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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『アンメット ある脳外科医の記録』
最終回まで毎週目が離せない作品となりました。
その理由は、ハラハラドキドキでもなければ、ズキズキキュンキュンでもありません。
記憶障害を抱えながらも医者として前を向くミヤビの生きざまが丁寧に、真摯に描かれていたからです。彼女が支え、時に支えられた患者たち。静かに寄り添う三瓶。厳しくもあたたかく接する星前や津幡など病院の仲間たち。案じながらも見守る大迫や綾野。ミヤビを取り巻く人びとひとりひとりの存在感もきわめて鮮やかで、さしたる説明がなくても自然と物語に入り込み同じ視点で展開を追えるその感覚は、まさにミヤビの日記を読んでいるかのようでした。
その没入感は最終回がきわめて顕著でした。病状が進行する中、残り少ないかもしれない時間を三瓶と過ごすため、自宅に戻ったミヤビ。手持ちカメラがその日々を追います。ミヤビが焼き肉丼を、三瓶が朝食を作る。ともに口に運び、なにげない会話をかわす。泣きながらスケッチした三瓶の寝顔。そしてある朝、脳梗塞が完成し、ミヤビは目を覚まさなかった。三瓶は冷蔵庫に残ったヨーグルトを食べながら星前たちを待つ。——
ミヤビはいつも大きな口で美味しそうにご飯を味わっていました。生死をテーマにしていた『監察医 朝顔』でも、食事のシーンは印象深く描かれていました。食べることは生きること。この作品においても、その一本の大きな太い幹が真ん中を貫き揺らぐことはありませんでした。
三瓶と初めて出会ったアフリカの地で、死を意識せざるを得ない環境においても、ミヤビは食べること、すなわち生きることの大切さを忘れませんでした。最後の最後で描かれたそのシーンが最初につながっていることに気づいた時、構成力の素晴らしさに涙があふれました。
そしてミヤビの今日もまた、明日につながりました。三瓶の、そして仲間たちの尽力によって。
病気の兄のことを長い間気に病んでいた三瓶の心を救ったのはミヤビでした。三瓶の中に灯された明かりは時を経てミヤビの心に戻り、互いは互いを照らし合う光となりました。それは手術室の仲間も同じです。脳外科医として復帰したミヤビが目に焼き付けた手術室の景色、三瓶がミヤビの手術後に目にした光景。手術室のひとりひとりがまた光でした。手術台の上の無影灯のように、光が集まれば影はなくなるのです。
生きること。つながること。光と影。舞い散る記憶。
物語の中で落とされてきたさまざまなかけらが、最後に縫い合わされ、一枚の大きな布となり心を包み込みました。
まだまだ、こんなドラマにも出会えるのだと感嘆の思いしかありません。
無駄のない脚本、余計な部分を削ぎ落した演出。そして俳優の繊細な演技。すべてが完成され尽くした珠玉の作品でした。

『虎に翼』(承前)
現代に生きる我々は、過去の人びとが拓いてきた道をなんとも思わずに歩いています。どれだけの人が道半ばで心折れ、あきらめ、涙を流したか、それでも立ち向かい続けた人たちの苦難はいかほどであったのか、想像することはできても、完璧に理解することはできません。
「穂高先生を許せない寅子」の言動に釈然としなかったのは、そんな感覚の違いもあったのかもしれません。
穂高先生は優しく寛容でした。女性の立場が弱かった戦前において、女性に学びの場を提供し、寅子の父の弁護も引き受けてくれました。
ただ、その寛容さに違和感を憶えていたことも確かではあります。
法廷劇で騒いだ男子学生を咎めずただ見ていただけだったこと。妊娠した寅子が倒れた時子どもの健康を持ち出して寅子の怒りを収めようとしたこと。戦後に再会した際紹介した仕事が家庭教師だったこと。穂高先生の寅子への優しさはどこかズレていたのです。
