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いかに寝て起くる朝に言ふことぞ昨日をこぞと今日をことしと(小大君)
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『この世界の片隅に』
原作漫画は30回くらい読み返し、映画も2回観ました(12月に公開されるという完全版も観るはず)。思い入れはもちろん、あります。とはいえ、ドラマはドラマですから、原作そして原作に忠実だった映画との違いがあることは最初からわかっていますし、原作に思い入れがあればあるほど実写ものには違和感を抱きがちですが、これは思いのほかありませんでした。
私は、原作を「すずさんと周作さんのラブストーリー」として読みました。そしてドラマがより「ラブストーリー」に近づいていることも、原作との違いを抵抗なく受け入れられた理由でもあると思います。
リンとの結婚を反対された周作が、半ばヤケになって適当に昔一度会っただけの浦野すずの名前を口にしたことから、とんとん拍子に話が進んで結婚することになったふたり。結婚式後の宴会ではごちそうにも手をつけず口を真一文字に結んでいた周作。過ぎたこと、選ばなかった道を諦める覚悟を決めた周作は、その夜ふたりきりになって、ようやく花嫁にやさしい笑顔を見せます。ふたりの関係は、ここから始まったのだと思っていました。
しかしドラマでは、リンと結婚させたくない周囲から持ち込まれる見合い話に辟易していた周作が、みずからすずを選びます。そしてはじめて顔を合わせる相手(とすずは思っている)との結婚生活に不安を抱いているであろう花嫁に、「あんたと生きていきたい」とまっすぐな愛情を向けます。初回から、ドラマの方向性はあきらかでした。
そして原作で、里帰りしたすずが懐かしい街の風景をスケッチしながら「さようなら広島」とつぶやく場面。慣れない生活で頭にハゲを作り、広島に帰りたい思いをこらえながら、もう自分の居場所ではない広島に別れを告げ、呉の人間となる覚悟を決めたのでした。もっともその後に、スケッチに夢中になりすぎて帰りの電車の切符が売り切れていたというオチがつくのですが。
それがドラマでは、広島の町を歩いていると突然幼い頃周作と人さらいから逃げた記憶を思い出し、周作を追って呉へ急ぎ帰ります。そしてすずが帰ってきたことがうれしくて、海に向かって「お帰りすずさんー!」と叫ぶ周作。なんだかこちらが恥ずかしくなるようなシーンでしたが、演じている松坂桃李が魅力的すぎて、すずが周作をだんだん好きになってしまうのも当然だと感じてしまいました。
映画ではエピソードが省かれていて、物足りなく思っていたリンとすずと周作の関係性。リンを二階堂ふみが演じると聞いて、最初は少し不安でした。ビジュアルのイメージが異なることもさりながら、『西郷どん』であれだけ生命力にあふれた愛加那を演じたあとで、薄幸の遊女に変身できるのかと。しかしすべて杞憂でした。さすがは演技派女優です。あやうげな美しさも、みずからの貧しい生い立ちや恋しい人の妻であるすずを受け入れる包容力も、すべてがリンさんそのものでした。
すずの右手が紅で描いたリンの過去は、このドラマにおいては事実として描かれています。
原作ラストの鬼イチャン冒險記はどう扱うのでしょう。脳みそ(石)しか帰ってこなかった鬼いちゃんですが、浦野家の誰も要一が戦死したことを信じていなかったからこそ、すずの描いた鬼いちゃんの未来がほんとうのことになったのかもしれない、そうであってほしい、いやそうに違いないと感じたのですが…。もちろん、からっぽの骨箱を抱いて涙を流した母親がかつてこの日本にたくさんいたことも事実であって、だからこそドラマという媒体ではその多数の母親の姿を描くほうが自然なのだろうと思います。嫁ぎ先で苦労している娘を思いやる描写も原作にはないものですが(むしろ北條家の方を心配していた)、これもドラマならではの伝え方でしょう。ひさびさに見た仙道敦子が母親になりきっていて泣かされました。
