現代社会の生活において、報道は切っても切り離せないものとなっています。 中でも事件や事故の重大性を一瞬で伝えてくれる映像は、受け手に与えるインパクトがもっとも強いメディアとなっています。文章は書き手の捏造や誇張表現があっても読み手はそれと判断できませんが、映像は恣意的な情報が含まれない生(き)のものという無意識の前提も大きいと思います。 しかし、果たして我々の前に流される映像がすべて真実と言いきれるのでしょうか。 学歴も仕事もないけれど、向上心と出世欲は人一倍あるルイスは、鉄くず泥棒をしながら職を探しています。彼を咎めた警備員を襲って腕時計を盗んだある日、自動車事故現場の報道カメラマンに触発された彼は、盗品と交換で手に入れた無線受信機とカメラで撮影した映像をテレビ局に売り込むことを計画します。 ルイスは自己評価がきわめて高く理屈っぽく、人の気持ちを介さない無機質な人間で、開始早々サイコパスの風味も垣間見せます。ルイスを演じるジェイク・ギレンホールはこの作品のために15キロ痩せたそうですが、『ドニー・ダーコ』や『マイ・ブラザー』とはまるで異なる人間像を表現しています。 テレビ局のディレクターが求める、ショッキングでかつ物語性のある映像を要求どおりに提供するため、現場を撮るだけではなく、死体の位置を動かしたり、被害者宅に不法侵入したりと、ルイスの行動はどんどんエスカレートしていきます。そして最後には、「相棒」(彼は「部下」と言いましたが)の命さえも犠牲にして、手柄をものにします。 もしかしたら、最後にルイスは死ぬのではないかと思っていました。 いや、そうあってほしいと思っていたのです。 しかし死ぬのは彼に巻き込まれたリックでした。ルイスは警察の追及も逃れ、会社を大きくして社員を増やし、さらなる衝撃映像をものにするため夜の街に出ていくところで、物語は幕を閉じます。 現実も同じです。パパラッチは今日も誰かを追い詰め、傷つけています。過熱報道はやむことはありません。 それを求める者がいなくならない限り。 ディレクターの言葉どおり、インパクトのある映像を求めているのは視聴者自身。ニュースキャスターは、これから流す映像を見るかどうかの選択を視聴者に委ねます。しかしそこでチャンネルを替える人は決して多くないでしょう。ドキドキしながら流血現場を、人の死体が出てくるのを待つのでしょう。 本当は、待っているのです。ニュースキャスターの「これから流れる映像は…」のひとことを。 凄惨な映像に眉をひそめ、犯罪を憎む言葉を吐きながら、本当はルイスのようなパパラッチのもたらしてくれるドキドキを楽しんでいるのです。 この作品のオチの理由はそこにあるのだと思います。 ルイスを生かしたのは、誰でもない、自分自身のせいでした。 PR |
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