『腐女子、うっかりゲイに告る』
安藤と三浦は、まるでフレディ・マーキュリーとメアリー・オースティンのよう。 三浦は実に誠実で、正直な女の子でした。ゲイを隠していた安藤に怒りをぶつけるのはごく自然な反応ですが、安藤を否定することは彼に恋した自分を否定することでもあります。三浦は三浦なりに、現実のすべてを受け止めようと決意します。そして今の自分の立ち位置から、安藤に歩み寄り、苦悩する彼に手を差し伸べました。 あくまで三浦は三浦であり、腐女子であることが彼女のアイデンティティ。恥ずかしいもの、見下されるべきもの、そう信じ込んで隠し通してきた自分自身ですが、壁を作ることが誰かにとっての悲しみであるならば、そんなものはとっぱらってしまえばい。アイデンティティは隠すものではないし、恥ずべきものでもない。 そしてそんな自分が恋した安藤がゲイだったからといって、何も間違ってなどいない。 そんなメッセージが三浦の屈託ない笑顔から伝わってくるのでした。 ただ、終業式での一幕は、ややできすぎの青春創作モノの感がありました。安藤とのあれこれを暴露しすぎではないか? なぜ最後に三浦は安藤にキスを求め、安藤はそれに応じたのか? 視聴時はあれこれと気になることがありました。しかし三浦にとっても腐女子カミングアウトは勇気のいることであったろうし、むしろそれくらい堂々としていないと安藤の壁はとっぱらえないし、受け止められないと思ったのかもしれません。ひとことでいえば若気の至りの暴走なのかなと。 また、男女のキスというと自然に恋人関係を想起しますが、三浦と安藤はそうではありません。しかし安藤にとって三浦は、彼女となら「普通」の男性としての人生を送れるかもしれないと思うくらいの存在です。恋人にはなれなくても、親友、いや家庭を持つという点でもしかしたらそれ以上の関係になりえたのかもしれません。性的な意味を持たない男女のキスが、そんなふたりならできるのかもしれない。これはおそらく、安藤と同じ性的指向を持つ作者だからこそ描けたシーンのような気がします。作者と、そして安藤と三浦にしか理解できない、恋人同士ではない男女のキスが、きっと存在するのだと思います。 ふたりの仲は三浦が大阪に発つ安藤を「フる」ことでいったん終わりを迎えますが、関係が切れたわけではありません。それこそフレディとメアリーのように、生涯寄り添っていくのかもしれません。三浦のおかげで、安藤はマコトのように蝙蝠にはならない生き方を選んでいくかもしれません。 金子大地と藤野涼子の透明感ある演技のおかげで、非常に質の良い作品になったと思います。一話30分という短い尺でテンポ良く最後まで緊張感を持って鑑賞することができました。脚本も演出も、さすがLGBTを数々扱ってきたNHKならではの充実度だったと思います。 『パーフェクトワールド』 「恋が生まれる→うまくいく→反対されたりライバル出現したり→いったん別れる→やっぱりくっつく→めでたしめでたし」という想像を超えない話運びでしたが、「やっぱり王道がいちばん」…でした。ちゃんとドキドキできて、イライラもして、最後は泣けましたから。 昔でいえば対立するお家同士であったり、人種や宗教の問題であったり、恋するふたりにはさまざまな試練がありますが、この物語における樹の障害は、それをあえて父親が声高に反対する理由にしてしまうことで、記号的な障壁にしかなっていませんでした。つまり障害を扱う話にありがちな偽善的結末でない、「ただのありふれたラブストーリー」だったのです。樹が一度は恋を諦めた理由も、葵のつぐみに対する発言も、晴人の卑屈さも、つぐみの父の頑なな反対も、すべてが至極もっともだし、だからこそつぐみの一途な想いがすべての人の心を変えていく展開に胸を打たれたのです。 つぐみと樹のカップルが美しく爽やかだったことが感情移入を催したのはもちろんですが、晴人としおりも印象に残りました。原作はまだ続いていて、つぐみたちの体外受精の話になっているようですが、このふたりはどう展開していくのか、そちらの話も気になります。スペシャルで続編してくれないかな? 『いだてん』(承前) 視聴率の低さばかりが注目されていますが、やはり戦国や幕末と違って「次に何が起きるかわかっていない」ことが従来の大河視聴層にはアウトだったのかなと感じます。いくら主人公が無名でも、教科書に載っている歴史のおおまかな年表自体は変わりません。