ三年以内に死ぬんだとか。ちゃんと見えましたが。
墓石群の中で、いちばん大きいものがお江の方の供養塔です。
一番石と呼ばれているのも納得の高さ6m超え。さすがお江。
豊臣家の墓所は広々とした場所に並んでありました。
一家並んで眠っているところが、なんとなく秀吉らしいというか。
さて、織田信長の供養塔はというと、参道から坂を上ったところにひっそりとありました。
とはいえ、さすが人気者。行列ができていました。よって写真も手を合わせてからあわてて撮ったのでこの始末。
ずっと場所が不明で、判明したのも昭和になってからなのだとか。
本能寺の変がなかったら織田信長は高野山も焼き討ちしていたかもしれず…と思うと、このひっそり感もなんとなくわかる気も。
御廟橋。この先は撮影禁止、霊域です。
この先に燈籠堂があり、さらに奥には御廟があります。
内部は読経の声が響き、神秘的な雰囲気でした。
地下に入ると、たくさんの身代わり大師が並んでいました。ツアーご一行と居合わせてしまいそそくさと周ったので、ゆっくりお参りすることができなかったのが残念でしたが…。
帰りは別の道を歩いて奥の院前へ。
天気が良くて花がきれいです。
こちら側には、いろんな企業が建てた供養塔が並んでいます。
とか、
とか。
UCCならコーヒーカップ、ヤクルトならあのカタチ。
アデランスの供養碑を触って「生えるかな~」とつぶやくおじさまも。うーん、ちょっと違うような。
この頃にはお腹がすいてフラフラ。どこのお店もいっぱいで、ようやく並んでありついたお昼ごはん。
夕食を食べられなくなると困るので、シンプルにごまとろ丼(ごま豆腐のどんぶり)。この旅では、普段家では食べられないごま豆腐を堪能すると決めたのだ。
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