現代編は、正直どうなのだろうとは思います。戦争を描く時、戦争を知らない世代に伝わりやすくするために現代と絡めるのはよくある手法です。が、佳代がなぜすずを知っているのかなかなか説明されないために、もどかしい気持ちになってしまうのは否定できません。『おひさま』のように年老いた主人公のところへ偶然聞き手が訪れて昔話が始まるとか、極端な話タイムスリップとか、最初から現代編の登場人物の出自が描かれていれば納得もいくのですが。
しかしドラマとしては演者をはじめ非常に質の良い作品に仕上がっていますので、現代編とすずをどうつなげるのか、不安ではなく期待を持って展開を待ちたいと思います。
ドラマオリジナルの登場人物である幸子や志野は、すずにとって救いの存在でもあり、ガールズトークのシーンは見る者の癒しでもあります。塩見三省の存在感もさすがですね。
もちろん、原作どおりの展開となるであろう、晴美と径子、広島の浦野家、刈谷さん、そして原爆孤児などのエピソードがどう描かれるかも楽しみです。
最後に、ネットなどでのんの主演を期待されながら抜擢された松本穂香ですが、多くの演技派に囲まれながらしっかりすずさんを演じています。ほわーんとしていながらも強い目力で言葉にしない感情を訴えてくるので、すずさんに感情移入しながらドラマに入り込むことができます。
あれだけ評価の高いアニメ映画のあとでの実写化ですから、制作側も相当気合を入れて臨んでいることが伝わってきました。原作ファンとして、評価を落とさないドラマとなったことは大きな喜びでもあります。

『夕凪の街 桜の国2018』
戦争もののドラマがめっきり減った昨今ですが、これはNHKらしい真摯な姿勢を感じる作品になっていました。
1時間ちょっとと短い枠だったので夕凪パートが大半を占めていました。原作の桜の国パートの設定であった2004年とは七波や凪生の年齢も状況も変わってきてしまいますし、最低限の描写にとどまってしまうのもやむなしかと思います。ただ、原作における東子の役回りを七波の姪の風子に置き換え、七波のアラフォーなりの葛藤もきちんと描かれていたので、制作側が伝えたいことは伝わってきたと思います。
皆実が黒い雨に打たれながら過去の記憶に苛まれる場面、原爆の絵が突然さしはさまれた時は衝撃を受けて目をそらしそうになりました。73年の時が流れて原爆資料館ですらソフト路線に転化していきつつある中、ドキュメンタリーでなく、ドラマでこのような映像を目にすることになるとは思いもしませんでしたが、制作側の強い意思の表れであると感じました。
予期せず視界に飛び込んできた、絵画とはいえかなりリアルに描かれたその日の広島。それはまさに8月6日の朝、皆実が、すべての被爆者が目にした光景です。現実のそれとは較べものにならないとはいえ、視聴者は彼女たちの日常が地獄へ変わったその瞬間を追体験したのかもしれません。
また、この絵画の制作者が地元の高校生という話も耳にしました。戦争を知らない若者が被爆者の話を聞いて表現した絵画作品をその日の現実として取り扱ったこともまた、意義深いと感じます。
皆実が決意をもって見上げた原爆ドームは、63年を経ても変わらぬ姿で七波を迎えます。広がる青空、緑生い茂る平和公園。広島の街でみずからのルーツに触れ、その日のことをだんだんと知っていく風子。被爆三世であるこの身が幸せを享受することを拒否しながら生きてきた七波。友達とはしゃぎながら修学旅行を楽しむ高校生たち。平和公園に集ったさまざまな人びとの、さまざまな思いを静かに見つめる平和の火。
戦争とは死による悲しみを生むだけでなく、生きてさえ苦しむものであるという、あまり語られることのない戦争の一面がしっかりと伝わってくるドラマでした。
川栄李奈が熱演でした。透明感のある笑顔、記憶を引き出され苦悩する表情、覚悟を決め固く結ばれた唇、皆実の10年間がそのすべてに刻まれていました。元アイドルとは思えない、本当にいい女優さんだと思います。



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