『おじさんはカワイイものがお好き。』
渋いイケオジで仕事もできて部下からの信頼も厚い小路三貴には秘密があった。それは、黄色いもちもちキャラクターの《パグ太郎》が大好きということ。部屋にはパグ太郎グッズがあふれ、毎晩パグ太郎に囲まれて癒されているものの、女子に笑われた過去のトラウマから、カワイイもの好きであることをひた隠しにして生きてきました。 そんな小路さんが出会ったのは、中目黒のダンサー風なケンタ。彼も《くまのがっこう》の手作りドールハウスで彼女にひかれた過去を持ち、小路と同じようにカワイイもの好きを隠して生きてきました。ようやく同志を得て、ふたりは友情を深めていきます。 イケオジブームの次は、カワオジか? と言いたくなるくらい、今期はナギサさんといい、小路さんといい、カワイイオジサンたちがコロナですさんだ心を癒してくれます。全5話と短いのが残念です。 まさか眞島秀和がこんなキャラクターを演じるとは思いもしませんでした。怖い借金取り(『あしたの、喜多善男』)だの、ふたりの女の間を行ったり来たりする優柔不断男(『花衣夢衣』)だのを思えば、出世したよねえ…。いい俳優さんだと信じていました。 ネコちゃん大好きなワンレンメガネ鳴戸や、少女漫画描きの真純も、これからカワイイもの好きの同志となっていくのでしょうか。鳴戸、野良猫に餌付けはアカンよ! そして現代はあんな風に漫画を描くのかと驚きました。Gペンとかスクリーントーンとか、今は使わないのね…。 『太陽の子』 三浦春馬のことがあってそちらに注目がいきがちでしたが、主題は「日本でも原子爆弾の開発計画があった」という、あまり知られていない戦中日本の一面です。 最先端の原子物理学の研究に胸躍らせていた彼らが挑んだのは、日本を救う新型爆弾。科学者としての使命感に燃える一方、未来を変えるはずの研究が殺人兵器に使われるという葛藤がつねに彼らの胸にありました。遅々として進まない開発。その一方で戦況は悪化し、身近な命は次々に消えていく。そして目の当たりにしたヒロシマの惨状。自分たちが目指していたものの結末に、壊れていく心。—— 結論から言えば、これだけのテーマを描くのに80分はあまりにも短すぎたと言わざるをえません。 柳楽優弥は素晴らしかったです。夢中になるとまわりが目に入らなくなる実験バカながら、普段は控えめで心やさしい普通の青年である修が、戦争によって徐々に精神をすり減らしていく変化を繊細に演じていました。 また、主人公を取り巻く人たち、死の恐怖に涙しながらもその運命から逃れられることはなかった裕之や戦禍の中にも未来への希望を失わぬ世津など、それぞれのぶれない芯を抑えぎみの演技の中にもしっかり感じられたので、やや現代的な演出もあったにせよ作品の質を損なうものではありませんでした。 とくに、ラストの田中裕子には胸を打たれました。展開上あまりにも唐突な、理解に苦しむ修の決断でしたが、彼女の存在感が場を乱しませんでした。人としての一線を超えてしまった言葉を放つ息子は、戦争によって変わってしまいました。彼を産んだ者としての責任を全うしようとする母の姿は、戦場でなくても、兵器開発でなくても、この戦争に向き合っていることを主張し、誰もが戦わざるをえなかったこの国のありさまを物語っていました。 被爆地の実際の様子が映されることは最初に提示されていましたが、ご遺体の写真まで出てくるとは思いませんでした。戦争の伝え方がソフトになってきた世相と反するように、ぼやかさず、ごまかさず、現実を突きつけられたことによって、修たちが成そうとしていたことをあらためて思い知らされました。 焦土と化したヒロシマ。母親「だった何か」から離れることができず震えていた原爆孤児。炎に焼き上げられていく遺体「かもしれない何か」の山。 彼らの信じた科学の行きつく先は、ここだったというのか。 修の心に去来したものは、「怒り」なのか「悲しみ」なのか「憎しみ」なのか「絶望」なのか。 あるいは、科学者としてのプライドだったのか。 そして、京都に原爆が落とされることなく迎えた玉音放送を、比叡山の修はいったいどう受け止めたのか。世津が夢見た戦後の日本を、裕之が迎えられなかった未来を、修はいったいどう生きたのか。 何も語られることなく、想像の余地もなく、物語は突然終わりました。 この作品は、映画化が決まっているそうです。違う視点で描かれるそうですが、同じキャストのロングバージョンなのか、あるいはまったく別の収録なのかはわかりませんが、もしそのために余白を多く残したのなら残念です。キャストが語っていた印象深いシーンもカットされていました。一昨年の『夕凪の街 桜の国』もそうですが、作り手の想いが伝わってくる真摯な作品だけに、それを伝えきるだけの尺は大事にしてほしいと思いました。 PR |
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