『僕のヤバイ妻』という連ドラがこの映画に酷似しているという噂を耳にしてから、いつか観たいと思っていた作品です。が、最初から妻(木村佳乃)がヤバイことを種明かししていて、底抜けにバカな夫(伊藤英明)がその手のひらの上で踊らされる半分コメディーだったドラマとは、噂よりも趣がずいぶん異なっていました。 そして、おそらく男女で感想が分かれてしまう作品だと思います。 物語は、妻のエイミーが失踪するところから始まります。夫であるニックの通報により駆けつけた刑事は、現場の偽装を疑います。まずここで、観る者に「ニックがエイミーを殺したかもしれない」というトラップが仕掛けられています。 しかしニックはエイミーを殺してはいなかった。むしろそんな度胸は持ち合わせていない男です。 ふたりはとあるパーティでたまたま出会って、恋に落ち、仲間の前でプロポーズをして結婚するという平凡な道を歩んできた夫婦でした。やがて夫の仕事が減り昼間からゲームに没頭するヒモとなり下がり、母の病気で夫の実家に戻ることになり、妊活もうまくいかないというどん詰まり状態になります。すれ違った夫婦はどうなるのか。そう、浮気。これもまあ、平凡ななりゆきです。 しかしその生い立ちは互いに平凡ではありません。 エイミーの母親は、有名な絵本作家でした。「完璧なエイミー」と題されたそのシリーズの主人公は彼女がモデルです。絵本に描かれたエイミーは母が自分に求めている姿であり、「完璧なエイミー」になれないことに彼女はいつもコンプレックスを抱いていました。 母と娘というのは、親子愛以上の感情が混ざりあうと特殊な関係になりがちです。エイミーはいつも母から愛情よりも先に、期待感そして失望感を受け取っていました。そしてエイミーの失踪時も、すぐさま母親は反応してマスコミの前で会見を開くのですが、その行動から行方不明の娘への愛や母としての悲しみは微塵も感じられません。そんな感情に纏わりつかれながら育ったエイミーの精神が正常に保たれるわけがないのです。 トラップを仕掛けたのは、ニックに復讐を決意したエイミー自身でした。 そしてニックもまた、幼い頃に父が出奔し、双子の妹と寄り添うように生きてきました。ただの兄妹よりも強い結びつきを感じさせるふたりの会話、そしてそれを異常とも思っていないふたりの行動には、やや世間とは乖離している感覚が見られます。ブラコンの妹からすれば兄の妻というだけで快く思わない存在になりますし、兄は絶対的な味方がいることで強気に出られます。私は女ですから、ついエイミーの立場から物事を見てしまいます。無職&母が病気だからと実家に帰る(マザコン)&シスコン&パープリンな小娘と浮気して離婚画策中&暴力と、ニックに擁護すべき点がどこにも見当たりません。男のヤスオーは「いくらなんでもニックかわいそう」と言っていましたが。 しかしエイミーの計画もまた、ならず者に有り金を奪われたことで破綻しかけます。すかさず計画変更を企てるエイミーですが、こっそりエゴサーチしたり自分の悪口を言った女のジュースに唾を仕込んだりお金を盗られて悔しがったり、それまで垣間見せていた冷静さはまるで失ってしまいました。なりふりかまわず大胆な罠を仕掛け、そして自分だけの都合で、まるで野菜でも切るかのようにたやすく人の命を奪います。 カレンダーの印から、エイミーは死ぬつもりだったようです。 さらに、お金を失ったことで逃げ道もなくなり、むしろ死へは近くなったように思います。 しかし、死ぬことは選びませんでした。考えをこらし、人を利用し、人の命を奪い、生きる道を選びました。生きて、最後までニックの傍にいることを選びました。 それが人間の、生のエネルギーなのかもしれません。もちろん、決して正しくはないのですが。 生きていくには、何が必要か。 それはエネルギーの源泉となるものです。 エイミーの源は何だったのか。ニックへの愛か。子ども欲しさか。あるいはそのどちらもか。 結局、母親への歪んだ感情がその原点のようにも思います。自分が母のような母親にはならないということを母に証明するために、ニックを使って母親になったのではないかと。ニックは種であり、そして自分を絶対に裏切らないニックを傍に置くことで、ニックのような子にさせないこともできます。 果たして、エイミーのプランCは成功するのか…。 最初から歪んでいた彼女の人生ですから、想像を超える結末が待っているのかもしれません。 PR |
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