寅子は本当は一緒に考えてほしかったのかもしれません。女性が法曹界で生きていくにはどうすればいいのか。めずらしい存在ではなく、同じ弁護士として扱ってもらうにはどうすればいいのか。女性であるがゆえに降って湧いてくる仕事をどうさばいていけばいいのか。妊娠したことを隠さずに仕事をするにはどうしたらいいのか。「初めて」には答えがありませんから、寅子が考えて導き出さねばならず、そしてそれは後進の道しるべにもなるのです。今自分が石を穿たねばならないと挑んできた決意を「今は何も為せないただの雨垂れ」扱いされ、さらにはその石に向かえと背中を押してくれたはずの師までが「ただの雨垂れ」だと自虐するのですから、寅子からすれば梯子を外された怒りが生まれるのも無理はありません。
ただ、ドラマの世界を俯瞰する視聴者からすると、物語の主役は彼女だけではありません。封建的な婚家のせいで法律の道をあきらめなければならなくなった挙句、唯一の希望だった末っ子にまで裏切られた梅子。苦労を重ねようやく夢に近づきながら、自分の信念を曲げなかったがために試験に落ちてしまったよね。生きるためにみずからの国と名前を捨てなければならなかった香子。華族に生まれたばかりにいらぬ苦しみを負うはめになった行方知れずの涼子。彼女たちと較べると、やっぱり寅子は恵まれている面はあると感じてしまうのです。知性のある両親に理想的な情操教育を受けて育ち、理解力も包容力もある理想的な夫を得て、試験と重なってしまった生理痛が寅子の小賢しさの隠れみのになって弁護士にもなれました。最初は必死に頑張る寅子を応援していたものの、ちょっとモヤモヤしてしまうのです。過去の朝ドラでも茂やマッサンや万太郎など、仕事に邁進しあとは妻におまかせの人間が何人かいました。「そういう時代だから」で見逃されてきた自分勝手が、寅子にはどこかひっかかる。この構造は何なのだろう。
令和になる以前、女性が世界的な大仕事を成し遂げ立派な母親と報道された途端に噴出したSNSでの批判に驚いたことがあります。「仕事中心で子どもがかわいそう」「夫が苦労して支えたおかげ」。しかも女性の意見ですからさらにビックリ。え? 男性が同じ功績で報道された時そんな意見あったっけ? なぜ女性の時だけ…? それって嫉妬なんじゃ…? というかそもそも男性の時は立派な父親なんて言われてたっけ? こんな批判が生まれるのも殊更女性性を論う報道のせいなのでは?
人はなぜかすべてをカテゴライズし対立構造にしたがります。「仕事vs家庭」「子持ちvs子なし」「男vs女」…挙げていけばキリがありませんが、世の中を単純に区分けすることで自分もどこかのカテゴリーに存在しているという安心感を得たいのかもしれません。
とはいえ、寅子にモヤモヤを抱くのは、優未や花江の複雑な表情を描写しているからで、あえてそういう感情を抱かせるような演出になっているからです。寅子が正しいとか誤っているとかではなく、社会に出る女性につきまとう困難は昔も今も変わっていないということを思い知らされます。生理休暇がこの頃から存在し、そして取得できない状況は今も同じであるように。
今後寅子が法律に、そして家族にどう向き合い、どう生きていくのか、単純な対立構造に収まらない痛快な生きざまを見せてくれることを期待します。
余談ですが、お月のものの時の寅子の演技は実に秀逸でした。長らく忘れていた、痛い重い痛い辛いもう死ぬ、あの感覚が下腹部によみがえってくるほどでした。昭和生まれの私は「生理は恥ずかしいこと」「病気じゃない」と教わったので、生理痛ごときで休むのは怠慢だと思い込まされ這いつくばって通学通勤していました。その感覚が変わりつつあるのは良い傾向だと思います。あとは生理休暇を有給にして気兼ねなく取れる環境になれば良いのだが…。




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