ドラマの質以前に、「先に何があるかを知っている」という安心感が、これまでの大河の一年という長丁場の視聴を支えていたのかもしれません。 しかしこのドラマにおいては、金栗の「これから」を知っていたら、面白さは半減していたと思います。あえて番宣は見ず、金栗四三や田畑政治や志ん生のことも調べずに臨みました。だからこそ、四三の二度のオリンピックの結果にやきもきしましたし、東京への誘致がどう進んでいくのかわくわくしています。 第一部の金栗編が終わりました。アクの強い脇役たちに囲まれて今ひとつ存在感のなかった金栗ですが、最後までヒーローにこそなりきれなかったものの、「日本人初のオリンピック出場選手」という肩書を得て、それまでのマイペース風から日本の陸上界を牽引していくという自信と覚悟に満ち溢れた表情に変わっていったのが印象的でした。あまり歌舞伎役者らしさを感じない素朴な演技が、金栗をより人間味ある存在に見せていたと思います。 第一部のクライマックスは関東大震災でした。『あまちゃん』ではジオラマを使って北三陸の被災を語らせたクドカンでしたが、今回は変わり果てた東京のありさまを伝えたのは孝蔵の落語でした。森山未來の軽妙な語り口とその内容の凄まじさの乖離がよりいっそう事態の大きさを感じさせる、素晴らしい演出でした。 自然災害によって齎される人びとの喪失感は、過去と現代で変わったりはしません。そして悲しみから力を合わせて立ち上がり未来を見据える、そんな人間の本来の侃さもまた、過去からくり返してきた日本人の営みなのです。 クドカンは坂道を駆けあがるように、その営みを描き出します。 熊本に帰ってきた四三を一喝する幾江の言葉。いだてんの本当の意味。物資を背負いかつての姿を失った東京を駆けまわる四三と仲間たち。こんな時こそと運動会を企画する嘉納とそれに真っ当な理由で反対する体協の面々。観る者も家族のように思っていたシマの死。焼け出された清さんや小梅たちのたくましさ。そして、スポーツと笑いの力。最後にクスリと笑わせる志ん生のサゲ。 笑いと涙が絶妙なバランスで交錯する、クライマックスに向けてため込んでいたかのようなクドカンの力量が溢れ出す第一部最終回でした。 だからこそ、森山未來とたけしの落差がな…。自分の目にフィルターがかかってしまっているのか、当時を回想する志ん生から何の思いも伝わってこなかったんだよな…。 『なつぞら』(承前) 舞台が変わると印象が変わってしまうのは仕方ないことかもしれませんが、このドラマにおいても十勝と東京の差が激しくて少しトーンダウンしてしまった感があります。十勝パートではエピソードひとつひとつに泣けて、じいちゃんはじめ濃いキャラぞろいだったこともあり、東京の面々にあまり魅力を感じません。とくに咲太郎は重要キャラのはずなのに、軽薄さが前に出すぎていて感情移入しづらいのも、今ひとつ入りこめない原因です。十勝の照夫兄ちゃんが超優良兄(あさイチに登場するまであんなにイケメンとは不覚にも気づかなかった)だっただけに…。 また、なつがお洒落をしたことで十勝の頃の雰囲気を失ってしまったことも残念です。モデルの女性アニメーターも毎日違う服装をしていたそうですが、あのファッションのせいで広瀬すずのきつめの美貌が際立ってしまい、あつかましい(by夕見子)キャラが愛嬌になっていないのがもったいないです。美女でも損をすることがあるのだな…。 それにしても、次から次へとイケメン登場。なんだこの大渋滞は! 仲さんなんてもはやモブというくらいなつの周りはイケメンぞろいの選び放題(なつが)。本命だった天陽くんは東京へ行くなつに実質お別れを告げた(しかも結婚するらしい)ため婿候補から脱落。雪次郎はよくあるヒロイン幼なじみ枠から逸脱しそうにない(うえに夕見子のことが好きそうだ)し、やはりオープニングから出ていた信さんか? と思わせておいての坂場さん登場。この「初対面は印象最悪」は恋愛フラグなのだが…。坂場か? やはり坂場なのか? 信さんメッチャいい人なのに…? 放送はまだあと半分残っているのですが、ここで千遥との再会というヤマ場を迎えるようなので、中盤以降はなつのアニメーターとしての成長と結婚話でしょうか。十勝は絡んでくるのかな…。盛り上がれるのかな…。 PR |
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